多面体の相転移
成増飛行場の地下第二格納渠へ滑り込んだ二機の漆黒迎撃機は、白煙を吹き上げながら停止した。
昇降梯子から降り立った多朗は、濡れた鋼鉄の床に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。全身の関節が軋み、右手の指先は感覚を失って冷え切っている。
その足元へ、手のひらサイズの六基の小型機が、甲高い回転音を立てて駆け寄ってきた。
『ご先祖様、ご無事で何よりでござる。敵核を貫いたあの一撃、見事な太刀筋でござった』
オタク属性のロク番が、機体を左右に揺らしながら電子声をひそめて叫び、多朗の爪先へ擦り寄って冷えた指先を心配そうに鼻先で叩いた。
『火力不足だ。次は火薬の量を三倍に増やそう。敵の外殻ごと跡形もなく消し飛ばせば、多朗の右手が痛むこともないぞ』
脳筋のヨン番が推進器を全開にして主張する。
『どうせ僕なんて、煤だらけでガタガタだ。成増の不燃ごみの日にお払い箱さ』
悲観的なゴ番が作業台の隅で項垂れ、青い受感器を弱々しく明滅させた。
そこへ、淡い桃色の光を放つサン番が、多朗の額に受感部を優しく押し当ててきた。
『はいはい、夜遅くに騒ぐと多朗ちゃんの栄養バランスが崩れてお肌に悪いですからね。体温が三十五度まで下がっていますよ。首筋の脈拍も乱れています。水筒の生姜湯は全部飲み干しましたか。汗で湿った飛行服を今すぐ脱いで、乾いた毛布にくるまってください。風邪を引いたら肺をやられますからね』
お母さん属性全開で小言を連発するサン番の愛らしい外殻を、多朗は震える指でそっと撫でた。
『分かっている。ありがとう、サン番。みんなも無事でよかった』
多朗の唇に、安堵の笑みが零れた。
『全員、息を整えたら主作戦室へ集合せよ』
石田教頭の冷徹な号令が格納渠に響いた。
重い足取りで作戦室へ向かうと、地下大空洞の中央に巨大な青色立体投射装置が起動していた。
司令卓の傍らに、銀の髪を揺らしたマナが静かに佇んでいる。マナの金色の瞳が、多朗たちへ世界の終わりの宣託を告げた。
『多朗さん。あなた方が赤坂で対峙したのは、単なる生物ではありません。あれは、世界の次元対称性を喰らって自己増殖する、終わりの幾何学結晶です』
マナの言葉を補強するように、立体投射装置が作動した。
本郷の東京大学大学院から、次男の悠人の通信が直結される。
『休んでいる暇はないぞ、多朗』
悠人の立体像が眼鏡の奥の鋭い双眸を光らせた。
悠人が指を鳴らすと、作戦室の空間いっぱいに世界の立体地図と、それに重ね合わされた幾何学立体の進化図面が展開された。
多朗と相羽、そして工具を手にした四條が息を呑んだ。
図面の左側には、面が少なく丸みを帯びた小さな多面体が描かれている。そこから右へ進むにつれて多面体の面数が急激に増大し、突起が生まれ、右側には黄金と蒼氷の鋭利な結晶が四方八方へ炸裂した星型多面体が描かれていた。
『これが、多面体の相転移』
悠人の眼鏡に、図面の青い光が反射した。
『オテントサマの計算が、敵の正体を定義した。敵は、次元の対称性が崩壊した閉鎖空間を多面体の構造として自己組織化する。悠人兄貴の計算式は、敵が左端の微小核から右端の完全体へと相転移する過程で、この世界の物理法則が根本的に書き換えられていくことを示している』
悠人の指先が右端の星型多面体を指し示した。
『形態が右端の完全体へ達した瞬間、次元の対称性は完全に破壊され、帝都数百万人を呑み込んだ不可逆の閉鎖空間と化す。オテントサマの模擬演算は、その瞬間を世界の終わりの刻限として定義している』
完全相転移までの猶予時間は、四時間を切っていた。
重苦しい沈黙が広がる作戦室の隅、影の中に佇んでいた九条が、胸の『怪奇大全』を抱きしめたまま視線を上げた。
九条は眼鏡の奥の瞳を動かさず、感情の抜けた声で、ぽつりと呟いた。
『形が尖るたびに、世界の時間が細切れになって、凍りついている。一番右の星が開いた時、地上の光がすべて消滅する』
九条の不吉な予言に、室内を流れる空気が一段と冷え込んだ。
『次の戦場は新宿だ』
後藤先生が作戦卓の地図を拳で叩いた。
『東京都庁の直下、地下数百メトルの大断層において、第四段階から第五段階への相転移が始まっている。自衛隊の残存装甲大隊と五族協和軍の特務防空隊が迎撃網を再編成中だが、敵の結晶化が進めば通常兵力は近づくことすら叶わん』
榊が壁に背を預けたまま、血の混じる唾液を吐き捨てて多朗を睨みつけた。
『上宮、赤坂の戦いは単なる前座だ。次が完全体へ化ける前、最後の勝負になる。万の羽音を一つに束ねる覚悟を、もう一度腹に刻んでおけ。今度しくじれば、貴様も俺も、帝都の塵芥となって消えるだけだ』
榊の猛烈な叱咤が、多朗の胸を強く打った。
『了解です、榊先輩』
多朗は引き締まった声で応じた。
四條が無言でねじ回しを握り直して格納渠へ走り、相羽と剛田と陣内が多朗の周囲を固めた。
多朗の肩の上で、ロク番が『拙者も命を捨ててお供仕るでござる』と跳ね、サン番が『多朗ちゃん、出撃前に必ず角砂糖を二つ口に入れてくださいね、低血糖は判断を鈍らせますから』と最後まで心配そうに寄り添った。
滅びゆく世界の命運を賭けた、新宿地下大断層への最終決戦が始まろうとしていた。




