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都立 成増航空高等学校  作者: 秋津ネオ


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数万機の羽音

 

 操縦席を包む青黒い光の嵐の中で、多朗の意識は引き裂かれそうになっていた。


 計器盤の警告音が頭蓋の骨を内側から叩き割るように響き渡り、視界は白濁した雑音に埋め尽くされている。


『多朗、意識を保て。思考の波形を崩すな』


 石田教頭の硬質な通信が遠雷のように届く。


 多朗の右手が、激しい痙攣とともに青白い燐光を吹き上げた。


 体内に眠る古代の血脈が、機体の無機質な要求を力任せにねじ伏せていく。


 轟音とともに機体外殻の発光が収束し、銀色の回路が沈黙した。


 油圧の排気音が鳴り響き、操縦席の鋼鉄天蓋が跳ね上がった。


 冷たい外気が流れ込み、首筋に突き刺さっていた電極端子が石田教頭の指で引き抜かれた。二筋の鮮血が多朗の襟元を濡らす。


 多朗は座席から転がり出るように昇降梯子を滑り降り、鋼鉄の床に両膝をついた。胃の底から熱い酸が込み上げ、激しく咳き込む。


 その頭上へ、無骨な軍靴の足音が近づいてきた。


『立て、上宮』


 見下ろしていたのは、特務飛行服の胸元を血で染めた榊先輩だった。


 榊は多朗の胸ぐらを掴み上げると、一切の躊躇もなく硬い右拳を多朗の頬骨へ叩き込んだ。


 鈍い破裂音が地下格納渠の天井へ跳ね返る。


 多朗の身体が横倒しに吹き飛び、工具箱の角を薙ぎ倒した。口内に鉄の味が広がり、裂けた唇から鮮血が滴る。


『榊先輩、何をする』


 剛田が怒声を上げ、包帯を巻いた太い腕を振り上げた。だが、相羽が静かにその前に立ち塞がった。


 榊は多朗を見下ろしたまま、血の混じる唾液を床へ吐き捨てた。


『死に損ないの面をするな。機体の神経網に呑まれ、青い光に振り回されていただけの出来損ないが。あの程度の負荷で意識を飛ばしかける精神力で、何が防衛だ。魂を機体の胃袋に差し出す覚悟が微塵も足りていない』


 榊の罵倒は冷酷そのものだった。だが、握りしめたその拳は微かに震えていた。


 多朗の右手が機体の古代回路を無理やりねじ伏せた瞬間の異常な脈動を、榊は操縦席の外から誰よりも敏感に感じ取っていた。


 多朗は震える腕で上体を起こし、滲む血を手の甲で拭った。


『オレは、まだ意識を失っていません』


 射抜くような多朗の視線を受け、榊は鼻先でせせら笑った。


『ならば立って見ろ。貴様が乗るのは、この機体ではない』


 後藤先生が操作卓を叩くと、隣接する第二格納区画の防護扉が重音を立てて両開きに裂けた。


 青白い低圧灯の下、もう一機の漆黒の巨躯が姿を現した。


 榊の乗る初号機と同型の前進翼を持ちながら、胴体部が一回り大きく拡張された複座型中枢迎撃機、NX零二だった。


『勘違いするなよ、子供ども』


 後藤先生の研ぎ澄まされた声が響いた。


『我が成増航空高校が預かるのは、単座の特攻機ではない。榊と鳴海が先行強襲を担う初号機、そして多朗、相羽、剛田、陣内が乗り込むこの弐号機だ。首都圏上空には、自衛隊と地球連合軍が展開する数万機規模の無人迎撃網が存在する。だが、敵の放つ次元嵐によって通常の誘導電波は焼き切られ、前線の友軍機は壊滅的な打撃を受けた』


 石田教頭が冷徹に告げた。


『弐号機の任務は、多朗の特異生体波形を増幅し、機能停止に陥った数万機の無人機群を直接掌握して生体防壁を再構築することだ。貴様ら全員の神経が噛み合わなければ、東京は空から消滅する』


 重い宣告が、地下の冷気に染み渡っていった。


 放課後、多朗たちは校舎西側の立ち入り禁止区画、工作部と航空研究部の合同部室へ移動した。


 薄暗い室内に足を踏み入れた瞬間、待機台の上から甲高い回転音が群れを成して飛び跳ねた。


 多朗の右手が放つ微弱な青い光に反応し、手のひらサイズの六基の小型機が、翅を震わせて多朗の周囲へ群がってきた。


『ご先祖様、大手柄でござるよ』


 オタク属性のロク番が、機体を左右に揺らしながら電子声をひそめて叫び、多朗の肩へ飛び乗った。


『昼間、ご先祖様が地下を豪快に掌握した隙に、極密記録を掠め取ってきたでござる』


『声が大きいぞ、ロク番。階下に聞こえる』


 知性派のニ番が小さな脚でロク番の回転翼を突いて制した。ニ番は多朗の目の前まで浮上すると、小さなレンズを明滅させながら解析記録を多朗の携帯端末へ送信した。


『多朗、状況は極めて深刻だ。君の生体波形は統制層の想定を完全に超越した。実戦教練の段階が前倒しされる』


『おいおい、まじかよ。琴音ちゃんの風速を測定して遊んでる場合じゃなくなったぞ』


 指揮役のイチ番がお調子者らしく旋回しながら騒ぎ立てる。


『火力不足だ。ボクの骨格に荷電粒子砲を追加装甲してくれなきゃ、次の戦闘で撃ち落とされるぞ』


 脳筋のヨン番が推進器を全開にして叫べば、ネガティブなゴ番が部屋の隅の屑籠の上へ着地して呟いた。


『どうせ僕なんて、成増の不燃ごみの日にお払い箱さ』


 そこへ、淡い桃色の光を放つサン番が、他の機体をいさめるように多朗の頬へ擦り寄ってきた。


『はいはい、夜遅くに騒ぐと多朗ちゃんの栄養バランスが崩れてお肌に悪いですからね。頸筋の血も止まっていませんし、体温も下がりすぎています。今夜は消化の良いものを食べて、暖かくして寝てください』


 お母さん属性全開で小言を連発するサン番の受感部を、多朗は苦笑しながら指先でそっと撫でた。


『すまないな、みんな。心配をかけた』


『お前の相棒どもは、相変わらず賑やかだな』


 作業台の奥で半田ごてを握っていた四條が、太い指先で汗を拭いながら笑った。


 窓枠に腰掛けた鳴海先輩が、短く切った紙巻煙草の紫煙を吐き出し、青黒く結晶化した特殊炸薬の信管を放り投げた。


『地底の蜥蜴部隊から巻き上げた裏物だ。四條、そいつをヨン番と弐号機の弾倉へ仕込んでおけ』


 四條が無言で頷き、手際よく組み付けを始める。


 その時、部屋の最奥、擦り切れた『怪奇大全』を胸に抱きしめた九条が、視線を虚空に向けたまま、感情のない声でぼそりと呟いた。


『数字の息が止まっている』


 部室内の空気が一瞬で凍りついた。


 九条は眼鏡の奥の瞳を動かさず、薄い唇を震わせた。


『百年前の関東大震災の直前と同じ、湿った鉄の風が吹いている。地下の断層で、首のない数万の兵隊たちが新宿へ向かって走っている。今夜、赤坂の結界が真っ二つに割れる』


 不吉な予言が落ちた直後、九条の脇にある解析端末が高音の着信音を鳴らした。


 東大大学院の次男、悠人から届いた多重暗号通信だった。


 四條が即座に解読回路を通すと、表示板に複雑怪奇な位相幾何学の構造式が展開された。


 悠人の計算式が弾き出した次元崩壊の予測座標は、九条が今しがた口にした赤坂の地下深層と寸分違わず一致していた。


『悠人兄貴の計算と、完全に重なっている』


 多朗が息を呑んだ。


 超知性オテントサマが統御する世界の軋みが、物理と怪異の双方から同時に現実を侵食し始めていた。


 『無駄話はそこまでだ』


 後藤先生と石田教頭が部室の扉を開けた。


 その後ろには、静寂そのものを纏ったマナが佇んでいた。


『地下巨大模擬交戦室へ入れ。初号機と弐号機の編隊連動、および三万機の無人機群統御演習を開始する』


 円形ドームの模擬交戦室に足を踏み入れると、全天を覆う巨大な半球表示板が青白い光を放っていた。


 東京上空の防空識別圏が映し出され、無数の友軍光点が網の目のように蠢いている。


 多朗、相羽、剛田、陣内が弐号機の模擬座席へ滑り込み、六基の小型機も多朗の操縦盤へ有線接続された。隣の区画では、榊と鳴海が初号機の座席に収まり、冷たい視線を投げてくる。


『演習開始』


 石田教頭の宣告とともに、仮想空間に新宿上空の暗雲が展開された。


 仮想敵の次元歪曲が空間を引き裂き、黒い衝撃波が押し寄せる。


 多朗の右手が強く発光し、三万機の無人機群生体網が多朗の神経へ雪崩のように直結された。


『ぐ、ああああっ』


 数万の視覚情報と推進器の負荷が、奔流となって多朗の脳幹を灼く。


『多朗ちゃん、脳波が危険域です。無理をなさらないで』


 サン番が悲鳴のような警告音を響かせ、ロク番とヨン番が仮想空間の前衛へ飛び出す。


 そこへ、漆黒の初号機が急降下奇襲を仕掛けてきた。


 榊機の前進翼が多朗の未熟な陣形を鋭利に切り裂く。


『群れに溺れるなと言ったはずだ』


 榊の怒声が通信機を揺さぶる。


『万の羽音を一つに束ねられん半端者が、僚機の背中を預かれると思うな。全員道連れで落ちるぞ』


 防壁が崩壊しかけ、多朗の意識が途切れかけたその瞬間だった。


 司令卓に静かに立っていたマナが、青く光る制御端末へ、透き通るような指先を滑らせた。


 空気が鳴動した。


 マナの双眸が不可解な金色の幾何学文様を宿し、人間には認識不可能な未来の超越演算が、仮想空間の通信網へ一瞬で浸透した。


 暴走しかけていた三万機の無人機群が、神の采配を受けたかのように完璧な多面体の幾何学防壁を構築した。


 榊の初号機が放った強襲軌道が、寸分の隙もなく展開された無人機群の結界によって完全に制圧され、空中で停止させられた。


『な、何だこの数値は』


 石田教頭の端末が、計算限界を示す赤色明滅を起こした。


 仮想空間の完全制圧を前に、榊すら息を呑んで絶句していた。


 表示板の青い光を浴びながら、マナは何事もなかったかのように静かに佇んでいた。


 その背後を見つめていた九条が、胸の『怪奇大全』を抱きしめたまま、震える声で呟いた。


『あの子の影、やっぱり一つ足りない』


 東京の心臓部が崩壊するまでの刻限が、冷酷に迫っていた。


 





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