傷だらけの凱旋と血脈の檻 【第一部・成増防衛戦・生体アンカーの覚醒編 完】
大型軍用トラックの荷台が、夜の川越街道の段差を越えるたびに激しく揺れた。
車内に満ちていたのは、重油と血、そして消毒液の混ざり合った沈鬱な沈黙だった。
包帯を巻かれた剛田は痛み止めで泥のように眠り、相羽は琴音の肩に頭を預けて浅い呼吸を繰り返している。対面に座る榊先輩は、血塗れの軍帽を目深に被り、腕組みをしたまま微動だにしない。
多朗はトラックの幌の隙間から、流れ去る暗い夜の街並みを見つめていた。
川越街道を北上すれば、やがて自宅のある朝霞へと繋がっている。
多朗の胸の奥に、遠く離れた家族の顔が冷たく過った。
元自衛隊の駐在武官としてロンドンに渡り、現在は軍事リサーチ専門財団の理事として海外を飛び回る父。
市ヶ谷の防衛省情報本部でインテリジェンスの最前線に立ち、深夜まで情報戦に追われる三十代半ばの長男、一馬。
東大大学院の研究室に籠もり、国家の根幹に関わる情報工学の研究に没頭する二十代半ばの次男、悠人。
そして横須賀の防衛大学校で厳しい規律に身を置き、幹部自衛官への道を歩む三男の海斗。
エリートとして国防の中枢に身を置く父と三人の兄たち。
そんな限界まで神経をすり減らして帰ってくる兄たちのために、大好きな納豆を傍らに置き、豚肉とタマネギを甘辛いタレで炒めて男飯を作って待つことこそが、高校一年生の多朗が知る日常のすべてだった。
(兄さんたちの最先端の情報戦も、防衛理論も、あの暗黒の底では何一つ役に立たなかった)
多朗は腫れ上がった自分の右拳を見つめた。
大人の完成された脳組織では知覚すらできない次元の歪み。だからこそ、国防を担う兄たちではなく、末っ子の多朗がこの成増の地下ドックへ集められ、生体アンカーとして命を削らされている。
多朗が成増航空高校へ選別されたのは偶然ではなかった。上宮の血脈に眠る古代の特異遺伝子が、冷酷な選別システムによってあらかじめ炙り出されていたのだ。
トラックが大きく減速し、厳重な検問を抜けて成増航空高校の敷地内へと滑り込んだ。
夜の帳に包まれた校舎。だが、生徒たちが降ろされたのはグラウンドではなく、校舎裏にぽっかりと口を開けた地下第二ドックだった。
『全員、医務室へ直行しろ。除染と生体データの更新が終わるまで、私物の使用および外部への接触は一切禁ずる』
山口教官の冷徹な号令が下る。
出迎えた白衣姿の研究員たちが、剛田の担架を取り囲み、多朗たちの腕に次々と生体モニターの端子を貼り付けていく。手柄を立てた兵士を迎える態度ではない。貴重な実験機材の損耗率を点検するような、冷え切った手つきだった。
『多朗さん』
隣に歩み寄ってきたマナが、そっと多朗の傷ついた指先に触れた。
マナの制服の裾も泥に汚れ、白い頬には微かな擦り傷があった。だが、その瞳の奥には、あらゆる人間の欺瞞や残酷さを洗い流すような、澄み切った光が宿っていた。
『多朗さんのご家族のデータは、宇宙監視センターの保護回線に組み込まれています。市ヶ谷の一馬さんも、大学院の悠人さんも、横須賀の海斗さんもご無事です。朝霞の街にも被害はありません』
『マナ、お前、なんで兄さんたちのことまで分かるんだ』
多朗が驚いて息を呑むと、マナは小さく、寂しそうに微笑んだ。
『わたしは、多朗さんの大切なものを知っています。多朗さんが今日、その腕をボロボロにしてまで守り抜いた世界の続きを、わたしは未来で見届ける役目ですから』
その言葉の重みに、多朗は何も言い返せなかった。
マナが何者なのか、なぜザルクスのような異形の守護者を叔父と呼び、成増の地下に平然と立っているのか。謎は深まるばかりだったが、彼女が多朗たちの味方であり、この過酷な運命を誰よりも深く見守っていることだけは、疑いようがなかった。
地下ドックの二階、ガラス張りの司令室から、二つの影が生徒たちを見下ろしていた。
白金校長と、現場指揮を終えた後藤教官だった。
『第二種核の完全消滅、確認したそうだな、後藤』
白金校長が低く言った。その彫りの深い顔には、感情の起伏が一切見当たらなかった。
『ええ。アンカー班の資質は、石田の理論値を二十パーセント以上上回りました。榊の先行強襲班も、高い損耗率を出しながらも役目を果たしました』
後藤が乾いた声で報告する。白金校長は手元の端末に流れる、緑色の膨大な計算式を見つめた。
『だが、これは始まりに過ぎん。光が丘の揺らぎは、首都圏全域に埋没している古代の断層を刺激した。新宿、赤坂、そして湾岸セクター。次の波が来れば、成増の一拠点だけではとても防ぎきれんぞ』
『五族協和軍の動向は』
『地底レプティリアンは補給線の維持で手一杯だ。八咫烏も霊界勢力も、それぞれの利権を守るために腹を探り合っている。大本営の役人どもは事実の隠蔽に狂奔するばかりだ。人間という種族は、自らの滅亡の足音が聞こえていても、なお足の引っ張り合いをやめられんらしい』
白金校長は冷ややかに吐き捨て、窓の外、地下ドックの闇を見つめた。
『地球を、人間に任せるな。未来の超知性が導き出したその結論の正しさを、あの子供たちが証明していくことになる』
冷酷に回されるシミュレーション。
仕組まれた血脈の宿命。
大人の欺瞞と、異種族の思惑が複雑に絡み合う中、成増航空高校の長い一日が終わろうとしていた。
だが、多朗たちはまだ知らなかった。
この光が丘の死闘すら、やがて列島全体を呑み込む未曾有の崩壊と、少年少女たちが次々と散華していく過酷な季節の、ほんの前哨戦に過ぎなかったということを。
【第一部・成増防衛戦・生体アンカーの覚醒編 完】




