新宿地下大断層
薄明の鈍色に染まる帝都上空を、二条の青白い電離気体が鋭く切り裂いていった。
成増の地下射出坑道から撃ち出されたNX零一とNX零二。
本郷の悠人が告げた世界の終わりの刻限まで、残された猶予は四時間を切っていた。
環状七号線を越え、機体が新宿の上空へ差し掛かった瞬間、操縦席の前面風防を震わせる異様な重力波が多朗たちの全身を締め付けた。
眼下に広がる副都心の摩天楼は、すでにこの世の光景ではなかった。
かつて首都の威容を誇った東京都庁の双子巨塔は、空間の歪みによって巨大な飴細工のように捻じ曲がり、外壁の窓ガラスが白銀の粉となって天蓋へ舞い上がっていた。
都庁前広場の舗装は完全に陥没し、底の見えない暗黒の大断層が、深さ数百メトルの地割れとなって大地を両断していた。
『友軍の防空隊、損耗率が七割を突破』
相羽の冷徹な声が通信機から響く。
大断層を取り囲むように展開していた陸上自衛隊の防空大隊と、五族協和軍の無人戦闘機隊が必死の包囲網を敷いていた。
だが、彼らが放つ無数の誘導弾は、標的に届く直前で不可解な鋭角を描いて反転し、自らの僚機や周囲の超高層ビル街へ突き刺さって巨大な火柱を上げていた。
敵が放つ幾何学的な重力干渉が、兵器の誘導中枢を狂わせ、友軍機を次々と墜落させていた。
『見ろ、あの幾何学の化け物を』
剛田が息を呑み、歯を軋らせた。
新宿地下大断層の底、黒煙の渦巻く暗黒の深淵からそびえ立っていたのは、赤坂で見られた有機的な肉塊とは根本から異なる存在だった。
無数の鋭利な切子面を持つ、巨大な多面体の結晶巨塔。
青白い光を内側から放ちながら、氷の結晶が成長するように規則正しく切子面を増やし、自己増殖を繰り返している。
『多朗、通常弾頭を撃ち込むな』
操縦席の通信板に、本郷の東京大学大学院から悠人の緊急暗号が直結された。
悠人の研ぎ澄まされた早口が多朗の耳朶を打つ。
『赤坂の核は生物的な凝縮体にすぎなかったが、新宿の核は完全に第四段階の幾何学結晶へ相転移している。周囲の空間そのものが多面体として結晶化しており、あらゆる物理衝撃を寸分の狂いもない反射角で跳ね返す絶対鏡面を形成している。対称性の結び目を見つけ出さなければ、接近しただけで自分自身の推進力によって圧搾破砕されるぞ』
『能書きは戦場では通用せん』
前衛を飛ぶ榊の猛烈な怒号が通信網を震わせた。
漆黒の初号機が音速の限界を超えた急降下に入り、結晶の切子面が放つ反射光線の嵐の隙間へ強引に割り込んだ。
『鳴海、妨害幕をばら撒け』
『へいよ、特注の攪乱信管だ』
後席の鳴海が投下した特殊炸薬が空中で炸裂し、黒銀の金属粒子が結晶の鏡面を覆い隠す。
『上宮、ぼさっと見ているな。お前の手駒を放て』
榊の激越な発破を受け、多朗の双眸が青く燃え上がった。
『みんな、行け』
多朗の合図とともに、零二の機体側面から手のひらサイズの六基が勢いよく射出された。
『拙者の電子戦、受けてみよでござる』
オタク属性のロク番が機体を左右に激しく揺らしながら突進し、敵結晶が発振する重力周波数の隙間へ不可視の暗号針を突き刺した。
『多朗、結晶の反射角に百二十八分の一秒の位相空白を検知した』
知性派のニ番が小さなレンズを明滅させ、即座に弱点座標を多朗の操縦盤へ転送する。
『火力不足だ。ボクの追加火薬を喰らえ』
脳筋のヨン番が推進器を全開にして急降下し、ニ番が割り出した死角へ向けて小型特殊弾頭を叩き込んだ。
青白い爆炎が多面体の一角を吹き飛ばし、絶対鏡面に亀裂が走る。
『どうせ僕なんて、成増の不燃ごみの日にお払い箱さ。反射光線を引き受ける盾ぐらいにはなれるだろ』
悲観的なゴ番が自虐の電子音を叫びながら光線の真正面へ割り込み、眩惑光を放って敵の照準を大きく狂わせた。
『おいおい、まじかよ。派手にぶち壊してやろうぜ』
指揮役のイチ番がお調子者らしく旋回し、狼狽していた自衛隊の無人機群を巧みな先導で再編していく。
その間隙を縫い、淡い桃色の光を放つサン番が操縦席の通信機へ必死に語りかけてきた。
『多朗ちゃん、角砂糖はちゃんと飲み込みましたか。心拍数が危険域まで上がっていますから、深く息を吸ってくださいね。手首を強く握りしめすぎて鬱血していますよ』
お母さん属性全開の小言に、多朗の強張っていた全身から余分な力が抜け、澄み切った集中力が戻ってきた。
『ありがとう、サン番。みんな、よくやってくれた』
六基の果敢な攪乱によって、多面体結晶の防壁の一角が激しい音を立てて砕け散った。
鏡面の結界が裂け、大断層の最深部へと通じる巨大な縦穴がぽっかりと口を開けた。
その深淵の底。
東京の地下水脈と地殻の活力を貪り喰らいながら、黄金と蒼氷の結晶が、四方八方へ鋭い切子面を突き出す星型完全体へと、最後の相転移を始めようとしていた。
九条が予言した世界の凍結が、目と鼻の先まで迫っていた。
『榊先輩、突入します』
多朗が叫ぶと同時に、右手の古代血脈を機体の生体回路へ叩き込んだ。
首都圏の空を埋め尽くす数万機の無人迎撃網が、多朗の神経と完全に同期して巨大な光の渦となり、黒鉄の二機を包み込んだ。
『行くぞ、上宮。地の底で決着をつける』
榊の咆哮とともに、NX零一とNX零二は機首を真下へ向けた。
音速の衝撃波が大気を切り裂き、二機の迎撃機と万の羽音は、暗黒の大断層の深淵へ向けて一気に垂直急降下を開始した。




