翌朝は全員が生まれたての小鹿になるし、カバンの紐を握るあの子が気になる
「……て、停まるな多朗。足を止めたら、二度と動かなくなる気がする」
「言われなくても歩いてるよ。おい剛田、俺の制服の袖を引っ張るな。千切れる」
成増駅の改札を出てから光が丘公園北口へ向かう道すがら、男子二人は文字通りロボットのような歩き方をしていた。太ももとふくらはぎが強烈に主張してくる。
「お前ら、朝から見苦しいわね。何その奇妙なステップ」
後ろから追いついてきた相羽が、呆れたように二人を追い抜いていく。その隣には、同じく少し歩幅を狭めている琴音がいた。
「相羽、お前は筋肉痛になってないのかよ」
「なってるに決まってるじゃない。でも、あんたたちみたいに声に出してないだけよ」
「琴音もやっぱり痛い?」
多朗が尋ねると、琴音は苦笑いしながら頷いた。
「うん、階段の降り口で本気で引き返そうかと思った。剛田くんに比べたらマシだけどね」
「おい上宮、お前いま琴音の歩き方見てただろ。なんか、いつもよりちょっと可愛いじゃねえか。ずるいぞ」
「バカ言え、どこ見てんだよ。……そういえばさ、マナって昨日、川越街道をずっと下っていったよな」
多朗が街道の先、旭町や和光市へと続く方向へ視線を向ける。
「ああ、街道をずっと下っていったな。ここからは見えねえけど、あの先のメガドンキとかニトリのほうまで歩くってことだろ? あいつ、あの筋肉痛の元凶であるシャトルランの後なのに、平気な顔してただろ」
「確かに。マナさん、カバンの紐をぎゅって握ったまま、普通の顔して歩いてたよね。あの先に家があるのかな」
琴音の言葉に、多朗は昨日の別れ際、夕闇の中に消えていったマナのどこか浮世離れした背中を思い出していた。
「おい、それより多朗、マナの心配もいいけどよ、もっと死活問題があるだろ」
光が丘公園の北口が前方に見えてきたところで、剛田が深刻な顔で割り込んできた。
「何だよ死活問題って。足が痛いこと以外に何かあるか?」
「大ありだよ! 今日の昼飯だよ! 購買の限定カツサンドとエビカツサンドの争奪戦、この足で出遅れたら俺は今日一日で干からびるぞ!」
剛田は自分の太ももをバンバンと叩きながら、本気で焦った声を出す。
「あんたのその無駄な食欲、少しは筋肉の回復に回しなさいよ。だいたい、そのロボットみたいな足の遅さで、購買まで走れるわけないじゃない」
相羽が呆れ果てたように吐き捨てた。
「確かに。今日の昼は絶望的だな。あのずっしり重いカツサンド、四限のチャイムが鳴った瞬間に教室を飛び出しても、一歩目で確実に膝が砕ける」
「だろ!? 多朗、お前もそう思うよな! だから俺たちは、三限の終わりの休み時間の時点で、購買の前の廊下に潜伏しておく必要があるわけだ」
「それ、ただの授業サボりじゃない。後藤教官に見つかったら、またグラウンド何周させられるか分かって言ってるの?」
琴音がクスリと笑いながら釘を刺すと、剛田は目に見えて怯んだ。後藤の名前の破壊力は、筋肉痛の比ではない。
「うっ!。それは、確かにカツサンドより命が危ないな」
「じゃあ、私たちが代わりに買ってきてあげようか? 女子クラスの方の購買なら、そこまで酷い争奪戦にはならないし」
琴音が何気なく提案すると、剛田の目が一瞬で輝いた。
「マジで!? 琴音、お前は本当に女神か! 最高の幼馴染を持ったな多朗!」
「おい、剛田の分まで頼むのは流石に悪いだろ。琴音、こいつの分は無視していいから。剛田は今日、大人しく売れ残りの梅おにぎりでも齧ってればいいんだよ」
「なんだよ多朗! お前、俺の胃袋を殺す気か!」
剛田が騒ぎ立てる声を背景に聞きながら、五人は光が丘公園の北口を通り抜け、学校の敷地へと続く並木道へと入っていく。校門の向こうには、すでにいつもの制服姿の生徒たちがゾロゾロと吸い込まれていくのが見えた。
「あ、噂をすればマナさん、もう来てるみたい」
琴音が並木道の先を指さす。
その視線の先、校門のすぐ手前を歩いているマナの後ろ姿があった。相変わらず、通学カバンの紐を両手でぎゅっと握りしめ、周囲の喧騒などどこ吹く風といった様子で、ゆっくりと歩いている。
「本当だ。あいつ、やっぱり全然痛そうに見えねえな。どんな頑丈な肉体してんだよ」
剛田が羨ましそうに声を漏らす。
多朗は、昨日マナが一人で川越街道を下っていったときの、あのどこか遠い場所を見つめるような目を思い出していた。しかし、剛田が「おい多朗、置いてくなよ!」と、再び重い足取りで背中を押してきたため、その思考はまたしても日常の騒がしさにかき消された。




