敵障壁を粉砕せよ
一斉掃射の閃光が、鉛色に淀む太平洋の空を白熱の格子状に切り裂いた。
母機【NX零二】の主翼下部から撃ち出された極超音速の電磁加速徹甲弾、そして上宮多朗が全精神を同期させた三万機に及ぶ自律無人機群が一斉に放った高密度実包の弾幕。それは一本の巨大なる光の奔流となり、海面から天を突く巨塔のごとくそびえ立つ敵性多面体の前面へ殺到していた。
命中した瞬間、虚空を震わせたのは爆発音ではなかった。
無数の水晶が擦れ合うような、甲高い金属質の共鳴音。
着弾の衝撃に触れた大気の分子、舞い散る飛沫、音波そのものが、瞬時に規則正しい正四面体の微細結晶へと姿を変えていく。相転移だ。通常物質の運動量を奪い去り、物質の結合則を強引に幾何学構造へと書き換えて無力化する敵の防御機構が、白銀に輝く結晶障壁を幾重にも展開していた。
撃ち込まれた弾頭の先端は、その境界面に接触した途端に鏡面状の鉱物へと相転移を起こし、貫通の威力を失って虚空へ弾き落とされる。
「硬いな、くそったれが」
機体制御手を務める巨漢、剛田猛の口から、血の混じった唾液とともに呻き声が漏れた。
垂直急降下から水平飛行へと強引に機首を引き起こした負荷により、機体には十数倍に及ぶ重力加速度がのしかかっている。新宿の決戦で負傷した両腕を支える金属製の固定具が、肉を圧迫して軋んだ悲鳴を上げた。骨を締め上げる金属の螺子が皮膚の下の神経を押し潰し、灼熱の激痛が脳天を貫く。
剛田は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、脂汗にまみれた太い腕で操縦桿をねじ伏せるように握り締めた。
その両手には、成増の商店街にある総菜屋「さわや」の、きく子ばあちゃんが遺した木綿の布巾が幾重にも巻き付けられている。油と汗を吸い込んだ布の粗い感触だけが、狂乱の激痛の中で剛田の正気を現世に繋ぎ止めていた。
「骨が何本折れようが、この舵だけは離さねえぞ。多朗、前だけを見て撃ち抜け」
後方座席で機関制御を一手に引き受ける陣内は、激しく明滅する計器の数値を射抜くような眼光で見据えていた。
指先が神業の速度で冷却配管の開閉弁を叩き、流体の循環を微調整する。
「第三推進器、燃焼室温度が限界値を超過。超微細流体の循環圧力を二割増圧。外皮の分子再構築機能、負荷率九十二。剛田、機首角をこれ以上上げるな。主翼の分子結合が引きちぎれるぞ」
陣内の声には一切の動揺がなかった。熱暴走の瀬戸際に追い詰められた発動機の臨界振動を、座席から背骨に伝わる微細な揺らぎだけで感知し、配管内の圧力弁を絶妙な呼吸で逃がしていく。超知能が授けた金剛石質の完全一体成型機であっても、その命脈を極限で維持するのは人間の技術と執念だった。
「上宮くん、観測情報を送る」
副座観測手の相羽が、氷のように澄んだ声を通話網へ滑り込ませた。
風防に映る相羽の瞳には、高次元位相の乱れが光の屈折となって捉えられている。通常の人間の知覚を絶した幾何学的な歪みを、みなみの頭脳は冷徹に数式へと変換していた。
「敵障壁の相転移周期、零点零三秒の遅延を確認。散華した米軍機が撃ち込んだ電磁攪乱弾が、結晶格子の結合に微小な歪みを生じさせている。第十二象限、方位角二百四の結節点。あそこだけ相転移の伝播が不完全だ」
その情報が届いた瞬間、上宮多朗の額に宿る古代の生体端子が、青白い脈動を放った。
思考が母機【NX零二】の全系統を駆け抜け、太平洋の上空を埋め尽くす三万機の無人機群の知性体へと直結する。
多朗の視界は、単一の座席から、三万の視点が織り成す全方位の多次元空間認識へと拡張された。
身を挺して母機を守り、先ほど結晶弾の直撃を受けて海へと散っていった友軍機たちの残滓が、多朗の胸を締め付ける。しかし、その痛みは絶望ではなく、深い感謝と礼節となって彼の精神を研ぎ澄ましていた。
生かされている。散っていった兵たちの手によって、自分たちは今、この空に立たされている。
傲慢な破壊の衝動ではなく、ただ守るべき大地と人々の営みへの祈りが、多朗の神経網を通じて三万の機体へと波及した。
「イチ番、全機体の火線を第十二象限へ収束。ニ番、格子の歪みへ弾道を同期させてくれ」
多朗の思考波に応じ、母機の周囲を旋回する自律型小型無人機が機敏に動いた。
統率格のイチ番が鋭い機動で突撃の先頭へ躍り出る。
『了解、多朗。全機体の火線軸を再計算。射突角を一点に絞る』
知性派のニ番が、敵多面体の幾何学構造が抱える欠陥を瞬時に逆算し、三万機へ向けて補正符号を撒き散らした。
『多朗、結晶の結合強度が臨界点に達している。今なら貫通可能だ』
生体支援のサン番が多朗の血圧と脈拍の過剰上昇を検知し、微弱な電気刺激で中枢神経の過熱を抑制する。
『多朗ちゃん、意識の過負荷を検知。脳幹の熱量を逃がすよ』
火力担当のヨン番が両翼の小型加速砲を最大出力で撃ち鳴らし、防護担当のゴ番が母機の直前で微小な衝撃波を散らして残余の破片を弾く。
『ボクが道を拓く』
『僕が母機の盾になる』
電子戦を担うロク番が、敵の放つ相転移の共鳴波を打ち消す逆位相信号を太平洋上空へと放射した。
『ご先祖様、敵の空間干渉波を減衰させ申した。道を切り拓かれよ』
その瞬間、天空の高みから、常識を超絶した重力場の歪みが降り注いだ。
ザルクス率いる古代先住者、レプティリアンの超古代生体戦闘艇群だ。
鏡面のように磨き上げられた幾何学円盤が、大気を切り裂く音すら立てずに急降下を敢行する。
円盤の中心部から放たれたのは、光条ではなく、漆黒の重力歪曲波だった。
空間そのものを物理的に押し潰すような超重量の波動が、敵多面体の結晶障壁の直前で炸裂する。
相転移によって鋭利な結晶へと変わりつつあった大気と海水が、超重力の干渉を受けて歪み、平坦な物理空間へと強引に引き戻されていく。
古代の守護者たちは、人間に対して言葉を発することはなかった。ただ、地球という揺り籠を侵食する異次元の災厄に対し、冷徹かつ絶対的な排除の意志を行動で示していた。
重力波が生み出した空間の裂け目。
そこは、相羽みなみが指摘した第十二象限の結節点と完全に一致していた。
「今だ」
多朗は呟いた。
その意志は、三万機の無人機群へ瞬時に伝播した。
乱れ飛んでいた無数の弾道が、まるで一本の巨大な光の槍へと結束するように収束していく。
超高密度の電磁加速徹甲弾が、極致に達した初速をもって、結晶障壁の亀裂へと突き刺さった。
空間が悲鳴を上げた。
耳をつんざくような爆音ではない。無数の薄氷が同時に擦れ合い、砕け散るような、純粋幾何学の断末魔が響き渡る。
第十二象限の結節点から、白い閃光が亀裂に沿って網目状に走った。
相転移の連鎖が逆流を起こし、敵多面体が展開していた結晶障壁が、自らの構造張力に耐えかねて内側から崩落を始めた。
粉々になった巨大な幾何学破片が、白銀の吹雪となって太平洋の海面へと降り注ぐ。
母機【NX零二】の機首が、その破片の嵐を突き破った。
分子再構築機能が外皮の微細な損傷を火花とともに瞬時に修復していく中、風防の向こうに、障壁を剥ぎ取られた敵多面体の黒鉄色の本体外殻が、無防備に姿を晒していた。
「障壁の完全破砕を確認」
みなみの報告が、操縦席の張り詰めた空気を切り裂く。
剛田が咆哮を上げ、布巾が巻かれた操縦桿をさらに押し込んだ。
陣内が冷却弁の最終段を開放し、推進器が蒼白い爆炎を噴き上げる。
多面体の奥、南の彼方には、濃密な相転移の暗雲に閉ざされたマリアナ海溝が、巨大な口を開けて待ち構えていた。
空を制した連合大軍勢の切っ先は、いまや深海の深淵へと向けられていた。




