天元の観測者
時間の流れが凍結した、遥かなる未来の境界。
恒星の光すら届かぬ超知性オテントサマの演算中枢において、白銀の髪をした少女が、たった一人で純白の玉座に座していた。
その周囲には、青白い光を放つ無数の球体が浮かんでいる。過去に破滅を迎えて消滅していった、幾万もの並行世界の記録だった。
玉座のマナは、その透き通るような指先で、一つだけ激しく脈打つ小さな光球にそっと触れた。
新宿地下大断層で、まさに死線を超えようとしている多朗たちの世界線。
マナの金色の瞳に、深い情愛と哀愁の光が宿った。
『多朗さん。私の肉体に流れるこの血潮は、すべてあなたから始まった命の連なりです。あなたがここで途切れれば、私という存在も、この未来も水泡と帰す。どうか超えてください。私の愛する始祖さま』
時空の深淵を越えて、未来の子孫からの超越演算が、過去の新宿へと注ぎ込まれた。
新宿地下数百の深さにある暗黒空洞。
大気を焼き焦がす異様な重力嵐が吹き荒れていた。
暗黒の深淵の底、東京の地下水脈と地殻の活力を貪り喰らいながら、黄金と蒼氷の結晶巨塔が最終相転移を開始していた。
無数の鋭利な棘が四方八方へ突き出し、空間を多面体に切り裂く星型完全体へと開花していく。
『ぐああああっ』
垂直降下を仕掛けた漆黒の初号機が、結晶の放つ不可視の重力障壁に叩きつけられた。前進翼の端から火花を吹き、榊が歯を食いしばって操舵桿を引き戻す。
後続するNX零二の操縦席でも、警報音が絶叫のように響き渡っていた。
『計器類、全回路で熱暴走を検知』
相羽の叫びが轟く。多朗の右手の生体端子が激痛に震え、白煙を吹き上げた。
『多朗、通常攻撃の侵入角が存在しない』
本郷の悠人の通信が雑音に掻き消されかける。
星型完全体への相転移完了まで、残された刻限は三十秒を切っていた。
敵の切子面が一斉に反転し、機体を塵芥へと粉砕する紫黒の絶対光線が放たれようとした、その瞬間だった。
成増基地を出撃した時から、多朗の主操縦席のすぐ横、小さな補助座席にはマナの生体分身が静かに寄り添っていた。言葉を発さず、ただ多朗の命の行く末を見守るように同乗していた少女の瞳に、未来の本体からの超越演算が一気に注ぎ込まれた。
多朗の横に座っていたマナが、静かに一歩を踏み出した。
銀の髪が重力に逆らって美しく舞い上がり、金色の双眸が不可解な超越幾何学の紋様を浮かび上がらせた。
マナの身体が青白い燐光に包まれ、鋼鉄の天蓋を幻影のようにすり抜けて、虚空へと歩み出た。
『な、何だあの子は。ずっと黙って座っていたのに、どうやって外へ出たんだ』
後席の剛田猛が目を見開き、息を呑んだ。
マナは吹き荒れる重力嵐の空中、何もない虚空を足場にしてすっくと立ち、敵の星型結晶を見据えた。
敵の切子面から、空間を両断する紫黒の絶対光線が放たれた。
マナは動じなかった。透き通るような両の手のひらを前へかざす。
激突の瞬間、轟音は鳴らなかった。
放たれた光線がマナの手のひらに触れた瞬間、空間の屈折率が瞬時に書き換えられ、破壊の光は無害な青白い光の粒子へと平坦化され、霧散した。
『多朗さんを、消させはしません』
マナの澄んだ声が大断層の底に響き渡った。
マナが右手を真横へ一閃させた。
空気が鳴動した。
マナの指先がなぞった空間の境界線が鋭利な刃となり、敵の星型多面体が誇る無敵の切子面を、豆腐を断ち切るように斜めに両断した。
激しい白色閃光が吹き荒れ、絶対に破壊不可能と思われた幾何学結晶の外壁が、一瞬で解体され、内部の剥き出しの核が露出した。
神罰のような規格外の超戦闘能力を前に、榊すら操縦席で息を呑んでいた。
『多朗さん、今です』
虚空のマナの声が、多朗の魂を直接揺さぶった。
『みんな、撃ち込め』
多朗の絶叫に応じ、六基の小型機が一斉に解体された隙間へ殺到した。
ロク番が敵核の制御中枢へ突入して電子針を打ち込み、ニ番が零点座標の同期を完了させた。
ヨン番が全弾を撃ち尽くして核の防壁を剥ぎ取り、ゴ番が発光して敵の修復回路を焼き切った。
イチ番が旋回して友軍の無人機群を導き、サン番が穿孔の突入口を確保した。
『行けえっ』
多朗の右手が青黒い燐光を放ち、機体の生体回路へ命のすべてを注ぎ込んだ。
首都圏の数万機の羽音が巨大な青い光の螺旋となり、NX零二の舳先から放たれた極太の生体光杭が、露出した星型多面体の中心核を真正面から貫いた。
時空が軋み、激しい白色閃光が大断層を満たした。
完全体への相転移は粉砕され、星型結晶は内側から無数の光の破片となって爆散した。
完全相転移は阻止された。
だが、その瞬間だった。
砕け散った超高密度の結晶破片から解き放たれた莫大な次元衝撃波が、大地の深層を激しく突き抜けた。
東京の空を覆っていた目に見えぬ結界が、硝子のように粉々に砕け散る音が響いた。
その異常な振動波は、日本列島を越え、太平洋を渡り、地球全土の地殻と軌道上の防衛衛星網へ向けて、途方もない速度で波及していった。
帝都の局地戦は終わった。
だがそれは、世界列強の超科学軍隊と異種族を巻き込む、地球規模の全面大戦の幕開けにすぎなかった。




