遅いぞ、多朗。存分に暴れてこい
夜の闇を切り裂き、二条の青白い電離気体の光芒が首都の天蓋を滑空していった。
成増の地下射出坑道から撃ち出された漆黒の前進翼機、NX零一とNX零二。
機体にかかる強烈な重力加速度が、多朗たちの肋骨を容赦なく軋ませる。
『高度三千、川越街道から環状八号線上空を通過。都心への侵入角、良好』
通信機越しに相羽の冷徹な声が響く。
眼下に広がる帝都の夜景は、すでに死に瀕していた。
光が丘から練馬、中野にかけての広大な街並みは灯火を奪われ、黒い沈黙に沈んでいる。その先、新宿の超高層群の隙間から立ちのぼる無数の火柱が、低く垂れ込めた雨雲を血のように赤く染め上げていた。
そして、その破壊の爪痕を遥かに超える地獄が、赤坂の直下に口を開けていた。
『見ろ、日枝の杜だ』
前衛を飛ぶ榊の低い唸り声が通信網を震わせた。
赤坂見附の山頂に鎮座していた日枝神社の山王鳥居が、巨大な刃物で両断されたかのように真っ二つにへし折れ、朱色の木片が炎を上げて転がっていた。
九条が部室で呟いた不吉な予言は、寸分違わず現実となっていた。
折れた鳥居の裂け目から、紫黒色の重力霧が噴出し、国会議事堂と首相官邸の敷地を黒い泥土のように侵食している。大地の底から蠢き出た幾本もの肉塊のような触手が、近代建築のコンクリトを玩具のように圧搾破砕していた。
地上では、阿鼻叫喚の血闘が続いていた。
赤坂見附交差点の瓦礫の山に、防衛大学校の制服の上から泥塗れの防弾胴衣を着込んだ若き生徒たちの混成大隊が取り残されていた。
『撃て、小隊長に続け。ここを抜かれたら千代田の防衛線が完全に沈黙するぞ』
喉を嗄らして叫んでいたのは、三男の海斗だった。
海斗の額からは鮮血が滴り落ち、左目を赤く塞いでいた。手にした小銃の弾倉はすでに空になり、足元に転がっていた対戦車誘導弾の発射筒を瓦礫に据え付ける。
数十メトル先から、ぬらぬらと粘液を滴らせた巨大な空間侵食体の先端が、鎌首をもたげて迫っていた。
『喰らいつけ』
海斗が引き金を引いた。
放たれた誘導弾が夜の空気を焦がし、敵の肉塊の直上へ命中した。
しかし、激しい爆炎が晴れた後、敵の外殻には傷一つ付いていなかった。通常兵器の炸薬では、時空を歪める外皮を貫くことすら叶わない。
侵食体が激しい重力衝撃波を放った。
突風が吹き荒れ、海斗の身体は木の葉のように吹き飛ばされて崩落した歩道橋の鉄骨へ激突した。
背骨を打つ激痛に息が詰まり、海斗は血の混じる呼気を吐き出して膝をついた。
周囲の同期生たちも次々と吹き倒され、重機や装甲車の残骸が炎上している。
見上げる空から、黒い触手が海斗の頭上へ向けて音もなく振り下ろされた。
海斗は奥歯を噛みしめ、折れた銃剣を握り直した。
(ここまでか。だが、一歩も引くわけにはいかない)
その死の刹那、天蓋を劈く轟音が夜空を爆砕した。
漆黒の怪鳥、NX零一が音速の限界を超えた急降下で戦場へ突入してきた。
前進翼の切っ先が青い放電を撒き散らしながら、海斗の頭上へ迫っていた触手を瞬時に両断した。
切り落とされた巨大な肉塊がアスファルトへ激突し、黒煙を吹き上げる。
機体後部から鳴海が投下した特殊炸薬の信管が炸裂し、地底から這い出ようとしていた侵食体の群れが激しい絶叫を上げて仰け反った。
『おい、上宮』
通信機から榊の怒声が轟いた。
『いつまでお前の兄貴に尻を拭かせているつもりだ。群れを展開しろ。俺たちの初号機だけでは、この質量を捌ききれんぞ』
『了解』
後続するNX零二の操縦席で、多朗の双眸が青く燃え上がった。
多朗は手首の火傷痕が裂けるほどの力で操縦桿を握り、右手の生体端子を機体の発光回路へ叩きつけた。
多朗の体内を巡る古代の血潮が激しく沸騰し、機体の生体増幅器が青黒い燐光を撒き散らした。
空気が鳴動した。
首都圏上空の待機空域に散開していた自衛隊および連合軍の無人迎撃機群、数千機の通信網が、多朗の生体波形によって一瞬で掌握された。
機能停止に陥っていた無人機群の推進器が一斉に青い火花を吹き上げ、天蓋を埋め尽くす大編隊となって赤坂の上空へ雪崩れ込んできた。
『行け、みんな』
多朗の意識が叫ぶと同時に、零二の機体側面から六基の小型機が勢いよく飛び出した。
『ご先祖様の兄君をお救い申す。拙者の刃、受けてみよでござる』
オタク属性のロク番が武士の気迫を込めて回転翼を唸らせ、海斗を取り囲もうとしていた小型侵食体の眼球部へ特攻同然の体当たりを浴びせた。
『ボクの火力を見せてやる。追加火薬を喰らって木端微塵に消し飛べ』
脳筋のヨン番が特殊弾頭を満載した発射口を連射し、青白い閃光が敵の触手を内側から粉砕した。
『僕の装甲じゃ一撃でスクラップだけど、どうせゴミ箱行きなら目眩ましぐらいやってやるさ』
ネガティブなゴ番が自虐の電子音を叫びながら、眩惑光を放って敵の照準を狂わせる。
『多朗、地上部隊の防衛座標を割り出した。イチ番、散開して迎撃網を誘導しろ』
知性派のニ番が冷静に指示を飛ばし、お調子者のイチ番が『了解だ、派手に暴れ回ってやるぜ』と旋回しながら友軍無人機群の陣形を整えていく。
その頭上を、淡い桃色の光を宿したサン番が必死に飛び回り、海斗の頭上へ通信を叩きつけた。
『多朗ちゃん、地上三十メトルの低空維持は危険すぎます、早く機体を引き起こしてください。それから海斗さん、額の出血がひどすぎますよ。右胸の包帯入れから止血帯を取り出して強く縛ってください。傷口から細菌が入ったら命に関わりますからね』
お母さん属性全開の甲斐甲斐しい小言が、戦場の轟音を突き抜けて海斗の受話器へ響き渡った。
瓦礫の中で呆然と頭上を見上げる海斗の耳に、聞き慣れた末弟の引き締まった声が重なった。
『海斗兄貴、待たせた。成増航空隊、これより敵の第二中枢を完全に粉砕する』
数千機の無人機が織りなす青い光の防壁が、地獄の赤坂の空を満たしていった。
傷だらけの海斗の唇に、確かな笑みが浮かんだ。
『遅いぞ、多朗。存分に暴れてこい』
兄弟の命脈が、夜の戦場で一本の鋼となって結ばれた。




