東京の高校生は『おばんざい』なんて知らないし、謎の美少女のお弁当は京都の香りがする
キーンコーンカーンコーン。
午前中最後の、二限終了のチャイムが鳴り響く。いつもなら一斉に席を立つクラスの男子連中が、今日は一斉に、あたたた、と変な声を漏らして机にしがみついた。
「多朗、俺はもう駄目だ。一歩も歩けん。琴音は、琴音はまだか」
剛田が机に突っ伏したまま、恨めしそうな声で呻く。
「静かに待てよ。二限終わったばっかりだろ。今頃、購買も混んでるよ」
多朗も太も目の痛みに耐えながら、自分の席の椅子を後ろに引く。
その時、ガラガラと教室の引き戸が開いた。
「はい、お待たせ。剛田くん、息してる?」
琴音と相羽が、白いビニール袋を下げて戻ってきた。
「女神様!」
剛田が奇跡的なスピードで上半身を跳ね起こす。琴音が苦笑しながら机の上に置いたのは、ずっしりと重いカツサンドとエビカツサンドだった。
「本当に買ってきてくれたんだ! ありがてえ、マジでありがてえ!」
「凄い執念ね。購買のおばちゃんも、あんたの分だって言ったら、一番カツが分厚いやつ選んでくれたわよ」
相羽が呆れ顔で自分の弁当箱を広げる。多朗も琴音にお礼を言って、買っておいたコンビニのパンを取り出した。剛田が大きな口でカツサンドに食らいつき、美味すぎる、と涙目になっている。
「あの、ここに混ざってもいいですか?」
不意に、鈴の鳴るような声がした。振り返ると、マナが自分の丸椅子を両手で抱え、ちょこんと多朗の机の横に立っていた。
「おう、マナじゃん。もちろんいいぞ。お前、昼飯は何なんだ?」
剛田が口の周りにソースをつけたまま尋ねる。マナは、ありがとうございます、と微笑み、多朗の机の端に、古風な紺色の木綿の包みを置いた。
丁寧に結び目を解き、中から出てきたのは、二段重ねの小さくて渋い漆塗りの弁当箱だった。
「へえ、マナってお弁当派だったんだな」
多朗が何気なく覗き込む。
上段には、海苔がきれいに巻かれた、小ぶりで三角形の塩むすびが二つ。そして下段には、色鮮やかな、しかしクラスの男子には全く見覚えのない小鉢のようなおかずが何種類もきれいに敷き詰められていた。
「なぁマナ、それ何? ピーマンのクタクタにしたやつ?」
剛田がエビカツサンドを片手に、マナの弁当箱を指さす。
「これは、万願寺唐辛子とお雑魚の炊いたん、です。こっちは、すぐき、と、柴漬け、ですね。あと、これは、茄子のオランダ煮、です」
「タイタン? オランダ? なんだそれ、呪文か?」
「おばんざい、よね? それ」
相羽が箸を止めて、興味深そうにマナの弁当箱を見つめた。
「おばんざい? 何それ、お惣菜のことか?」
多朗が聞き返すと、相羽が、ちょっと違うわよ、と腕を組む。
「京都の伝統的な家庭料理のこと。テレビの旅行番組とかで見たことあるけど、マナさん、それどこで買ったの? 成増の駅前にそんなの売ってるお店あったっけ」
「えっと、近所の方が、毎朝作って持たせてくれるんです。美味しいですよ?」
マナはそう言って、細い箸で上品に、炊いたん、を口に運んだ。
多朗と剛田は顔を見合わせる。川越街道を下がった先の、あの旭町の名もなき古い社に、そんな京都の小洒落た料理を作る人間が住んでいるのだろうか。
「一口、食べますか?」
マナが首を傾げ、悪戯っぽく笑う。
「お、いいのか? じゃあその緑のやつ!」
剛田が遠慮なく箸を伸ばそうとした瞬間、教室の前のドアがガラリと開き、ジャージ姿の後藤教官がぬっと顔を出した。
「おい、お前ら。昼飯中にすまんが、今日の五限の予定が変更になった。グラウンドが空いたから、もう一回走るぞ」
誰もが息を呑んだ。
カツサンドを大口で噛み締めていた剛田の動きが、完全に停止した。




