雷鳴の鳴る
シャルロットは立ち上がり、水無瀬へと果敢に斬りつける。
だが水無瀬は泥にまみれながらもその刺突を身体で受け止め、仰け反るだけで全く意に介していないようだった。彼女の口元には狂気に塗れた薄笑いが張り付いている。
「ほんの僅か、だが本気で相手をしてやるよ。……怪異ども。光栄に思うが良い、この俺を本気にしたんだからな」
大太刀を右側に置き、水無瀬は泥水の中で正座した。
太腿をレイピアに貫かれ苦痛に顔が歪む。だが彼女は震える呼吸を無理やり落ち着かせると、空いた左手に大気中の水分を凝縮させ極低温の『氷の打刀』を生成した。
目を閉じ、シャルロットの猛攻を一身に浴びる。
正座の構えを解かずただ精神を研ぎ澄ませていく。展開した『龍鱗』が聖剣の力によって紙切れのように貫通され続け、肉体が削られていく。
眼球の端を掠められ視界が血に染まる。構わない。
耳朶を切り飛ばされ激痛が走る。どうでもいい。
脇腹が蓮の実や蜂の巣のように穴だらけになっても、ただ『その瞬間』が来るまで彼女は耐え忍んだ。己の全てを賭けた、完璧な一撃を放つために。
そして、その時が来た。
「終わりです」
シャルロットが致命の一撃を放ち、水無瀬の肩を深々と穿とうとする。
だが、その隙が極限まで集中力を高めた水無瀬には永遠に長く感じられるほど緩慢な動作に思えた。
ゆるりと、ぬるりと迫るその聖剣の切っ先を彼女はのんびりとした時間の流れの中で見据え――
刹那。
青い閃光が暗黒の校庭を切り裂いた。
「がはっ……!?」
煌めく氷の軌跡と共にシャルロットの小柄な身体が吹き飛ばされ、泥水の中に倒れ伏した。
「言っただろう、名も無き怪異よ。俺は日本の刃、国土交通省異界対策課の現人神。そして……最強であると」
水無瀬の手には氷で出来た打刀が冷たい神気を放ちながら握られている。
その切っ先からは温かいシャルロットの血が滴り落ちていた。
「だが、見事である。貴様らの剣はこの俺を何度も傷付けるに値した。現に神威の塊であり最上位の神格でなければ貫けぬはずの『龍鱗』を砕いてみせたのだ。褒めるのは当然というもの……だろう?」
地に伏せるシャルロット。その腹部は横に一閃され致命傷こそ免れたものの、深く斬り裂かれて大量に出血していた。
「さて、次は……っ!?」
勝利の優越感に浸る間もなく背後から無言でアイリスが迫っていた。
容赦なく振り下ろされるハンドアクス。水無瀬は速やかに氷の刀でそれを受け止めるが、神の筋力をもってしてもアイリスの異常な怪力は殺しきれなかった。
斧が氷の刃に深く食い込み、そのまま強引に振り回され水無瀬の身体は数メートル先へと吹き飛ばされた。
「大丈夫ですかシャルロット!?」
「不覚を取りました……!まさか、無防備に攻撃を浴び続けながらあそこまで耐えきってカウンターを放つ技量と狂気を秘めてるとは……!!」
「油断大敵といつも言ってますよね!全く……」
負傷して動けないシャルロットを背負い、アイリスは一時撤退しようとする。
だが、その背後を狙い水無瀬は再び正座して『居合』の構えを取った。
その金色の瞳には狂気と自己欺瞞が分厚く張り付き弱い怪異を討伐するという奢りと愉悦、そして強者としての優越感が醜く渦巻いていた。
「逃さん。私の、私達の『思い出』の為に、ここで死ぬが良い」
だが水無瀬が抜刀する直前、背後から凄まじい殺意を伴う刺突が迫った。
いつの間にか背後に回り込んでいたエヴリンがその巨大な両手剣を水無瀬の背中へ深々と突き刺そうとしていたのだ。
ガキィィンッ!!
「……チッ、やっぱり硬い……。無駄に硬すぎるだろっ!!」
「だから、貴様らはどうやってあの距離が詰められるんだっ!?」
咄嗟に背中へ集中させた『龍鱗』で斬撃を防ぎきった水無瀬が驚愕の声を上げる。
「あ?そりゃ『次元斬』の応用だろ。何だ?まさか次元斬を知らねぇのかよ。あんなに美味い居合抜きができる奴がそれすら知らねぇなんて、お前の剣の道が間違ってるんじゃないのか……?」
「この期に及んで……俺を馬鹿にするか、痴れ者がぁっ!!!」
屈辱に顔を歪めた水無瀬が、反撃に出る。
下から勢い良く斬り上げ、すぐさま斬り下げる。そして絶え間なく流れるように右から一閃。わずか5秒の間に、水無瀬は龍神から教わった『本来の絶技』の片鱗を見せ、エヴリンの剛剣を巧みに捌いてみせた。
「うおっ!たく、こんなバケモンみたいな剣の使い手がこっちの世界にも居たなんて初耳っつーか……!どうしてさっきはこの剣術を使わなかった!!」
「黙れ!黙れっ!!だぁぁまぁぁあまれぇぇぇぇぇっ!!!!!!!」
「さっきよりも話が通じねぇよおい!?」
「喋るなぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
遡る濁流のように激しくうねりを上げ、ほぼ同時に複数方向から襲い掛かる水無瀬の乱撃。
息をつかせず、波のように掴みどころがなく暴れ狂うその剣技にさしものエヴリンも防戦一方へと押し込まれていく。彼女の知る異世界の剣豪たちでさえこの猛攻を押し留めるのは至難の業だろう。ましてや『夫の親友を生け捕りにする』という枷がある状態では尚更だ。
「らあああああああ!!!」
「ちっ、中々に若々しい、荒い仕上げの剣筋だな!アタシももう少し若い頃には、こういう無茶をする奴が結構居たが……まぁ、悪くないよ!!」
エヴリンがフランベルジュで水無瀬の氷刀を弾き返した瞬間。
仰け反った水無瀬はその勢いを利用して空中で身を翻し、重いムーンソルトキックをエヴリンの顎へと的確に命中させた。
「がっ!?やるな、こいつ……!!」
「お前達が本当に魔王討伐した勇者だと言うなら、私は百鬼夜行を鎮圧し、妖怪を族滅した日本の英雄なるぞ!!桃太郎が鬼に負ける理由がなかろうが!!!!」
自らを『英雄』と称し狂ったように吠える水無瀬。
だがその直後。
彼女の頭上から無数の光の短剣が豪雨のごとく降り注いだ。
「!?」
水無瀬は氷刀を頭上で旋回させ、かろうじてそれらを弾き落とす。
二階の窓から愛花が飛び降りてきたのだ。彼女は空中で無言詠唱を行い、次々と魔法を展開していく。
「愛花!!」
「……大丈夫。アタシはもう迷わないから!みーな、あんたを何としても正気に戻すから!!少し痛いかもしれないけど耐えてっ!!!」
「……偽物が、ペラペラとよく喋るなっ!!!」
水無瀬は全ての光剣を弾き返すと、空中の雨滴を掌握し巨大な水球を無数に作り出した。
「これでも喰らえよ、下等種族!!」
指を鳴らす。
水球が尋常ならざらぬ程圧縮され、高圧の水流が巨大な鏃となって愛花へ向けて制圧射撃の如く発射された。
「その程度なら、魔王軍幹部とか邪神相手に何度も防いできたから朝飯前だよみーな!どうしたの?!あんたはその程度しか打てないの、自称・日本最強!!」
「違う!愛花は、愛花はこんなに強くない!強く、ない!!」
水無瀬は自らの攻撃を軽々と相殺していく愛花の姿を前にさらに激しく混乱し、叫んだ。
「あの子はとても弱くて……私みたいに特別な力を持った、選ばれた子じゃないのよ!!なのに、お前は……ならば、これは幻だ!幻覚よ!!」
「アタシ、凄い見縊られてたのね!!みーなが思う程弱っちい存在じゃなくなったのよ!異世界って、それだけ強く無きゃ生きられなかったんだから!!!」
「なら、愛花は……いいえ!愛花は死んだ!!幸輝も、愛花も、あの日に皆死んだ!!生き残っています……私は、俺は生きているぞおおおおお!!!!」
「この、わからず屋のバカみーなぁぁぁあああああ!!!」
圧倒的な神威と、カンストした魔力の激突。
もしその場に一般人がいればただその鎬を削り合う魂の圧力に触れただけで、正気を失い消し炭になっていただろう。
涙をボロボロと流しながら白神水無瀬は必死に『現実』を否定しようと水の波動の出力を底上げし、上空の雨雲をさらに分厚く濃くした。
落雷を己の身体に纏わせる。聴きたくもない愛花の声を完全に拒絶するため、自らの鼓膜を雷鳴で潰す。水と雷の複合属性を付与し己を脅かす『悪夢』を消し去るかのごとく、圧倒的な閃光を放とうとする。
一方で、相対する愛花も退かない。
彼女は自身の魔法陣に風属性を付与し水無瀬の雷を散らしながら攻撃力を高める。そして、風属性を軸にした強力な衝撃魔法を応用し鼓膜を潰した水無瀬の『脳』へと直接音と声を叩き込む。
「お願い、みーな!!話を聞いて!!私達は向こうの世界で生きていたの!!!魔法とか魔物とか、後は色んな事が有って大変だったけどそれでも……私達はこうしてあんたのところに帰って来れたのよ!!!」
「うるさい!うるさいっ!!うるさいぃっ!!誰がそんな、そんな戯言聞いてやるもんかぁぁ!!」
脳内に響く愛花の声に、水無瀬は頭を抱えてヒステリックに絶叫する。
「俺は、お前達が死んでからずっと、ずっと耐えてきたんだ!!俺は日本中で誹謗中傷に耐えた!家族を守る為に汚れ仕事ばかりの今の組織に入った!!お前達を殺した犯人にされた!!!誰がお前達なんか……俺を置いて、俺を裏切りやがった奴らなんか!違う、怪異だ、妖怪だ!!お前達は悪なんだああああああああっ!!!!!」
「くっ……魔力出力が、高すぎる……押される……!」
「愛花!!」
限界を迎えかけた愛花の背中を、力強い手が支えた。幸輝だ。
二人の幼馴染の魔力と闘気がリンクし、重なり混ざり合う。勇者と大魔導士の複合結界が展開され、水無瀬の圧倒的な神威が初めて押し返され始めた。
それに気づき、水無瀬はさらに狂乱して叫び声を上げる。
「水無瀬!聞いてくれ! 俺は――」
「黙れ!俺はお前達を守らなくてはいけなかった!! 俺は選ばれた存在だったんだ!!! だから、俺はこうして神の力で、お前たちがいなくなったこの世界で、皆を守るヒーローになるんだったんだよ!!!」
強烈な自己愛と自己憐憫、そして世界最強としての意地。それが彼女の痛々しい魂の叫びだった。
「俺は、お前の声が聞こえたからこの世界に戻って来たんだ!!」
「嘘だっ!!」
甲高く子供のように否定する水無瀬。
その悲劇のヒロインという名の、分厚く濁った闇のヴェールを強引に引き剥がし、親友を暗闇から助け出そうと、幸輝と愛花は全力を注ぎ込む。
そして、8年の歳月を経てすれ違った因縁が極限の出力で重なり合う瞬間。
夜の都市の空を真っ二つに割るような白く眩い光の柱が天へと捧げられた。




