第三話
知識の集う場所として知られるここ<クリューク図書館>に、朝や夜といった時間の概念はない。
いや、時間の流れが魔法で切り取られているとかではなく、知識を必要とする者はいつだって時間に関係なくここを必要としているからだ。
そうした時間や曜日に疎い変人がそれぞれに自由に研究をするために建てられた場所だからこそ世界一の図書館になったと言っても過言ではない。
そのため、睡眠時間が乱れるのはこの図書館で研究者として勤めている者なら当たり前な訳だが、この図書館の主――公爵家の当主リウリは珍しく夜に寝て朝に目を覚ますということが出来た。
「……ふむん」
朝に目を覚ました、と言っても意識したわけではない。
最近続けていた実験がキリのいいところで終わったのが夜で、寝て目が覚めたのが朝と言うだけだ。
ベッドから起き出したリウリはタンスを開けるが、着替えの洗濯を忘れていたことを思い出し、パジャマの上からいつもの薄汚れた白衣を羽織る。
本来なら侍女でも雇って任せる仕事なのだが、彼女の側にいるのはグラドだ。
たった一人で国の騎士団を壊滅させ、過去の英雄や勇者の偉業を鼻歌交じりに塗り替える狂気の男を恐れて仕事にならないのだ。
勿論、古くから彼女の家に仕える古強者の騎士たちは『是非とも側仕えに』と言ってくれているが。
そんな彼らだからこそ、グラドのリウリに対するごく自然な無礼極まりない態度を捨て置かないはず。喧嘩になればとめれないし、死ぬのはグラド以外のすべてになる。
そう言う訳で、結局人を雇うというのはグラドがいる時点で論外。
ならば洗濯物は自分で洗うしかないが、リウリはグラドとの出会いでやっと自分の時間が持てるようになったのだ。
研究以外に時間を割くことを嫌うので、図書館の司書にでも気付かれぬ限り着たきりスズメとなる。
それでも貴族としての領地経営などの義務をきちんと果たせているのは、公爵家という巨大な権力に見合うだけの実力がある彼女だからと言えるだろう。この図書館を出ることはほとんど無いが。
「良ぃ~朝だよなぁ~リウリ。
そして俺様が一晩中警備してやってたのに今の今まで寝てるだなんていい身分だよなぁ~」
リウリの研究室への入室を許可している唯一の他人のグラドが睨む。
別に彼は腹を立てているわけではないが、闘争を何よりも好むグラドにとって、これは些細な争いの芽を闘争へと発展させるためにジョウロで水をまくような挨拶だ。
「あなたは相変わらずみたいね。
おはようグラド。朝ごはんなら昨日の残り物がどこかにあったと思うわ」
元々、感情の起伏の乏しいリウリは眉ひとつ動かさずにグラドの言葉を流す。
出会ってから二人はずっとこうなので慣れたものだ。
「ところでよ~、俺様の仕事はいつも通りつつがなく終わってるんだが、てめーの方はどうなんだ?
確か新しい薬の研究だっけか?」
「それは昨日の内に終わったわ。
人の生活区域が増えればそれだけ新たな病気や公害も出来るから研究者に終わりはないけどね」
彼女が昨日まで取り組んでいた研究は未開の地の開拓後に発生した新たな病の特効薬。
罹ったところで死に至るほど重い病ではないので薬の開発もそう難しくはなかったようだ。
まぁ、彼女に言わせれば、薬の開発に限らず研究者はその生涯全てが研究であり、『研究者に終わりがあるとすれば、それは自分の死を以て終わるの』と付け加えるのだろうが。
「へっ! 人間なんて放っといても増える生き物を治す薬になんの価値があるのかねぇ~?
病だろうが事故だろうが人間は負けた時に死ぬだけで、人間が人間である限り欲望と一緒で、負けることはないってのによ。
ちなみに生涯負けない俺様が死ぬ時が来るとすれば、それは生きることに負けた時だけだろうけどな」
「あら、あなたでも自分が負けた時を想像するのね」
「あらゆる状況を想定し、最悪の可能性にならない努力をしてこそ最強でいられんだよ。
俺はただ死ぬまで戦いに明け暮れて楽しみたいだけさ」
グラドが最初の話題から逸れて自分のことを語りたしたにリウリは気づいていたが、飽きっぽい性格から会話の途中で飽きたのを悟ったので何も言わずに話に乗る。
「じゃああなたにとって『戦い』って何かしら?」
「その答えが分かったら面白くねーさ。
分からないから戦って、戦うからおもしれーんだよ」
「それは思考の停止じゃないの?
分からないことに挑むのは、その分からない物を理解するためじゃないの?」
「面倒くさいこと聞くなよ。俺はただ楽しいから戦うんだ。
理解ってのは、結果に付随するオマケ程度の認識でいーんだよ」
「単純なのね」
「それが答えだ」
単純明快なものほど本質を言い当てることがある。
リウリはグラドの単純さを、彼の狂気の成長した姿と考え、それを一緒に楽しんでいる自分に思わず笑みがこぼれる。
「ふふっ、最近は『命を賭ける』って言葉を、言葉通りに言う人は少ないけど、あなたの生き方はいつも本気なんでしょうね。
やっぱりあなたは面白いわ」
「俺にとってもリウリはこれまで会ったどの馬鹿よりもおもしれー馬鹿だぜ。
教会の馬鹿共よりもずっと分かりやすいからな。
分かりやす過ぎてわからねー面白さだよ」
グラドはこれまでに多くの人間を見てきたし、目のあった人間の底の浅さはすぐに見抜けるだけの観察眼がある。
そのグラドが初めて底知れないと思ったのが、身体的には最弱の部類に入るリウリだったので彼は興味が尽きないのだ。
弱いのに分からない。しかしその言葉は理解できる。理由は分からないが面白いことは分かる。
だからこそリウリに誘われて彼女の下に就くことを了承した。
彼にとってこの図書館の警備員という仕事以上に不思議な少女との会話の方が楽しくて仕方が無いのだ。
それこそ昔のように狂気を振りまき暴力に頼るよりも。
意味の無いやり取りに意味を見出すのは面倒だが、楽しいと感じることには意味がある。
今日も似たようなやり取りを繰り返したところで、彼の仕事に関する気配に会話は中断される。
「お、朝っぱらから侵入者みたいだ」
「そう。それじゃあいつも通りお願いね」
朝のうちから来るのは人間。それもリウリが研究室を置いているこの辺りに来るのは禁書狙いの一流盗賊ばかり。
魔導書の魔力に羽虫のように集まる悪魔と違い、個性があり、思想があり、それぞれに盗人稼業をするだけの理由がある人間が敵。
だからこそ、グラドは今日も笑いながらその全てを相手の命を奪う形で途絶えさせる。
戦うことが彼にとっては何よりも楽しく。殺すのはあくまで結果でしかないからだ。
そしてリウリがグラドを引きこんだのも彼の強さだけが理由ではない。
戦いを楽しみ、他者の命を断つことになんの罪悪感も持たずに結果を結果としてしか見ないところが気に入ったからなのだ。
「ふふっ、今日も殺してくるのね」
「それは結果だ。
俺様は戦ってくるだけだ。そして見逃がさず、必ず勝つだけだ。
まぁ……、楽しんでいる訳だがな」
いつものように会話を交わし、いつものように剣を取るグラド。
闘争を日常の一部どころか日常そのものとする彼だが、それを異常だと思う人間が見れば異常ではない。
彼の上司にしていつも近くで眺めるリウリにとって、グラドこそが人間の生き方の理想だと考えている。
楽しく生きて、その結果いつの日か死ぬ。
意味だとか理由だとか結果だとか、そんなものより今が楽しいから生きている。
「今が楽しくなくちゃ明日は生きられない……。
ふふっ、本当にグラドは面白いわね」
部屋を出て行ったグラドが血の臭いをまき散らしているであろう様子を想像して笑みを漏らすリウリ。
これがこの図書館の日常。これがこの二人の関係なのだ。




