僕たちの学校が消えた日
割れた空の破片が紫紺の光となって降り注ぐ中、複座型中枢母機【NX零二】は成増基地の地下深くへ滑り込んだ。
電離気体推進器の噴射が止まると、格納庫に立ち込める重油と消火ガスの匂いの中に、金属が冷え切っていく甲高い軋み音が響いた。
「おい、剛田を抱えろ」
カズの怒声が飛んだ。昇降口が開くや否や、駆け上がった救護班が機体制御手の剛田を座席から引き抜いた。両腕を締め上げていた緊急用の金属固定具が外された瞬間、鬱血した筋肉の激痛に剛田の顔が歪み、そのまま床へ崩れ落ちた。
「くそっ、腕の骨がきしみやがる。だが、操縦桿は、最後まで離さなかったぞ」
剛田は荒い息の下で歯を食いしばり、痛む両拳を握りしめた。
その隣で、包帯を巻かれた右手で緊急燃料弁を締め切った陣内が、座席に倒れ込むようにして天井を仰いだ。
「第二熱交換弁、完全に焼き付いた。機関の配管も限界だ。あと30秒飛んでいたら、空中分解だった」
副座観測手のみなみは、防眩眼鏡を外して充血した目を細めながら、主計器の記録装置を抜いて胸に抱きしめた。足の震えを隠すように、壁に手をついて自力で立ち上がる。
そして、主操縦席の多朗であった。
首筋から背中へ直結されていた冷却配管が切り離されると、激しい熱痛が神経を逆流し、多朗は息を詰まらせた。全身の力が抜け落ち、膝が砕けそうになりながらも、多朗は仲間たちの手を借りずに自力で昇降台の鉄階段を踏みしめて降り立った。
「多朗!」
駆け寄ってきた御統琴音が、倒れそうになる多朗の身体を正面からしっかりと抱きとめた。
琴神の瞳には大粒の涙が浮かんでいたが、懸命にそれを拭い、温かいお茶の入った筒を多朗の唇へ当てた。そして、煤と汗に汚れた多朗の頬を、濡れた手拭いで優しく拭った。
「馬鹿、無茶ばかりして。顔中、真っ黒じゃない」
「琴音、ありがとう。お茶が、身体に染みるよ」
喉を潤した多朗は、深く息を吐いた。そして、煤と血にまみれて母機を整備し直すヤイジとヤマさん、通信盤を睨むキヨシ、自動小銃を肩にかけたカズへ向かい、深々と頭を下げた。
「後藤教官、石田教頭、稲葉教官、山口教官。みなさんが命がけで繋いでくださったおかげで、僕たちは無事に帰ってくることができました。心から、感謝申し上げます」
極限の戦場から生還した直後であっても、決して傲ることなく、大人たちの労苦へ最高の礼節を尽くす。その澄んだ瞳と謙虚な態度に、カズは頭を乱暴に掻き、苦笑いを浮かべた。
「礼を言うのはこっちだ、上宮。お前たちが空で踏ん張ってくれたから、この街も俺たちもまだ形を保っている」
だが、その場に安堵の空気が広がることはなかった。
壁面の主通信受像盤が、甲高い警報とともに真っ赤な文字を点滅させた。
宇宙監視センターからの最優先暗号公電であった。
表示された地球全図の上で、太平洋のマリアナ海溝、ユーラシア大陸の断層帯、さらには月面の裏側に至るまで、無数の赤い警戒信号が同時に激しく脈打っていた。
「おいキヨシ、これは何だ」
カズが険しい顔で画面を指差した。キヨシが眼鏡の奥の目を眇め、通信文を冷たく読み上げた。
「成増の上空で空の天井が砕け散った衝撃が、地球全土の空間の継ぎ目を連鎖的に壊したんだ。深海でも大陸でも、空間の裂け目から異次元の結晶が湧き出し始めている。局所的な防衛の段階は完全に終わった」
キヨシはそこで一度言葉を切り、床に座り込む多朗たちを見据えた。その表情には、苦渋と覚悟が混ざり合っていた。
「極東防衛統合司令部から、正式な通達だ。本日この刻を以て、都立成増航空高等学校の組織は完全に解体、凍結される」
「えっ」
琴音が息を呑み、多朗の腕を握る手に力を込めた。
「学校が、解体って、どういうことですか」
「文字通りの意味だ、琴音」
カズが重々しく告げた。
「今日で、学校はおしまいだ。お前たち生徒も、俺たち教官も、全員が看板の掛け替えだ。これより本基地は、地球全体の防衛を担う【世界連合特務中枢迎撃大隊】へと改編される。生徒という甘えの盾は、もうどこにも存在しない」
重苦しい沈黙が格納庫を支配した。
教科書を開き、油まみれで実習を笑い合い、放課後に部室で駄弁る。そんな当たり前の日常は、空が割れたこの日を境に、永遠に過去のものとなったのである。
手当てを終えた後、多朗と琴音は、静まり返った旧校舎の屋上へ上がった。
冷たい秋の風が二人の制服を揺らす。
見上げた天空には、もはや青空の欠片も残っていなかった。
薄暗い紫紺の光が空を支配し、巨大な鏡が割れたような無数の白いひび割れが、空の端から端まで蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。その亀裂の隙間から、虹色の極光が音もなく地表へと零れ落ちている。
「本当に、空が割れちゃったんだね」
琴音が空を見上げ、呟いた。その小さな肩が、寒さとは違う震えに揺れていた。
琴音は多朗の袖をぎゅっと掴み、顔を上げた。
「学校がなくなって、世界連合の部隊になっても、あんたの幼馴染は私だけだからね。あんたの世話を焼くのも、ご飯を作るのも、私の役目なんだから。死ぬなんて絶対に許さないんだからね」
必死に涙を堪え、強がる琴音の温もり。
多朗はその手を優しく包み込み、静かに微笑んだ。
「うん。約束するよ、琴音。どんな世界になっても、僕は必ず君のところへ帰ってくる」
屋上の給水塔の陰から、古びた『怪奇大全』を胸に抱いた九条が足音もなく歩み出た。
夕暮れのない紫色の光の下、九条の足元に落ちる影は、やはり一つだけ欠落していた。
「前の世界線でも、空が割れた直後に学校が軍隊に変わったよ」
感情を削ぎ落とした、平坦な声が響いた。
「大人はいつも、世界を守るという名目で新しい争いを始めるんだ。中国北朝鮮の工作員も、海底の古代兵器も、みんなこの割れた空の下に集まってくる。ここからが、本当の地獄だよ」
九条の言葉を裏付けるように、遠く北西の空の彼方で、異様な閃光が鈍く瞬いた。
僕たちの学校が消えた日。
三次元世界そのものの存亡をかけた、果てしない大戦の幕が切って落とされた。




