第二章
桜宮です。
遅れて申し訳ありませんm(_ _)m
今後もこのようなペースになるかもしれません。
【平成十三年 十二月二十六日 上】
「おはようさん、あきめくん。」
「…あ、こくり叔父さん。おはようございます。」
「早起きだね〜。ちょっと隣で髭剃っても平気?」
「どうぞ…。」
朝六時、広い洗面所でシェイバーの音と少年のくしゃみ一つ響いた。
「ここ、暖房が効いてるとはいえまだ寒いよねー。」
「そうですね。」
「…今日の朝ごはん、なんだろうね。」
「楽しみです。」
「もうリビングには誰かいるのかな。」
「父さんはもう起きているはずです。」
「りかちゃん達は?確か君の部屋で一緒に寝てたよね。」
「まだ寝てました。」
「そっか。…あ、ここまだ泡残ってるよ。」
「…わ。本当だ。」
ぬるいお湯を手に溜め、パシャパシャと洗った。
「んじゃ、わしは先にリビング行ってるね。」
「あ、はい。」
優しくタオルで拭いた後、伊達メガネをかけた。少し大きめで、黒縁の伊達メガネ。掛けていると何となく落ち着くアイテム。ずいっと鏡に顔を近づけ、自分の瞳を見つめた。何の変哲もない黒い瞳。
「…今日もよつはさんのとこ行こっと。」
脳裏に焼きつくあの瞳。自然と今日も会いたいと思っていた。大人ぶっているが、やはり心のどこかに少年特有の幼さ、純粋さ、素直さがあるのだろう。…あきめは洗面所の電気を消した後、リビングへ向かった。少し重たい扉を開けるとやはりまだ大人しかいなかった。
「おはよう、あきめ。」
「と、父さん。おはよう。」
ちらっと母親を見たが、やはり携帯に夢中で彼が部屋に入ってきたことすら気づいていなかった。挨拶しても無駄だと判断し、彼は自分の席についた。
「まだ、みんな起きていないから朝食は八時くらいにするよ。」
「…うん。」
「それとももうお腹が減ってしまったかい?」
「ううん、大丈夫。…あったかいもの、飲みたいかも…」
「ココアにするかい?」
「うん。」
父はゆきなを呼び、ココアを二つお願いした。あきめが不思議そうに首を傾げると父はクスッと笑った。
「…私も久々に飲みたくなってな。」
「父さんの苦手な甘さですよ。」
「あきめと美味しいを共有したいんだ。」
「……」
親戚がいるから、珍しく父らしい態度を取るのだろうか。なんて言葉が心にどろりと覆い被さった感覚がした。
「…そっか。僕も父さんと美味しいを共有したいな。」
五秒遅れて返事を返した、くしゃっと作り笑顔を浮かべて。しばらくしてゆきながココアを持ってきて、少し冷ましたのち一口飲んだ。
「ん…?」
「どうした、あきめ。」
「…何でもないよ。美味しい。」
いつもより甘すぎるココアに違和感を覚えたが、こんなもんかと自分を納得させた。
「久々に飲むと美味しいな。けど、ちょっと甘すぎる。」
「父さんはコーヒー、好きだもんね。」
ぼんやりとココアを飲んだり、少し父と話したりして時間はあっという間に七時を指し、静かにボーンボーンとその時間を告げていた。
「…おはよ〜…」
「おはよ。」
りかとまつが起きてきた、その時。次男夫婦の嫁、ひなたが突然金切り声を上げた。
「どうしてそんなみっともない格好をしているの!今すぐ着替えてきなさい!!」
「んえ…?」
りかとまつは、うっかりいつもの格好をしていたのだ。りかは短パンに今人気のヒーローを描いた長袖シャツ、まつはフリルたっぷりのワンピース。どちらも互いに持ってきたものである。
「えっと、これは…その…」
「言い訳しないで!」
今まさにりかがビンタされそうになったその時、いつの間にかひなたの背後に立っていたてんじがその手首を掴んだ。若干、ミシッという音がした気がした。
「今みっともないのはテメーだぞ、ひなた。」
「で、でも!あなた…この子達が…」
「服くらいでなんだ。どうでもいいだろ。」
「おかしいわよ…おかしいでしょ!どうしてこの子達はいうことを聞いてくれないのっ!」
重たく、鈍い音とカシャンという軽い音がリビングに響いた。てんじがひなたをビンタしたのだ。
「子供はロボットじゃねーんだよ。うるせーぞ。」
「…っ」
てんじは掴んでいた手をパッと離しソファーへと戻っていった。その場にへたり込んだひなたは眼鏡を探して、指先に触れた硬いものを拾い上げ掛けた。
「…母さん?」
「もういいわ…。朝ごはん、もうすぐらしいから、座りなさい。」
「「…はい」」
姉弟は手を繋いで昨日の晩と同じところへ座った。二人の前にはあきめが座っていた。
「お、おはよ…ひなたおばさん、大丈夫?」
「…いつもの事。私たちが悪いから。」
「お姉ちゃん…」
あきめは二人を見つめた後、ひなたへ視線を向けるとゆきなが冷えて濡れたタオルを渡していた。そして立たせ支えられてリビングを出ていった。
「……」
「あはは、初めてやらかしちゃった。ここに泊まるの初めてだったから…ドジ、しちゃった…」
「やっぱり、そっちの方が見慣れてる。」
「そ?ありがと。」
「…お姉ちゃん、こんな服…苦手だよね。」
「あんたの方が似合っててウケる。」
そんなやりとりにクスッと笑った後、辺りを見渡すと大人達は特に気にする様子もなく、息を潜めているのかようだった。
「おっはよー!つきか参上!」
と、そんな重たい空気を破る存在が起きてきた。あまりにも唐突な明るさで一同、心臓が跳ねた。
「んえ?なんでこんなに暗いわけ?なんかあった系?」
「つき…何でもないからこっちに座ってくれ…」
「そっかー。」
つきかはこくりの隣に座り、ポケットに入れていた小さな鏡を取り出し、前髪を直し始めた。と、よひらが立ち上がりてんじの元へと向かった。こそこそっと話し合った後、てんじと共に席へ戻ってきた。
「もうそろった事だし、朝ごはんにするか。ひなたさんは自室で食べるそうだ。」
そう言った後、しばらくしてワゴンと共にしょうまとあんが部屋に入ってきた。今日の朝食は、トマトの混ざったチーズスクランブルエッグに、クロワッサン。シーザーサラダにソーセージ二つ乗ったワンプレート。同時にいただきますをして、ふんわりと穏やかな空気へとなっていった。
◇
「あきめ遊ぼ!何して遊ぶ?」
「ごめん、僕行きたい場所があるんだ。」
朝食を食べ終え、自室へ向かおうとしてたあきめにりかが声をかけた。けどあきめはこれからガゼボへ向かうという大切な用事があった。
「えー…じゃあ、あたしも一緒に行く!まつも一緒に。」
「一人で行きたいんだ。それに、まだ宿題があるだろう?メモ用紙は僕の机に置いてある。」
「た、確かにまだ宿題あるけどさぁ…ほら、息抜きぃ…みたいな?」
「またおばさんに怒られるよ。」
「ウッ…」
「戻ってきたら、一緒に遊ぼ。ほら、約束。指切りげんまん。」
りかは渋々小指を差し出し、指切りげんまんをした。あきめはマフラーと手袋のみを装着しガゼボへ向かった。周りに誰もいないことを確認してから、ガゼボへ踏み入った。今日もよつははティーポットを持って立っていた。あきめに気づくとふんわりと微笑んだ。
「…いらっしゃい。」
「お、おはよう…ございます。よつはさん。」
「ふふ、おはよう。あきめ。そちらでは朝なのね。」
「はい。だいたい八時半くらいです。」
「そう。そこへ座り、ちょうど今紅茶ができたの。砂糖とミルクは?」
「お願いします。」
あきめはちょこんと椅子へ座り、辺りを見渡した。
「どうかしましたか?」
「あ…昨日は、クローバーが咲いていたはずなんですが、今日はヒナゲシなんだなぁと思いまして。白い花ですが、合ってますか?」
「えぇ、合ってるわ。白いヒナゲシ。綺麗でしょ?雪のようで。」
「綺麗です。」
よつははニコッと微笑んだ後、あきめの前に紅茶を差し出した。昨日と同じ、まったりとした優しさが舌に流れゆく。よつはは目の前にある苺のタルトを一ピース、あきめに差し出した。
「…今日は何だか少し落ち込んでるわね。どうしたの?」
「え…そう、でしょうか?」
「お姉さんの目は誤魔化せないわ。」
あきめはポツリと今朝の出来事を話した。よつははただあきめを見つめ、傾聴した。
「好きなの、着ればいいのに…ひなたおばさんはいつも怒ってるんだ。みっともないって。」
「…まだこの時代でもその風潮はあるのね。」
「この時代?」
「いいえ、なんでもないわ。…ただ、どの時代でもそういうものよ。女は女らしく、男は男らしく。」
「……」
「人間は固定概念に囚われていた方が安心する生き物なの。新しいものを取り入れるのは怖くてたまらない、臆病な生き物でもあるわ。」
「なるほど、です。」
「ふふ、ちょっと難しかったかしら。」
「そ!そんなことは、ないです…」
ニコリとよつはは微笑んだ後、ケーキを口に運んだ。あきめも真似するように一口食んだ。
「…よつはさん」
「なに?」
「よつはさんはいつからここにいたの?」
「んー…秘密、って言ったら怒る?」
「いえ、別に…」
「じゃあ、秘密。」
「そう、ですか。」
「掘り下げないの?」
「人が秘密と言ってるのですから、掘り下げたら失礼です。」
「まぁ。随分とませてるのね。」
よつははふふっと笑って、あきめは首を傾げ二口目を口へ運んだ。
「…美味しいです。」
「お口に合うようで何より。…もう向こうだと十時前後かもしれないわ。そろそろお戻りに…」
「まだ、いたいです。」
「あら…そう。気が済むまでいていいわ。」
「…ありがとうございます。」
春に似た風があきめとよつはの間にそっと吹き込んだ。と、よつはがふと口を開いた。
「ねぇ、あきめ。」
「なんでしょうか」
「もし、もしだよ。悪い事をした人が自分の近くにいるとしたら、どう思う?」
「え?…普通に…怖い、です。」
「そうよね…」
「突然、なんの質問ですか?」
「いえ、ね。ねぇあきめ。」
「は、はい。」
「探偵ごっこはお好きかしら?」
「…ごっこ遊びは、好きじゃないです。」
「じゃあ、ミステリー小説は?」
「それは好きです。」
「そう。では、貴方はこれからミステリー小説の主人公ね。」
「え?」
「この先、色んな事件があるかもしれないけど…それを解くのは貴方よ。」
「む、無理…ですよ。僕、探偵じゃないので…」
「私は貴方に期待している。」
「!」
「その日に何かあったか私に報告をお願いできるかしら。」
「…あの」
「何?」
「ただの、遊びですよね?」
「…きっと、そうね。暇潰しのための、遊び。」
そう言って見つめるよつはの瞳はいつもより一層煌めいた。その瞳を見つめれば、催眠がかかったかのようにぼぅっとしてしまう。そして自然と「はい」と答える。よつははとことん不思議な人だとあきめは思った。
「遊びなら、楽しそうですね。」
「そう、ただの遊びよ。だってこの世は現実世界。ミステリー小説じゃないわ。けど…事実は小説より奇なりかしら。」
よつははそう言いながらカップへ口を運んだ。あきめもケーキを一口口へ運ぼうとしたその時、「あっ」と声を漏らした。
「ごめんなさい。僕、約束してたんだ。すっかり忘れてた…」
「あら、それは大変。すぐにお戻り。」
「…ケーキ、残してしまう…」
「ケーキより、約束が大切ですよ。」
「明日、来たときは全部いただきます。今日は、ごめんなさい…」
「謝らなくていいわ。さ、お行き。」
あきめはヒョイと椅子から降り、よつはに一礼してそそくさと家に戻った。玄関の扉をそっと開くと仁王立ちでりかが待ち構えていた。その顔はむくれていた。
「ご、ごめん。りか…」
「おっそい!!どこ行ってたの!?何してたの!?」
「えっと…それは…」
「もうお昼だよ?午後はぜっ…たいあたしと遊ぶこと!」
「…うん」
りかの横を通り過ぎ、リビングへ向かおうとしたその時。りかに呼び止められた。
「?…あきめ、あんたすっごい香水の匂いがするわね。本当にどこ行ってたの?」
「え?…そんな匂いする?」
「すっごいする。けど、香水臭い!って感じじゃなくてふわっと甘い匂い…。金木犀?だけど、秋の花よね?」
瞬時によつはの香水の匂いだと気づいたあきめは作り笑いを浮かべて答えた
「僕の母さん、香水をいっぱい振りかけてるでしょ?きっとそれだよ。」
「そ?」
あきめは「じゃあ」とささっとリビングへ向かった。りかが一つ瞬きをすると一匹の蝶があきめについてくのが見えたが、もう一度瞬きするとその蝶はいなくなっていた。
「…気のせいか。」
◇
穏やかな昼下がり、あきめはまつとりかと隠れんぼを行っていた。じゃんけんが根っから弱いあきめが鬼となり、あちこちを探し回っていた。
「二人とも隠れるの上手いし、すばしっこいからなぁ…」
書斎やら浴室やら父と共有のクローゼットやらありとあらゆる場所を探した。
「…広すぎる、この家。隠れんぼなんて無謀だった…」
ぶつくさ文句は言うが何気に楽しかった。そういえば客用の離れに行っていないことに気づき、渡り廊下へ差し掛かったその時。こくりが電話してるのが視界に入った。邪魔しないようにとこっそりと後ろを通った際に、僅かに電話内容が耳に入った。
「…そう。うん、警察…。連絡するんだ。ん?うん、早めに連絡すればよかったよね。ごめん。」
あきめはふと足を止めぼぅっとこくりを見つめてしまった。こくりはそれに気づき、ふっと笑った。
「ごめん、ちょっと用事を思い出した。また後でかけ直すね。うん、また進捗あったら教えて。ん、了解。」
こくりは電話を切りそっと近寄ってきた。あきめはハッとして足を止めて聞き入ってたことに気づいた。
「ご、ごめんなさい。大事なお話ぽかったのに…」
「大丈夫だよ。それより何かあったのかい?」
「えっと、隠れんぼしてたんです。二人ともなかなか見つけられなくて。あはは…」
「面白そう!吾輩も混ぜてもらってもいい?」
「うん」
「木の上とかいそうだと思わない?」
「あ、確かに…」
「どうしたの?あきめくん」
「…いえ、別に…。こくり叔父さんの左肩に蝶が…」
「え?」
こくりはパッパと肩を払っても蝶は飛ばないどころかこくりの手がすり抜けていた。この蝶は叔父さんには見えていないんだ、とあきめは確信した。
「うん、飛んでったよ。」
「そっか、良かった。じゃあ、探そっか。」
一時間探し、見つかった場所はりかは木の上、まつはその近くにあった植木にうずくまっていた。
「あーあ!見つからない自信あったのに。…じゃあ、もっかいじゃんけんしよ。あきめは隠れるの確定だから三人でじゃんけんほいっ!」
「ありゃー…吾輩が鬼かぁ。」
「大人ぶいえす子供達ね!よーし、隠れるわよ!あんたたち!」
一斉に子供は散らばり、各々隠れた。あきめはどこに隠れようか迷った末、書斎にした。時間がかかってもここなら本を読めると思ったからだ。書斎は一つの部屋に一階、二階に分かれていてあきめは二階の一番端っこに隠れた。
「けほ…埃っぽい…あまりこっちの本は読まないなぁ。」
と言いながらも一冊手に取った。本のタイトルは『怪盗アマポーラ逮捕の危機!?』というラノベだった。五巻と書いてあったので一から四もあるのかと辺りを見回したが、今は隠れんぼ中だったと思い、しまおうとしたが、少し気になり開いた。何故この書斎にラノベがあるのだろうという疑問は置いといて初めての世界にあきめは心が躍った。…隠れんぼの最中だということも忘れて読み耽ったのが祟ったのか、目の前にいつの間にか現れた鬼であるこくりにも気づかなかった。
「みっけ、あきめくん。」
「え…?あ。」
「やっぱりここにいると思った。」
「よ、よく分かりましたね。ここって。かなり端っこで見つからない自負あったのですが。」
「あきめくんといえば書斎だと思ってね。一番最初に捜索したよ。…何読んでたの?」
「これです。この書斎には珍しい本で。」
「へぇ〜ラノベ。確かにこの書斎で珍しいね。」
「…二人、探しますか?」
「そうだね。また木の上にいたりして。」
「あり得そうです。」
二人は手分けして双子を探した。結局、木の上にはおらず狭いクローゼットの中で発見した。四人でリビングへ行き、一旦休憩することにしたので、ゆきなに飲み物をお願いした。
「えー!?あきめ、書斎に隠れて本を読んでるとこを見つかったの!?ださ!」
「…僕、隠れんぼ下手なのかしれない…」
「で、でも…楽しいでしょ?か、隠れんぼ…」
「うん、すごく楽しい。いつもは勉強しかやることないから…」
「ゲームとかしないの?ほら、最近販売されたのとか。」
「…ゲームかぁ…。百人一首とかはやるよ?」
「それはゲームなの…?」
「お待たせしました。」
ゆきながオレンジジュースとお茶を持って現れた。氷とグラスがぶつかる音が軽やかになった。ゆきながストローを置いていってくれたが、ストローを使ったのはあきめとまつで、他二人はそのまま飲んだ。
「あたし、氷を食べんの好きなんだよねー。なんか、楽しくない?ゴリ、ゴリって。」
「僕は食べないなー…氷。」
「お姉ちゃんの癖だよね。…ぼ、僕もたまに食べる…」
「この時期は寒くない?」
「別にー?」
ダラダラと会話をしつつ、隠れんぼは飽きたとりかが言い今度はトランプ遊びになった。じゃんけんで神経衰弱に決まりあきめの無双だった。
◇
〈夕飯時 午後七時〉
皆、席に着々に座るとこくりがいないことにあきめが気がついた。隣に座る父の袖を引っ張り、小声で「こくり叔父さんは?」と尋ねると、「電話があるそうだ」と父も同じトーンで返した。
メイドの二人も承知の上だったようで、静かに料理を置いていった。本日は鶏肉の鉄板焼きだった。皆が食べ始め、しばらくしてこくりが現れた。こそっとてんじが声をかけていた。
「…そんなに急ぎの電話だったのか?」
「う、うん。まぁ…そんな感じ。」
「食事は家族でするものだ。食事前後の電話は控えろ。」
「ごめん…」
こくりはそう言いつつ、食事を始めた。
「ねーあーし、これ嫌いだから食ってー。」
「あ、ここに乗せて。他に嫌いなものはある?」
「んー…ない。」
「そっか」
少し冷めた人参のソテーから食し、温かいものへとフォークを移した。皆が食べ終わっていく中、あきめは何故かこくりの食事の早さと並んだ。
「…あきめくん。」
「はい」
「もしかして食欲ないのかい?いつもより食べ終わるの、遅いなーって思って。」
「あ…そんなことは、ないです。味わってるだけです。」
「もしかして苦手なものあった?叔父さんがこっそり食べてあげようか?」
「好き嫌いは特に、ないです。全部食べれます。」
「ホントかな〜。ほうれん草、苦手なんじゃない?」
そう指摘されたあきめは少し眉をひそめ、「食べれます」と言い、一気に流し込み、急いで水で飲み込んだ。
「た、食べれました。」
「好き嫌いなくて偉いね〜あきめくんは。」
「…当然です。」
こくりは自分の鉄板から一切れあきめに鶏肉を渡した。
「吾輩はもう、お腹いっぱいだから少しあげるね。」
「え、でも…」
「後味が苦手なものより、好きがいいでしょ?」
「…あり、がとう…ござます。」
こくりはニコッと微笑んだ後、ささっと平げメイドに鉄板を渡した。あきめも貰った鶏肉を頬張り、ゆきなに渡した。
「あきめ様。食後のデザートはいかがしますか?」
「んー…アイス食べたいな。ゆき、いつものお願い。」
「……かしこまりました。」
ゆきなはワゴンを引いて、リビングを後にした。しばらくしてゆきなはチョコミントを持ってきた。あきめはこの味が好きである。それはゆきなも承知している。
「うへー…あきめチョコミント食べてる〜…」
「スッキリしてて甘くて美味しいよ?」
「あたしは断然いちごだな〜…。まつは抹茶だっけ?」
「え?う、うん。あと、バニラ」
りかもアイスを食べたくなり、ゆきなにお願いしていた。しばらくしていちごアイスとバニラアイスと温かい紅茶が運ばれてきた。
「暖房が効いてるとは言え、体の内側が寒くなりますから。」
「ありがとう。ミルクと砂糖も入れて。」
「あ!あたしもあたしも!まつは?」
「僕は。ミルクだけ。」
「かしこまりました。」
ゆきなはそっと右手でティーポットを持ち、それぞれのティーカップに注いだ。夕暮れのようなオレンジ色の紅茶にそっとミルクが溶け込んでいく。りかはすぐに混ぜてしまうが、あきめはこの瞬間が好きだった。混ざりきる手前でガムシロップを入れぐるりと回し、一口飲んだ。
「…ん、違う…」
「どうかなされましたか?」
「あ、ううん。なんでもないよ。」
よつはの淹れた紅茶を口にしてから、ゆきなの淹れた紅茶を飲むのは久々だった。それゆえか、ゆきなの淹れたいつもの紅茶が少し渋く感じた。よつはさんは、紅茶を淹れるのが得意なんだなと心の中で思った。
◇
〈別館にて〉
「大丈夫だ、完璧だ。」
爪を齧り、貧乏ゆすりをしながら何度も何度は呟いた。と、その時。戸をガチャリと風呂上がりの女性が入ってきた。
「マジうるさーい。あんたここんとこそれ酷いし、睡眠薬飲むし。」
「ご、ごめん…。癖になってるのかも。直すね。」
「それ何回目なの?マジいい加減にして。」
「…ごめんね。あ、そうだ。いつもの水飲むかい?持ってきたんだ、つきかが常飲してるから」
「持ってくるの当たり前だし。そこの小さい冷蔵庫?」
「う、うん。」
つきかは頭をタオルで拭きながら冷蔵庫を開け、水を一口飲んだ。
「…あんたも入ってくればー?」
「あ、うん、そうする。」
こくりは携帯を持って風呂場へと向かい、上がると既につきかは電気をつけっぱなしで眠っていた。そっと電気を消した後、こくりも布団に入り、携帯を開いた。
『宛先:kokri2849@…
件名:本日の報告
本文:お疲れ様です。副店長の佐伯です。午前中に連絡した通り、窃盗の件を警察に連絡しました。ですが、何も証拠がないそうで動けないと言われました。店長が防犯カメラを増設してくださったのに、何も証拠がないとは…。力添え出来ず残念です。店長が帰ってくる前に解決してみせますね。』
こくりは一つため息をつき、携帯を閉じて天井を見つめた。この返信ができずにかれこれ二時間は経っていた。返信内容が思いつかなかった。だが、返信せねばともう一度携帯を開いた。
『宛先:morning。14106@…
件名:報告の件について
本文:返信が遅れてごめんね。うんそっか。でも君が一番尽力してくれてるし、そんなこと言わないで。警察に言っても証拠がないと言われたのか…。もう少し探せばあるんじゃないかな?吾輩はまだ帰れないから、スーパーをよろしくね。』
消して、書いて、睨めっこしてを繰り返し、やっと返信を送れた。
「…警察に連絡したのか…そうだよな…」
こくりは布団から出て、床に置いてある鞄から自分の財布を取り出した。座り込みお札を数え、ポツリポツリと「これはつきかの整形分」や「万札は…つきかのあの件用か…」と呟いた。数えれば数えるほど手元から減っていくお札。来月のアパートのお金を払えるかもどうかも怪しい。
「…ハァ…」
こくりはふと顔をあげ、ポツンと置いてある家族写真を見た。今、こくりが泊まっている場所は大学前まで暮らしていた自室。ゆっくりと立ち上がり、その写真立てを手に取り見つめた。家族写真、と言ってもこくりの顔は黒く塗り潰してあった。それは自身で塗ったもの。
「兄さん達みたいに、優秀だったらなぁ…」
そっと黒い部分を撫で呟いた。目を瞑れば未だに脳裏には父親の怒鳴り声が反芻する。
『浪人になるとは情けない!そんな者が我が一族の者だと思えん!』
写真立てを戻し、ベッドに戻った。毛布を被り、窓をふと見ると常盤色の蝶々が一頭、こつんこつんと窓にぶつかっていた。
「おや、いつの間に…」
こくりは急いでベッドから降り、そっと窓を開けた。ふわりふわりと月へ向かい飛び去った。寒さも忘れ、しばらくうっとりと眺めていたが、つきかの「寒い」の一言で窓を閉め、こくりも眠りについた。
(続)




