011 種目決め
「浅香さん、球技大会とは何か大きな催しなのでしょうか?」
不意に投げられたその問いは、内容のわりにやたらと荘厳な響きを伴っていた。
隣を見れば、箱入さんがまるで国の存亡を左右する会議に臨むかのような真顔でこちらを凝視している。
(……いや、ただの学校行事だぞそれ)
「催しって……。まあそれなりに大きいんじゃないか? 予定見た感じ三日間行われるみたいだし」
「そうなのですね」
「俺も今年が初めてだから詳しくは分かんないけどな」
実際のところ、俺自身も大した情報を持っているわけではない。
知っているのはせいぜい、なんとなく楽しそうな行事、という曖昧な印象くらいだ。
(……まあ、その程度の認識でも問題ないだろ。どうせ気合いを入れて臨むようなものでもないしな)
「浅香さんは何の種目を選ぶのですか?」
「俺は無難に卓球とバド。箱入さんは?」
「ええと、私はまだ決まっていません。どの競技が自分に向いているのか分からず……」
「そんなの気にしなくていいんだよ。これはただのお祭りみたいなもんなんだから、気楽に選んだ方がいいと思うぞ」
アドバイスを受けた彼女は、「気楽、ですか……」と、その言葉の定義を頭の中で慎重に精査しているようだった。
彼女のことだ、おそらく『気楽』という概念すら辞書的な意味から逆引きして検討しているに違いない。
「では、バレーとバドミントンをやってみようと思います!」
「おう、いいんじゃないか」
「ですが、浅香さん。……あのような激しい動きを、皆様の前で披露してもよいのでしょうか?」
「……? そりゃあ、球技大会なんだから、みんなの前でやるだろ」
至極当然の事実を告げただけなのだが、彼女はなぜか頬をわずかに赤らめ、困惑したように視線を彷徨わせた。その羞恥の理由が俺には全く見当もつかない。
「そうなのですね。……やはり、チュチュというものは、集団で着用すると壮観なのでしょうか」
「……は?」
「それに私、慣れないトウシューズであのような優雅な跳躍ができるかどうか……」
出てくる単語の方向性が、完全に別の世界線に踏み込んでいた。
チュチュにトウシューズ。球技大会という単語の横に並べるには、あまりにも場違いな精鋭たちである。
俺の脳内で、ジャージ姿の集団に混ざって一人だけ白鳥の湖を踊る箱入さんの幻覚が生成され、即座に強制終了した。倫理的にも競技的にもアウトだ。
「……待て、箱入さん。あんたが言ってるのって、もしかして『バレエ』のことか? 踊る方の」
「えっ? ……違いましたか? 球技大会というからには、皆様で美しく舞い、その芸術性を競い合うものだとばかり……」
違う。惜しくも何もかも違う。音が似ている以外の共通点が存在しない。
「悪い。根本から違う。やるのは”球”を使う方だ。舞わないし、跳ねるのはボールの方だ」
「……っ、そ、そうですよね……。あの、今の発言は忘れていただけると助かります……」
耳まで真っ赤にして俯く彼女を見て、俺は微妙に胸が痛くなった。知識不足からくる彼女の突拍子もない勘違いは、時にこちらが保護欲を掻き立てられるほど危うい。
「了解。で、バレーの話に戻るけど——」
「では、衣装はどのようなものになるのでしょう?」
「まだ引きずってんのか」
「白を基調とした軽やかなドレスでしょうか。それともチームカラーで——」
「ジャージだよ」
「……ジャージ」
絶望的な宣告を受けたかのように、彼女の肩が目に見えて落ちた。どうやら彼女の脳内にある球技大会のドレスコードは、いまだに社交界のそれからアップデートされていないらしい。
「動きやすさ最優先な」
「……優雅さは、どこに……?」
「入場前に置いてくるんだよ」
我ながらひどい回答だが、少なくとも嘘ではない。球技大会における優雅さは、だいたい開会式の時点で忘れ物扱いになるのだ。
「まあ……では私は、ジャージで優雅さを表現すればよろしいのですね」
発想が強い。方向性が迷子なだけで、推進力だけは一流だ。このままいくと『優雅にスパイクを打つ新種の生物』が誕生しかねない。
「いやもう競技の趣旨変わってくるぞそれ」
「お任せください。幼い頃より所作は厳しく教えられておりますので」
自信ありげに頷く彼女だが、そのベクトルは間違いなく斜め上を向いている 。お嬢様教育の賜物であろう所作の美しさを、よりによってジャージ姿のバレーで発揮しようとするその感性は、やはりどこか浮世離れしていた。
「その努力の使いどころ、絶対そこじゃない」
俺のツッコミは正論の形をしていたが、おそらく彼女には届いていない。届いていたら、そもそも「バレエ」と「バレー」を混同したままここまで会話が進んでいるはずがないのだ。
「ですが、浅香さん」
「ん?」
「もし私が転んでしまった場合……その際は、優雅に受け止めてくれるのでしょうか」
「なんでバレエ要素だけ残してんだよ」
「ふふ、冗談です」
「今の絶対半分本気だったろ」
「……さあ、どうでしょう?」
いたずらっぽく微笑む彼女の真意は、俺の眼を持ってしても読みきれない。ただ、先ほどまでの羞恥はどこかへ消え、代わりに少しだけ距離が縮まったような、そんな錯覚を覚える。
「怖いな」
「ですが、その……」
「ん?」
「初めてのことばかりで、少し不安でしたので」
「……」
「こうしてお話しできて、少し安心しました」
素直に吐露された不安と、それに対する安堵。まっすぐな言葉を向けられると、どうにも反応に困る。
「……それなら、まあ」
「はい。ですので——」
「ですので?」
「当日は、どうかお手柔らかにお願いいたしますね。浅香さん」
「同じ競技じゃないけどな俺」
「……では、遠くから見守っていてください」
その一言で、さっきまでの『優雅ジャージ計画』も『白鳥の湖 in 体育館』も、全部どうでもよくなった。
(……いや、やっぱりよくはないな)
当日、ネット際でターンし始めたら止めに入る準備だけはしておこう。
「それはそれでプレッシャーなんだけど」
「ふふ。きっと、うまくできますから」
根拠のない確信を口にして、彼女は今度こそ優雅に微笑んだ。
見守るだけで済めばいいが、彼女のことだ。当日、コートの真ん中で「白鳥の湖」でも踊り出しはしないか。俺は新たな懸念を抱えながら、ひとまずはその微笑みに曖昧な頷きを返した。




