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都立 成増航空高等学校  作者: 秋津ネオ


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侵食の足音

 高圧電磁医療室の冷え切った空気の中、緑色の計器光が淡く揺らめいていた。


 円筒形の密閉医療槽を満たす青澄んだ冷却液の底で、上宮多朗は深い眠りに沈んだままであった。新宿決戦から武蔵野境界に至る連続過負荷により、全身の生体端子は灼熱の余燼を放ち、微細な気泡が肌の表面から立ち上っては濾過器へと吸い込まれていく。


 槽の厚い防弾硝子に、両手を重ねて額を押し当てる少女がいた。

 御統琴音であった。


 息を詰めるようにして多朗の蒼白い寝顔を見つめる瞳には、涙が溢れそうになりながらも、必死にそれを堪える痛切な光が宿っていた。


「多朗、お願いだから目を覚まして。あんたがこんなになるまで、私、何もできなくて」

 震える声が静寂に落ちる。琴音は固く握りしめた小さな布袋を胸元に抱きしめていた。多朗が目を覚ましたときのために用意した、冷めた塩結びと手拭いであった。日常の象徴たるその温もりだけが、琴音をこの過酷な現実へ繋ぎ止めていた。


「琴音、多朗の神経修復波形は安定期に入っているわ。取り乱しては駄目よ」

 隣で壁面の生体受像盤を凝視していた相羽みなみが、乾いた声で言った。点眼薬で充血を抑えた双眸には、氷のような理知と、決して折れぬ覚悟が同居している。


「端子の過熱状態は、三十時間を経過すれば臨界値を下回る。今は、多朗の強靭な意志と肉体を信じるしかないわ」


「わかってる。わかってるよ、みなみちゃん。でも、あんまりじゃない。多朗ばかりにこんな無茶を背負わせて」

 琴音の悔しげな呟きに、治療用の長椅子に深く沈み込んでいた剛田が、痛みに歪む顔を上げた。


 剛田の両腕には、筋繊維の破断を治療するための分厚い電磁温熱湿布が巻かれ、副木で強固に固定されている。わずかに指を動かすだけで、脂汗が額を伝い落ちた。


「琴音の言う通りだ。情けねえったらありゃしねえ。多朗が一人で空間の裂け目を背負い込んで戦っていたってのに、俺の腕は母機の操縦桿に負けて悲鳴を上げちまった。主操縦手を守るのが機体制御手の役目だろうが」


「己を責めるな、剛田」

 隣の治療台で、耐火手袋越しに爛れた右手を白布で固められた陣内が、低く絞り出すように遮った。


「あの極限状態の中、電離気体推進器の爆圧を腕力で抑え込んだお前がいなければ、全員が新宿上空で原子の塵になっていた。生きて母機を地下へ戻した。今はそれだけで十分だ」


 主操縦席の四人が傷つき倒れたこの狭隘な医療区画を、六基の自律型小型無人機が滞空して守備円陣を敷いていた。


「多朗ちゃんの脈拍、平時水準へ復帰中。冷却液の対流速度を0.2%微調整するよ」

 生体支援を司るサン番が、医療槽の接続部へ細い給気管を繋ぎ、慎重な監視を続ける。


「多朗の意識深度、第四階層から第三階層へ浮上傾向。脳波の乱れは鎮静化している」

 知性派のニ番が解析数値をみなみの端末へ転送した。その傍らで、後方の光学受振器を震わせていたロク番が、鋭い電子音を立てて武士口調で告げた。


「不穏なる電波の交信、基地外郭の遮蔽網をすり抜けて侵入しつつござる。怪しき影、間近に迫ってござるよ、ご先祖様!」

 すかさずニ番が機体を寄せ、ロク番の天板を小型突起で小突いた。


「ロク番、雑音が多い。探知帯域を絞れ」


「ボクの徹甲弾はいつでも装填完了している。この部屋へ踏み込んでくる敵は、肉片一つ残さず蜂の巣にしてやるよ」

 火力至上主義のヨン番が武装懸架部を激しく旋回させ、その前方をゴ番が厳密に塞いだ。


「僕の電磁偏向防護壁を二重展開する。多朗と琴音、みなみには、指一本触れさせない」

 六基はそれぞれの職掌に従い、無駄な言葉を削ぎ落として迎撃態勢を維持していた。


 部屋の隅、外灯の届かぬ暗がりから、古びた『怪奇大全』を胸に抱いた九条が足音もなく歩み出た。床に落ちる影は、やはり輪郭が一つ欠落している。

「大人の防壁が、綻び始めているよ」

 感情を完全に削ぎ落とした、平坦な声であった。

「太平洋の沖合でも、月面の裏側でも、五族協和軍や古代天人の艦隊が時間を稼いでいる。でも、人間の欲望は、異次元の結晶よりも速く地下へ染み込んでくるんだ。この街の足元に、悪意の刃が届いている」


 その直後、医療室の主通信盤が、赤い非常警告光を激しく明滅させた。

 受像盤に浮かび上がったのは、山間部の地下深くに秘匿された極秘観測拠点、宇宙監視本部からの最優先暗号通信電文であった。


『陸上防衛部隊指揮官・上宮一馬、並びに数理中枢研究員・上宮悠人より、成増基地地下医療区画へ緊急通報。東京都下の地下送電網、並びに成増周辺の旧式地下排水暗渠において、複数箇所の熱源偽装反応を観測。中国北朝鮮の特務工作統合局が放った暗殺工作班が、外郭警戒網を突破し、成増基地深部へ侵入を開始した。標的は生体端子保持者・上宮多朗の肉体、及び中枢母機NX零二。全員、防護配置へ移行せよ』


 兄たちからの電文には、一切の情念が交えられていなかった。兄たちは旭町社務所の秘密も、世界の霊的真理も知らない。ただ目の前にある軍事測定値と数理の異変だけを頼りに、傷ついた弟の命を守るべく、的確極まる迎撃座標を叩きつけていた。


 重厚な鉛の扉が外側から乱暴に開き、自動小銃を構えた後藤教官と、防弾胴衣を身につけた石田教頭が雪崩れ込んできた。


「相羽、剛田、陣内、生徒諸君は多朗の槽を囲んで伏せていろ」

 後藤が太い声で号令を下した。顔面には歴戦の軍人特有の冷徹な殺気が漲っている。


「大人を舐めるなと、あの工作員どもに教えてやる。ここは成増航空高校の聖域だ。生徒一人すら守れずに、何が極東の防衛部隊か」


 石田教頭が壁面の非常配電盤を操作し、医療室の主照明を遮断した。非常用の淡い赤色光だけが部屋を包み込む。

「外郭の防衛隊は敵の陽動に引っ張られました。敵工作班は、多朗君の脳波停止、あるいは身柄の強奪を狙っています。剛田君、動けない身体で無理をするな。我々が盾となる」


「教官、僕も戦えます」

 包帯を巻かれた腕を吊るしながら立ち上がろうとする剛田を、後藤が一喝した。


「馬鹿者が。貴様らの役目は、次の戦場で母機を飛ばすことだ。死ぬ気で生き延びろ」


 そのとき、医療室の天井を走る巨大な給気通気口の奥から、鋭利な金属が擦れ合う微細な異音が響いた。

 闇の中から、消音器を装着した銃口の先端が、通気口の防護格子を押し破って姿を現す。中国北朝鮮が誇る最精鋭暗殺工作班の、黒ずくめの夜間暗視面が覗いていた。

 敵の指が、医療槽の多朗へ向けて引き金にかかる。


「そこまでよ!」

 みなみが即座に叫び、同時に六基の無人機が弾丸のごとき速度で天井へ跳ね上がった。


 冷却液の底深くで、多朗の瞼が微かに震えた。


 精神の暗黒領域を漂う多朗の意識へ、琴音の祈り、仲間たちの覚悟、そして遠い旭町社務所で見つめる超越少女マナの金色の瞳が、一条の光となって差し込もうとしていた。

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