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こちら国土交通省異界対策課  作者: ウォルギリウス
Prefazione

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どうして戻って来たの

2026年4月28日 22:30



 廃校となり久しい旧堂山高校跡地。

 施設管理と異常事態への即応のため電力と水道だけは最低限通されているものの、夜になればそこは完全な闇に沈む廃墟である。施設内には至る所に高感度の霊力・磁場センサーが張り巡らされており、一階の仮眠室には常に異界対策課のエージェントが常駐している。


 かつてこの地で空間の歪みが発生した際、巡回中の民間警備員が文字通り「肉片一つ残さず空間に削り取られて」殉職するという痛ましい事故が起きて以来夜間の異常には必ず専門の高級エージェントが対応することになっていた。


 本来エージェントは必ず二人一組のバディで行動し、交代でモニターを監視しながら定時巡回を行うのが鉄則である。


 だが、この日に限って。


 幾つかの不幸な偶然と胸騒ぎのする虫の知らせが重なり、この場所には『たった一人』しか配置されていなかった。



 ジリリリリリリリリリッ!!!!


 仮眠室に神経を直接ヤスリで削るような無機質でけたたましい無作法にも程がある警報音が鳴り響いた。


 経費の都合上非常に安上がりなパイプベッドの上で丸まるようにして眠っていた女が無言のままのそりと身体を起こす。


 その出で立ちは真夜中の警備にはあまりに不釣り合いだった。黒いワイシャツに黒いネクタイ、そして漆黒のスーツと安物の腕時計。まるでこれから誰かの葬儀に向かうかのような、喪服然とした姿。高校生の頃から履き潰しているようなローファーをベッドの横に置いてる。


 彼女――白神水無瀬は乱れた白い髪を払うこともせず、焦点の合わない金色の瞳で虚空を見つめながらひたり、と冷たい床に足を下ろした。




 喉の奥から乾いた、それでいて苦痛に満ちた呻き声が漏れる。


 ひたり、ひたりと、まるで重力を引きずるような重い足取りで扉へ向かい、糸に引かれて無理矢理連れられるようにドアを静かに引いて廊下へと出た。


 全身の皮膚が粟立つほどの強烈な磁場の乱れ。

 水無瀬の足は迷うことなく二階の『2-2』の教室へと向かっていた。階段を覚束ない足取りで上る彼女の背中には彼女自身の身長に迫ろうかという巨大な大太刀が背負われている。一切の穢れを知らぬ白銀の鞘に収められたそれは彼女の死に体のような足取りとは裏腹に、恐ろしいほどの神聖な威圧感を放っていた。


 幽鬼のように生気を完全に失った姿で水無瀬は暗い廊下を進む。


 彼女は無意識の内に懐から何かを取り出し、自らの顔を覆い隠した。


 それは、外側を墨で黒く塗り潰された『般若の能面』。


 暗く分厚い無機質な面の下で彼女の目からはとめどなく涙が溢れ流れており、口はだらしなく病人のような半開きのまま、ただひたすらに行き場もなくありもしない幻影に向かって悔恨を籠めた懺悔の言葉を紡ごうとしていた。


 一方、旧『2-2』教室。


 空間の異常を検知した天井のセンサーが狂ったように赤色の明滅を繰り返している。


 何もない空間の中心に唐突にヒビ割れたボウルのように黒い亀裂が走った。ガラスが割れるような甲高い音と共に亀裂は瞬く間に拡大し、漆黒の虚数空間から凄まじい勢いで何者かたちが「吐き出されて」きた。


「うわあああああっ!!」

「きゃああああああっ!?」

「ひぃぃぃぃぃぃっ!!!」

「いやああああああっ!!!!」

「うおおおおおおお!?????」


 どすん! ばたん! どさっ! ごとん!


 空中の裂け目から放り出された男女がチョークの粉にまみれた床に叩きつけられ、当時のまま残されていた机や椅子を派手に薙ぎ倒しながら転がった。


「いたた……全員、ふぅ……生きてるか?」

「えぇ……何とか。頭は打ったけど受け身取れたから無事。幸輝はどうなのよ」

「良かった。愛花(あいか)、俺も無事だ。異常は何処にも見当たらないぞ、手足も痛みはない」


 もうもうと舞い上がる埃の中、素早く身を起こした二人の男女が互いの無事を確認し合う。

 二人の顔立ちは紛れもない日本人だったが、その装いは現代日本において正気の沙汰とは思えないものだった。


 男はミスリルを思わせる銀色のプレートアーマーを急所に纏い、その下には細かく編まれた鎖帷子を着込んでいる。腰には鉄の剣が差されている。


 女は魔力を帯びた生地で仕立てられたローブを身に纏い、先が仄かに発光する杖を握りしめている。首元には異界の国宝級の宝玉が嵌め込まれたブローチが輝いていた。


 30年間という想像を絶する異世界での死闘を潜り抜け、魔王軍を壊滅させた彼ら――神谷幸輝とその幼馴染である橘愛花にとって不意の転移など日常茶飯事のトラブルに過ぎない。


「ここが幸輝様の居た世界……。不思議な空間ですね……まるで、沢山の『目』があるような……」

「ああ、嫌な感じだ。こんな気味の悪い所はさっさと誰か来る前に離れようぜ。……なんだか寒気がしてきた」

「そうですね。どうせならもう少し綺麗な場所だったなら助かりましたのに。若しくは森の中とか、人気の完全にない場所なら……」

「アイリス、エヴリン、シャルロット。取り敢えずそちらも何とか無事そうで何よりだ」


 彼らに続いて起き上がった三人娘もまたファンタジー世界からそのまま抜け出してきたかのような異様な出で立ちだった。


 一人は体のラインを隠すような純白の修道服に身を包んだ、長い金髪の白人女性・アイリス。彼女は祈るようにロザリオを手に巻きつけながらも、腰に帯びた分厚い刃の戦斧に手をかけている。


 一人は、引き締まった筋肉と無数の傷跡を持つ赤髪の女戦士・エヴリン。彼女は空間の歪みからすぐさま巨大な両手剣を実体化させ、野生の獣のような勘で周囲の闇を睨みつけていた。


 そして最後の一人は透き通るような銀髪を持つ少女・シャルロット。彼女は咄嗟に幸輝の背中を守るように動いた。その所作は庇護を求めるか弱い少女のものではなく、いざとなれば主のためにその身を鋭利な『刃』へと変える、呪われた聖剣としての絶対的な警戒の構えだった。


 彼らが陣形を整え、この埃っぽい遺跡のような空間から脱出しようと、リーダーである幸輝が最初の一歩を踏み出した、その時。


 ――ズシリ。

 ――ドスン。

 ――ゴッ。


 無色な空気が、まるで熊や虎を前にした赤子のように泣いた。


 これまで幾多の魔王軍幹部を屠り、時には異界の神々とすら対峙してきた幸輝たちの全身の毛穴が一斉に恐怖に開いた。


 重苦しく、ひどく湿り気を帯びた、底知れぬ殺意と『悲哀』。


 それが、廊下の向こう側から、自分たちに向かって真っ直ぐに迫ってきている。


「!? 全員構えろ!!」


 幸輝が短く叫び、腰に差した鉄の剣を鞘から僅かに抜く。


「嫌な感触……!でも、何処かでこれを知ってるかも……」愛花が廊下の気配に対して杖を構えながら、見たこともない懐かしい感触に冷や汗を流す。


「来て早々これかよ……!! 洒落にならないプレッシャーじゃないか!」エヴリンが油断せず大剣を構え、強敵との邂逅に向けて歯を食いしばる。


「知ってる?愛花はこのジメジメした気配を知ってるのですか?」アイリスが斧を握り直しながら愛花にこの気配の正体の検討を尋ねた。


「でもハッキリとは覚えてないし……第一、まずこんな強大で歪な禍々しい気配を漂わせる奴なんて居ない筈なのよ!」

「ですがこうしてこちらへ真っすぐ向かって来ている以上、迎え撃つしかありませんわ」


 シャルロットは未知の世界での平和的コンタクトを即座に諦め、幸輝の手にそっと触れた。



 外の世界に異変が起きていた。

 先程まで満月が照らしていたはずの都市の空が瞬く間に分厚い黒雲に覆い尽くされ、窓を叩き割らんばかりの暴力的な豪雨が降り始めたのだ。


「シャルロット、すまないが万が一の際は『剣』に成ってくれないか?」

「わかりましたわ、ご主人様。……お気を付けて。この気配、あまりにも悲しすぎます」

「何か、唸り声みたいなのが聞こえるんだけど……まさかな」

「そのまさかだろうな」


 バリィィィィィンッ!!!!

 ドオオオオオオオオオンッッ!!!!!


 近距離で落雷が発生し、凄まじい地響きを鳴らす雷鳴と共に地域一帯の送電網が完全に沈黙した。

 センサーの赤い光すら消え去り教室は完全な暗黒に包まれる。


 暗闇の中、雨音を切り裂いて、廊下から『それ』の足音が近づいてくる。



 ひたり。はぁ。

 ひたり。はぁ。

 ぴちゃり。はぁっ、はぁっ。

 ぴちゃり! はぁっはぁっはぁっはぁっ!

 ぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃりぴちゃり!!はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっはぁっハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 水浸しになった床を叩く不規則な足音が、次第に狂ったようなテンポへ加速していく。

 同時に聞こえてくるのは、過呼吸のような、嗚咽のような、または笑い声のような荒れ狂う息遣い。


 そして。

 ドンッ!!!!!


 教室の引き戸が蝶番ごと吹き飛ぶほどの凄まじい暴力で無理矢理開け放たれた。


 振り注ぎ続ける稲光がその者の姿を一瞬だけ映し、廊下の闇を白く眩く照らし出す。

 そこには安っぽい黒い喪服のような姿に身を包み、背中には身長よりも少し短い程度の長い大太刀を引きずり、真っ黒な般若の能面を被った巨大な幽鬼が力なく壁にもたれかかりながら、異世界から帰ったばかりの勇者たちを見下ろして佇んでいた。



 ──どうして今更戻って来ちゃったのかな?懐かしくて、私涙が出そうだよ

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