第3章:凧を揚げるのは、誰の風か
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立花蓮の加入は、メディアやサポーターの間で一時的な話題を呼んだものの、現実の経営難を好転させる魔法にはならなかった。
「今月の遠征費、そしてスタジアムの照明代……。相馬GM、これが現実です。立花選手を獲得したところで、来月の給与支払いすら危うい」
フロントの執務室で、田島が領収書と睨み合いながら冷ややかに告げた。
「大口のスポンサーだった地元の上場企業がコロナ禍で撤退した穴は、そう簡単には埋まりません。あなたの言う『未来への投資』とやらで、クラブが倒産しては元も子もない」
恒一は腕を組み、窓の外を見つめた。田島の指摘は100%正しい。予算を切り詰めるだけでは、ジリ貧でクラブは死に至る。
「大口がダメなら、小口を100社集めるまでだ」
「100社!? 正気ですか。この不景気に、どこの企業がJFLの、しかも最下位のクラブにお金を払うんです」
「企業じゃない、田島さん。『街』だよ。この浜松という街そのものを、僕たちのスポンサーにするんだ」
恒一が目をつけたのは、浜松の魂とも言える「商店街」であり、何より地元の人々が命を懸ける「浜松まつり」のネットワークだった。
2
その日の夜。恒一は田島を半ば強引に連れ出し、市内の古い居酒屋の暖簾をくぐった。
そこでは、地元の商店街の幹部であり、各町の「凧揚げ会」を仕切る初老の男たちが、熱気混じりに酒を酌み交わしていた。
「おいおい、田島。連れてきた『東京のインテリGM』ってのは、この男かい?」
顔を真っ赤にした大柄な男――商店街の会長であり、凧揚げ会の組長でもある男が、値踏みするような目で恒一を見た。
「はじめまして、相馬です。本日はビッグカイトFCへの支援のお願いに参りました」
恒一が丁寧に頭を下げ、用意してきたパンフレットを差し出す。しかし、男たちはそれに目もくれず、鼻で笑った。
「おい、相馬さんよ。俺たちが汗水垂らして稼いだ金を、なんでよその若い衆が球蹴りするだけのチームに寄付しなきゃならんのだ? ビッグカイトだか何だか知らんが、お前らの試合に、地元の人間が何人行ってる? 悪いが、俺たちには関係ない世界だ」
冷淡な言葉が突き刺さる。田島が「ほら見ろ」と言いたげに横でため息をついた。
東京での経営者時代なら、ここで「費用対効果」や「ブランディングの価値」を数字でプレゼンしていただろう。だが、今の恒一にはそんな小手先のテクニックが通用しない相手だと分かっていた。
恒一は、出されたコップの日本酒を一気に飲み干し、男の目を真っ直ぐに見つめた。
「関係ない、とは言わせません」
「なんだと?」
「皆さんが命を懸けている『浜松まつり』。コロナのせいで、今年も大凧揚げは中止、屋台の引き回しも全滅でしたよね。……悔しくないんですか!?」
静まり返る居酒屋の店内に、恒一の声が響く。
「伝統の凧を空に揚げられない。その鬱屈としたエネルギーを、どこにぶつければいいんですか。ビッグカイトFCは、単なる球蹴りの集団じゃない。この街の『名前』を背負って戦う、もう一つの大凧なんです。皆さんが揚げられないなら、僕たちがピッチの上で、浜松の凧を高く揚げてみせる! だから、その風を、皆さんの力を貸してほしいんです!」
男たちは唖然として恒一を見つめた。
沈黙を破ったのは、隣にいた田島だった。
「……組長。こいつの言う通りです」
田島が、一歩前に出た。
「こいつは東京から来た余所者ですが、クラブを救うために必死です。そして、我がビッグカイトFCが、かつてこの街に日本一の栄冠をもたらした時、スタンドを埋め尽くしていたのは、商店街の皆さんだったはずだ。あの熱狂を、もう一度この浜松に取り戻したくはないですか!」
いつもは改革に反対していた田島が、自分の生い立ちである「クラブへの愛」を爆発させていた。古いやり方に固執していたのは、誰よりもクラブの歴史と、地元との繋がりを信じていたからだった。
組長はしばらく二人を睨みつけていたが、やがて「ガハハ!」と豪快に笑い声を上げた。
「言うようになったじゃねえか、田島! ……おい、相馬。お前、口だけだったらタダじゃおかねえぞ。その代わり、次のホームゲーム、俺たちの町の若い衆を全員連れてスタンドに行ってやる。地元の意地ってやつを、見せてみろ!」
3
数日後。恒一と田島は、事務作業の合間に缶コーヒーで乾杯していた。
「田島さん、ありがとうございました。昨日の寄り合いの後、商店街の50店舗以上が、一口数万円の『市民スポンサー』に加入してくれました。合計すれば、今月の遠征費を余裕で賄える額です」
「勘違いしないでください、相馬GM」
田島は照れくさそうに顔を背けた。
「私はあなたのやり方を認めたわけじゃない。ただ、クラブが潰れたら、昔からのサポーターに顔向けができないと思っただけです」
「分かっています。でも、田島さんの『地元への愛』がなければ、あの頑固親父たちは動かせなかった」
そこへ、グラウンドでの練習を終えた監督の鷹宮と、コーチの村瀬がやってきた。
二人の表情は引き締まっている。
「相馬、次の対戦相手が決まったな」
鷹宮が、リーグ戦の日程表を机に叩きつけた。
「次節の相手は『FC富士宮』。現在リーグ首位、潤沢な資金でJ3経験者を揃えた、今シーズン最大の壁だ」
村瀬がノートパソコンを開き、冷静に分析データを提示する。
「富士宮の堅守はリーグトップ。普通に戦えば、うちの若いディフェンスラインは持ちこたえられません。勝機があるとすれば……」
「新加入の、立花蓮か」
恒一の言葉に、鷹宮がニヤリと笑った。
「商店街の連中が風を吹かせてくれたんだ。あとはピッチの上で、あの尖った凧をどこまで高く跳ばせるかだな」
窓の外では、今日も遠州の空っ風が激しく吹き荒れている。しかし今の恒一には、その風がクラブを後押しする「追い風」に感じられていた。




