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【悲報】都会からの美少女転校生、お嬢様すぎて一人で何もできない(旧)  作者: aria


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005 お隣さん

「嘘だろ……」

 

 メモに書いてあった住所に到着した俺は、目の前の光景を前にして、思わず絶句した。新たな問題どころか、人生最大の危機と言ってもいい。


「ここが……本当に箱入さんの叔母さんの家で合ってるのか?」

「はい、間違いありません! あちらの表札に『九条』とございます。……すみません、ここまで送っていただいて。本当にありがとうございます!」


 箱入さんは空色の瞳を輝かせ、深々と頭を下げた。だが、俺の意識はその隣にある、見慣れすぎた自分の家に釘付けになっていた。


(……なんでよりによって、俺の家の真隣なんだよ)


 都会の密集地ならいざ知らず、この広大な土地が余っている田舎で、ピンポイントに隣を引き当てるなんて。もはや天文学的な確率の嫌がらせにしか思えない。


 学校で隣なだけでも胃が痛いというのに、私生活の拠点である自宅周辺までもが、この「歩く火種」の射程圏内に入ってしまったということか。


 朝比奈先生のあの不敵な笑みが脳裏をよぎる。まさか、この状況すら予見して俺を世話役に指名したのではあるまいな。


「浅香さん? どうかされましたか?」


 不思議そうに小首を傾げる彼女。卵色の長い髪が夕陽を弾いて、嫌になるほど綺麗にたなびいている。


「……いや、なんでもない。そこが家なら、もう大丈夫だな」


 俺は視線を逸らし、逃げるように自分の家の門扉へと手をかけた。


「えっ……浅香さん、まさかあちらが貴方のお宅なのですか?」

「……ああ、そうだよ。最悪だ」

「最悪、でございますか……?」


 心底心外だと言いたげな俺の呟きに、彼女は驚いたように瞬きをした。

 

 広々とした庭の向こうに構える叔母さんの家と、俺の家。


 学校でも隣、家でも隣。壁のシミになるどころか、スポットライトを浴びる彼女の影として一生を終える未来が、夕闇に溶ける景色よりも鮮明に見えすぎていた。



          ◆



「……うぅ、浅香さん。浅香さぁん……」


 夜の八時前。夕食を済ませ、ようやく一息つこうとリビングで寛いでいた俺の耳に、切実な助けを求める声と、控えめなチャイムの音が届いた。


(……空耳だよな。そうに決まってる)


 自分に言い聞かせて無視を決め込もうとしたが、チャイムは遠慮がちに、けれど絶え間なく鳴り続けている。


 渋々重い腰を上げ、玄関の扉を細く開けると――そこには、昼間の制服のまま、今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くす箱入さんの姿があった。


「な、なんだよ。こんな時間に……」

「申し訳ありません、お忙しいところ。ですが、もう、耐えられなくて……っ」


 彼女の空色の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。その尋常ならざる様子に、俺の心臓が一気に跳ね上がった。


「何かあったのか?事件か?不審者でも出たのか?」

「い、いえ……その。……外から、恐ろしい軍勢の声が聞こえてくるのです」

「軍勢?」


 耳を澄ませてみる。聞こえてくるのは、リリン、リリン……、コロコロ……という、この時期の田舎では当たり前すぎる秋の虫たちの合唱だ。


「これのことか? 鈴虫とかコオロギだろ」

「あんなに、あんなに大勢で鳴くなんて聞いておりません……! 都会では聞こえても一匹か二匹でしたのに、ここでは何万という怪物が屋敷を包囲しているようで……。叔母様もまだお帰りにならず、暗闇の中で一人であの声を聴いているうちに、私、怖くて、怖くて……っ」


 今にも膝から崩れ落ちそうな彼女を見て、俺はまた天を仰いだ。

 都会のお嬢様にとって、街灯も少ない田舎の夜に響く虫の爆音は、未知の恐怖でしかないということか。だが、虫の音が怖いからと隣家に駆け込んでくるのは、防犯意識というものが欠如しすぎていると言わざるを得ない。


「……はぁ。わかったから、とりあえず中に入れ。そんなところで立ち話してたら、それこそ不審者に間違われる」

「あ、ありがとうございます……っ。浅香さんは、本当にわたくしの救世主です……」


 俺の家にあげた瞬間、彼女は安堵のあまり深い溜息をついた。


 リビングのソファに座らせ、温かい茶を出してやると、彼女はコンビニのレモンティーの時と同じように、カップを両手で大切そうに包み込んでいた。


「……落ち着いたか」

「はい。……人の気配がある場所が、これほどまでに安心するものだとは存じませんでした」


 まだ夜の八時を回ったばかりだというのに、俺のプライベートな空間は、すでにこの場違いな美少女が放つ甘い香りに支配されていた。


 その落ち着かない意識を強制的に引き剥がすように、テーブルの上で黒い端末が激しく振動を始める。


「……悪い、電話だ」


 リビングで縮こまっている箱入さんに断りを入れてから、俺は震えるスマホを手に取った。画面に表示された『朝比奈陽菜』の文字を見た瞬間、俺の胃は今日一番の激痛を訴えた。


 この人、絶対に状況を分かっててかけてきてる。


「……もしもし」

『あ、浅くん? 新学期初日お疲れ様! 箱入さんとは仲良くやってる?』


 受話器越しに聞こえる、いつもの明るい声。だが、その裏に隠された邪悪なニヤけ面が容易に想像できて、俺は奥歯を噛み締めた。


「仲良くも何も……陽菜姉、あんた知ってたんだろ。箱入さんの叔母さんの家が、うちの真隣だってこと」

『えへへ、バレちゃった? だって、不慣れな土地で心細いお嬢様には、信頼できる「弟くん」が近くにいた方が安心だからね』


 さらりと言ってのける。そう、この朝比奈陽菜という女は、俺の母の姉の娘――つまり俺の従姉だ。

 昔から俺を「可愛い弟」という名のおもちゃにしてきた天敵である。


「『弟くん』って……俺はただの巻き添えだ。だいたい、今その箱入さんが虫の音が怖いって泣きついてきて、うちのリビングにいるんだぞ。どうにかしてくれよ」

『え! もうお家デートしてるの!? 浅くん、中々大胆だねー』

「茶化すな! 叔母さんはいつ帰るんだよ」

『あー、歌凛ちゃんの叔母さん……九条さんね。彼女、私の知り合いでもあるんだけど、さっき「急なトラブルで今夜は帰れそうにない」って連絡あったよ。だから、よろしくねっ!』


 ブツッ、という無情な音とともに通話が切れた。


「……クソ、あの教師」


 思わずスマホを握りしめた俺の視線の先には、カップを手に持ちながら、不安そうにこちらを伺っている箱入さんの姿がある。その空色の瞳と視線がぶつかり、彼女は申し訳なさそうに身を縮めた。


「あの……朝比奈先生から、何か?」

「……陽菜姉、じゃなくて朝比奈先生から。叔母さん、今夜は急用で帰ってこられないってさ」


 俺の言葉に、彼女の顔からサァッと血の気が引いていくのが分かった。外では相変わらず、彼女にとっての「怪物の軍勢」こと秋の虫たちが絶好調で合唱を繰り広げている。


 家の中でも、外でも、逃げ場がない。


 そして何より、従姉である陽菜姉の掌の上で完璧に転がされているという事実が、俺の平穏を完膚なきまでに叩き潰していた。

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