守りたいもの4
周りが静かになって、俺は顔を上げる。
大地はまっさら。焼け野原だ。
周囲に置いてあった貢物がない。魔物たちもいない。ハルナフトプやメロの様子もわからない。
目の前に大きな岩が残っている以外、何もない。
――どうなった?
暗い。
だが、黒いモヤに覆われているわけではない。
地表をおおいつくしていたモヤが消えている。
――いや、消えるわけねえだろ。
何がどうなっている?
モヤはないのに、この太陽をさえぎる暗さはなんだ?
俺は空を見上げた。
そこに、天高くそびえ立つ塔を見た。
――違う。これは。
「魔王……、か?」
大きな岩だと思ったソレは、魔王を構成するモヤの一部だった。
魔王はいつの間にか爆発的に巨大化し、大地から天に向かって高くそびえ立っている。
「なんなんだよ」
ギリリと唇を噛む。
モヤを分解して封印していたはずが、モヤは増え、あり得ないほどデカくなっている。
もはやすでに聖女の姿ではなかった。
魔王はもう、ただの真っ黒な塊でしかない。
だいたい、この大量のモヤはどこから来たんだ?
つうか。
――どうやって魔王を抑え込めば良い?
巨大な魔王の足元に、唯一無事に残った御殿が見える。
みんな魔王のエネルギーに吹っ飛ばされたのに、国王だけは魔王の手によって守られたのだろう。
それが魔王の愛か?
くだらねえ。
――いっそ、このまま国王を連れて逃げるか?
いや、そんなことをして、この馬鹿デカい魔王が人間の世界へ攻めてきたら、ひとたまりもない。
どうする?
ひゅうううううぅ。
風を切る音がする。
見上げた空から、魔王の真っ黒な手が高速で降りてくる。
「クソッ! 俺を潰そうってか?」
俺は飛び退いて、魔王の真っ黒な手をかわした。
が、魔王の手は地面へ触れた瞬間5つに分裂し、それぞれが俺をめがけて突っこんでくる。
「チッ、どうしても俺を攻撃したいみてえだな!」
前後左右から迫るモヤ。
ジャンプでひとつのモヤをかわし、横から突っ込んできたモヤにパンチを繰り出す。
――死にたくない。
――幸せになりたい。
――助けて、助けて。
モヤに触れた瞬間、黒いモヤの感情がゾクゾクと腕を伝った。
全身の毛穴が開いて、ブワッと冷たい汗が出る。
俺は慌てて腕を引っ込めた。感情が持っていかれそうになる。
バシュッ!
音と共に、反対側からも黒いモヤが突っ込んでくる。
俺は咄嗟にしゃがんでやり過ごし、頭の見えない魔王を見上げた。
もはや魔王は山よりもデカい。
全世界の負の感情が集まったみたいだ。
まさか――。
「ここに居た魔物たちがみんな死んで、その負の感情で巨大化した?」
何万もの魔物たちの無念が、魔王に吸収されたのだとしたら、ゾッとする。
つうか、ハルナフトプはどうした。
アレキサンドリアは。
メロは。
無事なのか?
<シアワセニ、ナリタイ>
<シアワセニ、ナリタイノ>
<シアワセニ>
<シアワセニ、ナリタイ>
魔王が上空で呪文のように唱えている。
「ああもう、うるせえなあ!」
幸せ?
世界中を不幸せにしておいて、舐めたこと言ってんじゃねえ!
俺は魔王の足元を睨みつける。
「ドラゴンブレス!」
ゴオォォォと口から真っ赤な炎を吐いた。
ドゴォォォン! と、ぶつかったドラゴンブレスが、魔王の身体に巨大な穴を開ける。
「よし!」
と、思ったのも束の間。
穴に真っ黒のモヤが集まり、魔王の身体はみるみる再生されていく。
<シニ、タク、ナイ!>
雄たけびのような魔王の声。
同時に、風を切るビュウウという音が頭上から聞こえる。
「チッ、またか!」
上空から、直径5メートルはありそうな黒いモヤの柱が落ちてくる。
魔王の手なのか足なのかわからないが、俺に向かって一直線だ。
「クソ!」
ズドドドドドォォォンン!
よけきれない!
そう思った次の瞬間、モヤは俺の身体を飲みこむように激突した。
――死にたくない。
ズドドドド。
――死にたくない。
ズドドドド。
――死にたくない。
ズドドドド。
――死にたくない。
ズドドドド。
――死にたくない。
ズドドドド。
――死にたくない。
俺は全身にどす黒いモヤを浴びた。
抜け出せない。
延々、嫌な気持ちが身体の中に流れこんでくる。
嫌だ。
不快だ。
やめろ。
苦しい。
俺は死に物狂いで、口を大きく開けた。
ガアアァァァァ。
黒いモヤが悲鳴のような音を立て、俺の口内へ一気に流れこんでいく。
どろろろろ。
おろろろろろろ。
口から食道を通り、胃へ、小腸へ。
黒いモヤが俺の体内をとめどなく通過して、苦しい。
気持ちわりい。痛い。吐きそうだ。
消化器を通ったモヤは血管を通し、全身へ広がっていく。
――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
あぁ、……あ、ああ……。
――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
あが、……が、あ……あぁ、あ……。
――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
死の恐怖が、俺の細胞ひとつひとつに吸収されていく。
バチッ、バチッと細胞単位で反応して、俺の身体が悲鳴をあげる。
バチバチッ。
――死にたくない。
バチッ。
――幸せになりたい。
バチバチッ。
――愛されたい。
バチ。
――幸せでいたい。
バチチッ。
――もう嫌だ。
バッ。
――嫌だ。
バチッ。
――嫌。
パチン。
ああ、もう。
うるせえなあ!
イラついた俺は身震いした。
死にたくない?
死にたくねえなら、殺してんじゃねえよ。
あ?
幸せになりたいなら、周りを不幸せにすんな。
イライラが止まらない。
幸せでいたいなら、幸せでいられる努力をしろや!
テメエはテメエのために何をした?
言ってみろよ。
他人から無条件に与えられると思ってんじゃねえぞ、クソが!
自分勝手な魔王に腹が立つ。
逆張りしてるクソが、望みを叶えられるわけねえだろ。
愛されない?
不幸せ?
殺される?
全部テメエが他人にやってることだ、クソ野郎。
世間は鏡なんだよ。
テメエの行動が全部、自分に返ってきてるだけだっつーの。
気付けよ、馬鹿が!
俺は黒いモヤの中に囚われながら、カッと目を見開いた。
「テメエのクソみたいな考えなんて、俺が全部食い尽くしてやる」
口を大きく開け、ガブ、ガブと真っ黒なモヤを飲み込む。
ゴクンと飲み込んだ負の感情が、俺の身体を真っ黒く強化していく。
そうだ。
俺は魔物を食えば食っただけ強くなる。
コイツだて、食っちまえばいい!
ゴクン、ゴクンとモヤを飲み込んで、俺の身体はもはや黒いモヤと同化していた。
真っ黒な感情が、俺の腹の中で俺の理屈に書き換えられていく。
――愛を語るなら愛しやがれ!
――死にたくねえなら殺すんじゃねえ!
――求めてばっかのヤツに誰が手を貸すか! 馬ァァァ鹿!
吐き出した俺のエネルギーが、周囲の黒いモヤを赤黒く染め直した。
染まれ、染まれ!
俺の思考に染まりやがれ!
このまま突き進んで、芯からテメエをぶっ殺してやる。
俺は黒いモヤの中を泳ぎ、魔王の心臓部を目指した。
モヤの出どころを、ぶっ潰す。
到着した心臓部には、モヤに埋もれた聖女の肉体があった。
<アイ、サレ、タイ>
聖女の肉体から、黒い涙がこぼれている。




