私は悪くない
水無瀬はシャルロットの冷酷な指摘が図星だったからか、それとも自身の欺瞞を看破されたことへの憤慨からかその顔付きを更に険しく、悍ましく歪ませた。しかし皮肉なことにその感情の昂ぶりこそが彼女に『人間性』を取り戻させ始めていた。
愛花の魔力による拘束が彼女の抵抗に合わせてより厳しくより強く食い込んでいく。その苦痛に身をよじる水無瀬の姿は、まるで爪を切られるために捕まり、必死に逃げ出そうとする哀れな小動物のようだった。
「水無瀬……。今の言葉、本当に…そうなのか?」
幸輝が信じられないというように呟く。
「エヴリン、貴女もそう思いますわよね?貴女程の熟練した戦士なら彼女のあの狂った動きの中に隠された『欺瞞』を見抜くのはそう難い事では無いはず」
シャルロットの問いかけに、エヴリンは少しだけ戸惑いながらも、戦士としての自らの見解を正直に答えた。
「ああ……確かに、そいつは理性が完全に消し飛んでいなかったぞ。アタシがそいつと剣を交えてからずっとだ。そいつの剣はデタラメだったが根本にある『居合』の呼吸だけは残っていた。間合いやタイミングを計り、精神の静寂から放たれる斬撃…そんなものは本当に理性が消し飛んで狂っただけの化け物には到底出来ない芸当だ。……つまり」
「水無瀬……お前ってやつは……」
「みーな……何してんのよ、もう……」
それを聞いた幸輝と愛花は張り詰めていた緊張の糸が切れ、すっかり深い安堵のため息をついた。
目の前の化け物は怪異に乗っ取られたわけでも、完全に正気を失ったわけでもなかった。ただ『狂った化け物のふり』をして自分たちを、そして何より自分自身を騙そうとしていただけなのだ。
「さっさとその痛々しい特殊メイク外してくれよ。そして、お前にはこの8年間で何が有ったか話してもらうからな……。マジで心臓が止まるかと思ったぞ」
「そうよ、みーな。あんたはもっと美人だったんだし、そんなわざわざゾンビみたいな顔しなくても……。てか、マジでビビった〜……。まさかみーながモンスター化してこっちの世界のボスになってました、なんてシャレにならないからね」
だが、安堵し優しく手を差し伸べようとする幼馴染たちのその態度は現在の水無瀬にとって『何よりも恐ろしい現実』だった。
自分が置いていかれた哀れな弱者であり、彼らに見下ろされ許される存在になってしまう。その強烈な強者としてのプライドと恐怖が彼女の心を再び狂乱へと駆り立てる。
「■■■■■■■■■っ!!!」
「はいはい、取り敢えずもういい加減、その化け物ごっこはこれでおしまい。ね? 幸輝、取り敢えず何とか言ってあげてよ。落ち着かせて」
「水無瀬、本当にすまない。そして……ただいま、水無瀬。お袋や親父は元気にしているかい?いきなりいなくなって迷惑かけちゃったから、どうやって謝ろうかって今思っているんだけど……何か、あの二人が好きそうなお土産とか思いつくか?」
温かいあまりにも日常的で平和な幸輝の声。
それが、水無瀬の限界を突破させた。
「……■っ、■■■! ■■■■■■、■■■■─っ!!!」
ドォンッ!!!!
規格外の神気が爆発した。
「!?離れてくださいご主人様!!!」
シャルロットが瞬時に人間態に戻り、幸輝と愛花を背後へと力強く突き飛ばす。
直後、水無瀬の肉体が文字通り『脱皮』した。
拘束されていた外皮を破り捨て、血みどろの中から蛇が古い抜け殻を捨てるように新しい肉体が勢い良く抜け出したのだ。
「みーな!?」
「はあっ、はっ、はっ……くっ……!!よくもっ、よくもおぉっ!!!」
荒い息を吐く水無瀬。脱皮と同時に生成されたのは、喪服のスーツではない。上質な手触りの、水色と白を基調とした絹仕立ての和服姿だった。
彼女は再び距離を取り、今度は『居合』の構えを取る。だがそれはやはり正気の構えではない。大太刀を真上に掲げて目を閉じ、上弦の月のように刀身を据え置く。神経を極限まで張り巡らせ、エヴリンがいつ突入してきてもカウンターを放てるように備える構え。……いや、自死を誘発する狂気の構えだ。
だが、歴戦の狂戦士であるエヴリンはそんな小細工などお構いなしだった。
無言のまま踏み込み、無防備な水無瀬の腹部へ向けて戦斧のような重い蹴撃を叩き込んだ。
ゴシャッ!!
「がはっ!?」
「エヴリン!」
「危なかったな、幸輝。もし奴に情をかけて足を止めていたら、今頃『カウンター』で首を飛ばされていたぞ」
教室の壁を突き破り、水無瀬は豪雨が降り注ぐ校庭へと吹き飛ばされた。
「『火よ、敵を覆い焼き払え』!!」
愛花が咄嗟に空中の水無瀬へ向けて詠唱付きの魔法を放つ。初級の火球魔法だが魔王軍を焼き払ってきた彼女のそれは威力を極限まで嵩増しされている。水無瀬の体力を削り、無力化するには十分すぎる一撃だった。
轟音と共に火球が直撃し泥だらけの校庭を転がる水無瀬の肉体を容赦なく焼き焦がす。
だが、水無瀬は即座に無から膨大な水を湧き出させ己の肉体を覆って炎を鎮火させた。
そして泥と水に塗れながらふらふらと立ち上がる。抜刀した大太刀の切っ先を幽鬼のように揺らめかせながら、校舎の二階から見下ろす勇者たちへと向けた。
「はぁ、はぁ、くっ……。まさか、この手を、使わせるとは……。大した『怪異』だ。この俺を……まさかここまで愚弄する様な奴だとは、なぁっっ!!!」
水無瀬は自分に狂気的な自己暗示をかけ始めていた。
『そうだ。あいつらは本物じゃない。私の思い出を読み取った怪異だ』
彼女は信じていたのだ。
きっといつか他者の命を奪ってまで生き延びている自分は酷く罰せられるのだと。そしてあの事件で一人だけ惨めに日本に取り残された自分は運命に囚われた罪人なのだと。
「出てこぉいっ!!化け物めぇっ!!この異界対策課、白神水無瀬様が相手をしてやるよっ!俺の過去を……ダチを真似しやがって!!その上、訳のわからないお人形までお連れになられるなんて……たははっ……!笑かしてくれるじゃねえかよぉっ!!!」
水無瀬の顔が急速に『修復』されていく。
引き攣っていた筋肉が整い、面長な顔立ちと切れ長で吊り目の美貌が復元される。白濁していた右目も本来の金色の瞳を取り戻し、壊死した皮膚が再生し、裂けた頬肉も元通りになった。
すっかりそこには豪雨の中で白銀の大太刀を携えた、圧倒的な神威を放つ『和服の超絶美人』が佇んでいた。
「……本当に、頭が狂っちゃったのかな?」
愛花が虚空を切り裂き暴れる親友を見て悲痛な声でこぼす。
「だが、あのままで捨て置く訳にもいかないだろう?」
エヴリンも愛花も哀れにも心が形もなく砕け散り、折れ、悲劇のヒロインという殻に縋ることでしか自我を保てなくなった水無瀬をただ深く憐れむしかできなかった。
「ひゃはははっ!貴様らには、貴様ら『怪異』には!人間としての勇敢な行いも!!槍を持ち風車に突撃する愚行の意味さえ理解できず、叶わぬ願いを籠めて塔を築く意味さえ考えぬ様な愚かな下等種族な分際で!!!俺の、俺のお、思い出、俺の大切な宝物をぉぉぉぉぉ弄ぶな!!!!!ひはははっ、ぎはははは、ひひひぃ!!!」
狂って、笑う。
土砂降りの雨の中花もほころぶような満面の、しかし底知れぬ狂気を孕んだ笑顔で笑う。
水無瀬は見えない敵――現実という名の強大な敵に向かって刀を振り回し、糸が切れて壊れた人形のように叫び続ける。
彼女は別に根拠が無くて『怪異だ』と言い張っている訳ではなかった。実際に対策課のマニュアルには「過去の思い出を利用する精神干渉系の怪異が存在し、それに対抗するには対話を一切拒絶し、全方位に向けて殲滅攻撃を行うこと」という措置が存在している。
だがそれはあくまで『目の前の存在が怪異であると明確に判断できた場合』のみの措置だ。
今の水無瀬は過去の罪と現実から逃げる為だけにマニュアルを曲解して刀を振るい、逃げているのだ。
何処までも繰り広げられるその白蛇ののたうつ狂気の舞は幸輝と愛花の心に耐え難い苦痛を与え続けた。
自分たちが異世界に連れ去られ、置き去りにしてしまった結果、忘れ去らたと思いながらも一人で待ち続け、壊れきってしまった親友の姿……。
「……やむを得ませんね。ご主人様、そして愛花様。私があの方を対応します。ですので暫く手助けは不要です」
「シャルロット……ごめん、任せて良いか?」
「あの方はご主人様にとっては大切な方。であるなら、私にとっても大切な方だということです。ご安心ください、手荒にはなりますが必ずや『現実』へ連れ戻してまいります」
そう言うとシャルロットは銀髪を雨風にたなびかせ、二階の窓から軽やかに校庭へと飛び降りた。手元に白銀の聖剣を展開しそれを実戦的なレイピアの形状へと変化させて、水無瀬と真っ向から向き合う。
「白神水無瀬様。我が夫にして主である神谷幸輝の命で御座います。どうか、神妙にしてくださいまし」
「……夫?ははっ、何を言うかと思えば……はぁ?ふざけた事を……あいつは、幸輝はもう死んだんだよ……」
「あの人は、ずっと貴女の事を気にかけておりました。私とあの人が出会う前から、異世界で辛い時もずっとでございます」
「死んだ人間が、どうやって結婚するのさ!!!神谷幸輝は死んだんだよ!!!私の前で、あの日に、確かに、光に飲まれて消えたんだ!!!!!」
「あの方は、幸輝はずっと貴女が地球で待っていると信じて戦い抜いたのですよ!」
「白神水無瀬はッ、待ってなんかいなかったんだ!!!!!!!!!!」
狂乱し、踊りかかる水無瀬。
その剣技はやはりアニメの影響を受けた『サーベル剣術の真似事』だった。1.5メートルの大太刀を片手で勢い良く振り下ろし、シャルロットの細い手首を狙う。
しかし、神の膂力が乗っていようと剣の理を無視した素人の太刀筋など聖剣の化身であるシャルロットは余裕を持って躱す。
「避けるな……避けるな!!!」
水無瀬はその勢いを利用し、無理な体勢から返し刀で斬りかかる。
シャルロットはそれをレイピアで軽く受け流し、一気に間合いを詰めた。水無瀬は咄嗟に後方へと跳躍し辛うじて致命の刺突を回避する。
だが、戦場は水無瀬が作り出した泥濘んだ校庭だ。足場が悪い水に濡れた砂場において、大柄で重い大太刀を振り回す水無瀬は自らの体重と武器の重さに足を取られ始めていた。
対してシャルロットは小柄であり小回りの利くレイピアを扱う。地の利を完全に無視し彼女は有利に立ち回る。
水無瀬の防御の隙を突き、レイピアの鋭い切っ先が彼女の脇腹を浅く、しかし確実に突き刺した。
「がはっ!」
「まだ参られない様子。続けられますか?」
「怪異に屈したら、私はどうなる?そうだ、尊厳さえ許されぬ辱めを受けるのだろう……だから!!」
「諦めの悪い方ですね……まるで、ご主人様を思い出します」
「思い出してろ!!そうして、私に殺されてしまえ!!!」
水無瀬は横薙ぎを放ち、シャルロットを強引に剥がす。
そこから再び、狂気の剣戟が30合ほど切り結ばれた。
その間も水無瀬の脇腹からは絶えず血液が垂れ流され、苦痛に美しい顔が歪む。だが彼女の交戦の意欲は削がれるどころか、自傷行為のように増すばかりだ。その間にもシャルロットのレイピアは度々水無瀬の身体に深く刺さり、集中力と体力を容赦なく削っていく。
水無瀬が大振りに斬りかかれば、シャルロットは流す。
シャルロットが正確無比に突けば、水無瀬は大太刀で捌ききれずそのまま肉体に刃を突き立てられる。
だがシャルロットは殺意を持っていなかった。敢えて急所は全て外し、出血と痛みで水無瀬の体力を極力削り、弱らせる様に戦っていたのだ。
「ぐはっ……」
無茶な動きを続けすぎた水無瀬の肉体がついに限界を訴える。
激しく吐血し、泥水の中へ崩れ落ちるように倒れ込んだ。白と水色の美しい和服は彼女自身の返り血で完全に赤黒く染まり上がり、今にも失血死しそうな勢いで流血している。
「降参されますか?今なら、アイリス様の魔法でまだ助かるでしょうが」
「呆けた、事を……ごふっ……はぁ、まだだ……たとえ……ここで死ぬなら本望、と言えど……がはっ……はぁ……っ」
水無瀬は震える手で脇腹を押さえ必死に止血を試みる。自身の能力で出血箇所を強引に凍結させ流血を抑え込むが刺し貫かれた激痛が収まることはない。
「はぁ……ご主人様をこれ以上悲しませないでください、白神様」
「死体を、死体を弄び、俺の心をズタボロに辱める様な怪異が、戯言を申すなぁっ!!俺は、俺は白神水無瀬!国交省の誇る異界対策課の最高戦力なるぞ!!」
「……いい加減にしなさい。私は魔王討伐を果たした聖剣『エクスカリバー』に籠められし乙女、シャルロット・ド・カミタニ。名乗りをあげましたよ白神様。貴女のその『怪異ごっこ』に合わせて、ですが」
「ふ、ははは、はははは!……なにが魔王だ、何が乙女だ!!適当な話をでっち上げ、それで俺の、俺の動揺を誘おうってのかい?ハハハハハハ、は、ふざけんなよ。ふざけんなって」
笑いながらも、水無瀬の瞳の奥が激しく揺れ動いていた。
目の前の存在を「怪異」と呼ぶには断定するには、あまりにも材料が足りないのだ。
これほどまでに人間臭く、圧倒的な実力を持ち、自らの過去や心理を正確に抉ってくる『怪異』など異界対策課のデータベースのどこを探しても存在しない。
そう。もう一つの可能性――絶対に認めたくない『真実』が、水無瀬のショート寸前の脳内に湧き上がってきてしまった。
「嘘だ、嫌だ、まさか、そんな……そんなっ……あり得ない事を」
「漸くお認めになるのですね、白神様。そうです。そこにいるご主人様は貴女の思い出を利用する怪異などではありません。異世界で本当に魔王を討伐して帰還した、勇者・神谷幸輝その人なのですよ」
「それで、それが、そうだ、それがどうした……ふふ」
だが、狂気に侵された水無瀬のプライドはどうしてもその真実を受け入れることができなかった。
まさか、自分がずっと待ちわび大切にしていた存在に対して本気の殺意を向けてしまったというのか?
そして、親友の遺族たちになんと説明すればいい? 『幸輝たちは生きていたけれど、私が暴走して怪我をさせました』とでも言うのか?
その絶望的な責任を取る方法についてただでさえ正常な判断力を失っている水無瀬の脳は完全にショートを起こした。
「おじさまやおばさま、そして俺の家族に、これで説明は出来なくなった……。上層部にも、民間人殺害未遂で懲戒免職だろうな……ふふふ……なら」
汚辱に塗れたヒロイン。
その前提と強者としての『強い自分』という仮面を守るために。
彼女は腐敗に満ちた、自己保身と破滅願望が入り混じる最低最悪の結論を導き出した。
「全員、ここで死ね。……そうすれば、初めから何もなかった事になる」
「成る程。まだお元気なご様子。であれば、もう少し貴女の狂った踊りにお付き合いしましょうか。ですが、私は貴女を殺さないようにしますので宜しくお願いしますね」
レイピアを優雅に構え直すシャルロットの前で、水無瀬は泥に塗れた顔を上げ、空虚な笑みを浮かべた。
――私は、私は悪くないよ。
――そう、幸輝が悪いんだよ。
――私を置いて異世界なんかで幸せになって強くなって帰ってきた、あんたが悪いんだよ……?




