012 好意
「でさ! 最近どうなのよ、箱入さんと!」
放課後。ファミレスのボックス席に腰を下ろすなり、朱音からの尋問が始まった。
その隣では、すべての事情を察している繋が、相変わらずの下卑た笑みを浮かべてこちらを観察している。
(……あの顔、絶対この前のこと思い出してるだろ)
「別になんもないぞ」
「そんなわけないじゃん、あんなに仲良さそうに話してるのに!」
「いや本当に何もない。せいぜい平穏な隣席関係だ」
「隣席どころか家も隣でしょ?」
「まあな」
「もうその時点でイベント発生条件満たしてるからね?」
朱音の語る「イベント」という言葉が、嫌なリアリティを持って脳裏をかすめる。世間知らずな彼女との生活は、望まずとも非現実的なハプニングの連続だ。
普通なら「美少女との隣人生活」に浮き足立つ場面なのだろうが、冷静に分析すれば、それはトラブルの火種が常に隣り合わせであるというリスクに他ならない。
平穏な隣席関係。そう自分に言い聞かせてはいるが、一度狂い始めた日常は、俺の手元を離れて複雑に絡み合っていた。
「特にあの事件以来、目立ったことも起きてないしな」
「ふーん……」
「なんだよその、何か知ってます、って顔」
朱音の視線がじっとこちらを射抜く。
妙に確信めいたその眼差しは、わずかに、けれど確実にこちらの内側を覗き込んでくるようで、少しばかり居心地が悪い。
「実はねー、箱入さんから聞いちゃったんだよね。制服の話」
「え、なにそれ詳しく」
繋が身を乗り出して食いつく。最悪だ。
制服の話。その単語に心当たりがありすぎて、一瞬だけ思考が停止した。数日前、新しい制服に身を包んだ彼女が、着方を確認してほしいと朝から俺の家を訪ねてきたあの光景――。
「ああ、あれか」
「『あれか』じゃねえよ! ちゃんと説明しろ」
繋の剣幕に押され、なるべく淡々と、言葉を選んで返す。
「ただ朝、俺の家に来て制服の着方が合ってるか確認しただけだ。特に何かあったわけではないぞ」
嘘は言っていない。あまりの似合いぶりに見惚れてしまい、結果として彼女を茹で上がらせてしまったという「過程」を、律儀に共有してやる義理はないだけだ。
「……は?」
繋が、口を半開きにしたまま固まる。嫌な沈黙だ。嫌な予感しかしない。
隣では朱音が、獲物を追い詰めた肉食獣のような笑みを深めていた。その瞳に宿る確信めいた光が、ちりちりと肌を刺してくる。
「ちょっと待て、情報量がおかしい」
「どこがだ」
「『朝、家、来た』の三コンボがもうアウトなんだよ!」
「いやまあ隣だしな」
物理的な距離の問題だろう、どう考えても。内心の動揺を押し殺し、平然を装って言い切る。
「いや『隣だからセーフ』みたいに言うな!」
「距離の問題じゃないの!」
朱音が身を乗り出し、テーブルを叩かんばかりの勢いで詰め寄ってくる。その瞳に宿る確信めいた輝きは、こちらの消極的な抵抗など一切意に介していない。
「しかも箱入さんって転校してきたばかりじゃん?」
「まあな」
「で、親戚の家に住んでるんでしょ?」
「そうだな」
「その状況で、わざわざ燈真の家に来てるの、どういう意味か分かる?」
「近いからじゃないのか」
それ以外に理由があるのか。だが、朱音は人差し指を左右に振り、わざとらしいほどに深い溜息をついてみせた。
「違う違う。いい? 慣れない環境で不安な時って、人って『安心できる相手』を選ぶの」
「……」
「その相手に、燈真がなってるってこと」
(……いや、それは考えすぎだろ)
朱音の言葉が、俺の思考回路を無遠慮に土足で踏み荒らしていく。
安心できる相手。彼女にとっての俺が、単なる「隣席のクラスメイト」以上の存在になっているという指摘。
そんな期待を抱くだけ無駄だと理性では分かっているし、そもそも俺自身、彼女に対してそういった特別な感情を抱いている自覚もない。
確かに、あの時の顔はやけに印象に残っている。赤くなって、視線を彷徨わせていたあの姿。
(……いや、それだけだ。それ以上の意味なんて、あるはずがない)
「それは単に近いからだろ」
「近いだけで男子の家に行くほど、人は安心しないから」
朱音は呆れたように肩をすくめる。その動作一つとっても、俺の言い分が彼女には通用していないことが見て取れた。
「他にも頼れる人くらいいるでしょ?」
「……クラスメイトなら、いくらでもいるだろうな」
「なのに選ばれてるのは、燈真なの」
なぜそう断言できるのか。俺には、そっちの方がよっぽど理解できない。
「いや、効率の問題だろ。隣なら移動時間がゼロに近い。彼女なりの効率的な判断の結果だ」
「効率だけで男子の家に飛び込む女子なんていないの!」
朱音の怒号に近い反論に、俺は言葉を失う。
「恋愛」という感情が絡むと、世間一般の行動原理はこうも非効率的になるのだろうか。だとしたら、俺には一生理解できそうにない。
「で? その向けられてる好意についてはどう思ってんの?」
「……信頼は、されてると思う」
「それ、恋愛の一歩手前だからね?」
「いや、恋愛的なやつじゃないだろ。あいつは世間知らずだし、人との距離感を測りかねているだけだ」
「その世間知らずな子が、わざわざ『頼る相手』を選んでるのが重要だって言ってるの!」
話がどんどん、面倒な方向へ転がっていく。ちりちりとした焦燥感が、胃のあたりを突き上げる。
「仮に好意があったとしても、お前らの言うのとは違うと思うぞ」
「どう違うの?」
「……お世話係とかに向けるやつだな。忠実な家臣に対する信頼に近い。彼女にとって俺は、そういう存在だ」
口にして、少しばかり虚しさが込み上げる。
「安心できる相手=お世話係って発想、どうなってんのよ!」
「実際そうだろ。俺は彼女にとって都合のいい、便利な一般男子に過ぎない」
そういうことにしておくのが、一番楽だ。
恋愛なんて、俺のような人間には無縁な、どこか遠い世界の出来事のはずなのだ。
だが、朱音は勝ち誇ったような、それでいてどこか同情を孕んだ笑みを深めた。
「『便利』だと思われてる相手が一番距離近いの、ラブコメあるあるだからね?」
「じゃあさ、燈真は箱入さんのこと、本当はどう思ってんの?」
「……普通にクラスメイトだな。恋愛的な意味は、断言してもいいがゼロだ」
努めて平坦な声で、自分自身に言い聞かせるように答える。俺にとっての彼女は、放っておけない危うさを持つ「保護対象」に近い。そこに色恋が介在する余地など、今のところ見当たらなかった。
「ゼロかあ……。まあ、出会って一週間だもんな」
「一週間で家に来る距離感になってるのが、まず異常なんだけどね」
それは俺も思う。
朱音は呆れたように肩をすくめるが、すぐに何かを企むような目つきに変わった。
「球技大会で、一気に変わるかもね」
「変わらねえよ」
「環境が変わると、人の見方も変わるから。例えばさ、活躍してるとこを見られて」
「ないな」
「見直されて」
「ない」
「で、気づいたら意識されてるやつ」
「……やめろ」
彼女の語るテンプレート通りの展開は、俺にはあまりに現実味が欠けている。そもそも、俺が彼女の前で華々しく活躍する姿など、どう想像しても思い浮かばなかった。
「まあいいや。どうせそのうち分かるでしょ」
「何がだ」
「箱入さんが『ただ頼ってるだけ』じゃなくて、ちゃんと燈真を選んでるってこと」
朱音の言葉が、俺の思考の端に小さな棘のように刺さる。
選んでいる。その主体的な意志が彼女にあるのだとしたら、それは「お世話係」という俺の定義を根本から覆してしまう。
「……考えすぎだろ。彼女はただ、選択肢が他にないだけだ」
「はい、出ました。後で効いてくるやつ」
軽く聞き流す。
……つもりだったが、胸の奥に小さな違和感が居座っている。
少しだけ、何かが引っかかっている。その自覚があること自体が、最高に面倒くさかった。




