どうしても、どうしてさ
悲しみが辺り一帯へと広がる音が聞こえる。
逃げる時の足音のようにそそくさと、それでいて染み渡らせるようにじゅんわりと深く広がる音が。
辺り一面には鏡のように澄み切った水面が広がり全てを反射している。それを結び直すように堅く、苦しく、嘆きを秘めて。そしてそれが極上の酒に成り、酔い果てるには良き日であるように。
「……ここが、水無瀬の心象世界なのか……」
「すごく暗い。てか、ジメジメしてるし、後狭い……。あと、凄い酒臭っ!!!」
幸輝と愛花は現実世界でシャルロットと交戦中だった水無瀬の精神の隙を突き、魔法のリンクを通じて彼女の心象風景の中へとダイブしていた。
ここは悲劇と言う至高の大吟醸を心という盃になみなみと注ぎ、ひたひたに満たした空間。溢れんばかりの情念は麹の如く彼女の精神を醸し、燻している。
「あまり良いところじゃない。サッサと水無瀬の『本心』を引っぺがして、現実へ連れ戻すぞ」
「分かってる……」
塩の代わりに涙で交わそう、別れの盃を。
その涙を以て飲み干そう、至高の神酒を。
酔わねばやってられぬ、何事も。
あまねく神から嫌われた我ら、須らく悪と成り果てるまで。
その日が来るまでの酔いは覚めず、苦しく楽しめや。
『では貴様は肴ぞ、人間』
『酒宴への乱入者は求めておらぬ』
『よう来たな、狼藉者よ。贄となれ』
「愛花!!」
背後から音もなく『漆黒のスーツを着た男』が日本刀で斬りかかってきた。
だが、愛花はそれをアッサリと短剣で受け止め、いなす。
「……みーな?」
「人の心に土足で上がるとはけしからん奴等だな。誰が招いたのか……」
「水無瀬……なのか?」
「……ふっ、その名で呼ぶなら、間違いなく俺の存在を知っている奴か」
「……でも、みーなは女性じゃん。なんで心の中にこんな男の人がいるの?」
目の前に立つ擦り切れた喪服のようなスーツを着た長身の男。
見た目は全く違う。しかしそこから放たれる魂の波動は間違いなく『白神水無瀬』のそれであった。男は迷いなく日本刀を最上段に構え、次の攻撃を用意している。
「貴様らに関しては取り敢えず俺の表層意識から読み取らせてもらったぞ。中々に仲良くやってたようじゃないか、異世界とやらで」
「で、あんたは何者だ?水無瀬の別人格か?保護者か?」
「こちらの世界で『白神水無瀬』と名乗る人物その人だ、と言えば?どうする」
「は?みーなって女だけど、おじさん大丈夫?頭打っちゃった??」
「おじさん、か。貴様らも大概、年を食っているように思えるがな」
「!!」
愛花が息を呑む。
勇者パーティーの面々は、向こうで30年もの苛烈な時間を過ごし確かに全員それなりに年齢を重ねていた。帰還に際して肉体年齢を加齢を誤魔化す魔法で16歳相当に戻していたがそれを一目で見破られるとは思わなかったのだ。
「まぁ良い……と言うか、『俺』は『白神水無瀬』ではない。だから……まぁ、見当違いの誰かさんって思ってくれ」
「はぁ!?意味わかんない!だってみーなはみーなじゃんか!こんなにあんたの匂いがみーなのそれなのに、みーなじゃないって……なら本当の彼女は一体何処なの!?」
「俺達が水無瀬の気配を間違える訳がない。間違いなく……お前が水無瀬だ!」
「はぁぁ……たっく、どーしてこうなるかなぁ〜? だーかーらー!!」
男が日本刀を鋭く振り降ろす。稲光のような黒い閃光が激しい怒りを纏い、腹の底にまで届く轟音が鳴り響く。
幸輝の剣と男の日本刀が鍔迫り合いを起こし、互いの力が拮抗して激しく火花が飛んだ。
「何回も言わせてもらうが、俺は白神水無瀬ではない!俺は、俺は……」
鍔迫り合いは男の方が強引に蹴り飛ばされ、幸輝が体勢を立て直したタイミングで終わった。
「……俺は誰だ?」
「んがっ!?」
「はぁっ!?あんた、みーなじゃないってあれほど言い張りながら自分が誰かさえ忘れたの!?あんなカッコつけてほざいておいて!??」
「すまないな、俺は俺だよ。でも名前は……何だっけな?なぁ。そこら辺にノートか名刺、若しくはスマホか端末に準ずるものは落ちて無いのか?」
納刀してキョロキョロと足元の水面を探し始める男の姿に幸輝は苛立ちを隠せない。
「いや……お前が一番詳しいだろう。そう言うのはお前自身が用意した筈だ。ここは『お前』の世界、お前自身の心の中でお前が望んで作り上げた空間。だからこそお前が名前を知らないなんてことはあり得ない」
「……ふふっ。そう来るかい、坊や。なら──」
男が再び抜刀する。今度は何処からとも無く取り出した脇差を中段に構え、勢い良く躍りかかった。幸輝は咄嗟にそれを受け止める。
「ぐぅっ……水無瀬、戻って来い……!お前はそこに居るんだろっ!!」
「腹が立つし、匂い立つなぁ……!その傲慢に誰かを追い求める様は醜くて!とても耐えられんなぁ!!!」
「黙れ、このクソ野郎っ!!!」
鍔迫り合いの最中、背後に回り込んだ愛花が勢い良く男の背中を魔力の短剣で刺し貫きそのまま背中を袈裟斬りにして出血を強いた。
「ぐっ、がっ、はぁ……!」
「もういっちょ!!」
「んがっ!あぁっ……は……、ぐはっ」
腹部に短剣が刺さり、そのまま真一文字に横へと切り開かれる。更に背後から幸輝が切り裂き、トドメとばかりに二人は同時に男の心臓の有るであろう地点を刺し穿った。
「がっ、あっ……!がはっ……ひっ、ぐぁ……」
「はぁ、はぁ……や、ったか?」
「多分、やれたみたい。……これで、この幻影を倒せばみーなをこれで取り戻せるっ!!」
そこから二人は直ちに魔法をかけて心象世界の浄化と、核である水無瀬の捜索を開始した。
だが、それを阻むかのように、水面の世界に激しい地響きが鳴り響いた。
「な、まさかもう限界なのか!?」
「こんなに早く!?まだみーなを取り返せてないのに!!」
「はがっ、ぐっ、がはっ……はぁっ……」
水無瀬の香りのする男を心象世界へと取り残したまま二人の意識は外界へと強制的に放出された。
――現実世界、旧校舎の校庭。
目を開けた二人の視線の先には先程まで倒れていたはずの白髪の女性が悍ましいほどの圧力を伴う神威を放ち、大太刀を携えて凛と立っていた。
しかし、その傍らには先程までは『存在していなかったはずの少女』が立っていた。
「あら、お目覚めのようですね。長い眠りから目覚めるにしてはまだ暗い夜なのですが……まぁ良いでしょう」
水無瀬と同等程度の美しい長髪を持つ、神々しい和装の少女。
彼女は水無瀬へと向き直り、まだ意識が混濁している様子の彼女へ冷たくも威厳のある声をかけた。
「我が巫女、水無瀬。起きなさい。敵はまだ戦闘可能なようですので手伝いますから。さっさと狸寝入りをお止めなさい」
「……申し訳ございません、清様。まさかあれ程手強く、そして私の心の中に侵入する手立てさえ持っていたとは思わず……」
「貴女は油断する癖が強過ぎます。先程の剣技と言い、神威の使い方と言い……どうして貴女はそう自滅する様な『手心の加え方』ばかりするのですか?」
「面目ございません、姫様」
「御託は結構。それよりも止血をなさい。ここで血をダラダラ流して川を作って斃れるならただの足手まといです」
するといつの間にか和服から『喪服のスーツ姿』に戻っていた水無瀬はそっと懐へと手を伸ばした。
そして一本の葉巻を取り出してシガーカッターで先端を切り落として咥え、それからガスライターで断面を炙り、口の中に煙を籠もらせて味わうように感じ入った。
「……水無瀬。何をしているのですか?」
「はい、止血しております。タバコには血管を収縮させる止血の効果がございますので、それで止血をと思いまして」
「……水無瀬。貴女なら出血部位の凍結で一瞬で何とか出来たでしょう?何故しないのですか?」
「ご尤もでは御座いますが、この水無瀬。敵の術中の中でただのたうち回る芋虫では御座いませぬ。故に、意地も体裁も御座います。であればせめてハードボイルドに──」
「我が巫女、白神水無瀬。今すぐ止血しなさい。今、すぐに。……葉巻は使わずに、です」
「……御意」
水無瀬は渋々といった様子で葉巻の燃焼部分をシガーカッターで切り捨てると、指を鳴らしそっと血の滲んでいる腹部を凍結させた。
「ふぅ……どうにも貴女は変なところで手を抜くというか、無駄な芝居をする癖が有ります。一度神域で再教育する必要が有りますね。ですが、それよりも」
少女神――大綿津見神の系譜に連なる水神『清』は大太刀を構え直して勇者パーティーへと刃を向けた。その瞳は鋭く幸輝を睨みつけており、静かな、しかし確かな怒りの表情を浮かべていた。
「よくも……よくも、我が愛しき巫女・白神水無瀬を、ここまで惑わせましたね、神谷幸輝!こうも戦わずして精神的に追い詰めるとは。人間にしては、やるではありませんか」
「あの、俺達は別に水無瀬へ害意は無いんですが……ただ、正気に戻したくて」
「確かにそれは私も理解しています。なれど、なれど! 貴方たちの存在は、水無瀬の『許容範囲』を大きく超えている部分も有りますので、保護者として、私は怒りを覚えているのですよ」
ガンッ!と、右手に持つ大太刀の鞘を地面に叩き付け憤怒の形相を見せる清。
そして、勇者パーティーも再び武器を構えるが、清の怒りに呼応して暴走する嵐はさらに濃く、激しくなっていく。
「そこの御仁たち。面相が怪しい。魂の底まで、顔を改めさせていただきます」
白き清き、全ての存在から愛されし悲劇の水の姫君。
彼女が険しい顔付きに成り、水無瀬と並んで抜刀の構えを取る。
──さぁ、神々の宴だ。




