第168神 喪失を抱えて生きろ
ここは今、美鈴さんの家の縁側だ。
みくまりが閉じたあと一旦落ち着くためにうちに来なさいと美鈴さんに言われてご招待された。
縁側に座りながら、空を眺める。
蒼穹市は水源が閉じられたわけではなく、みくまりが神域を閉じたに過ぎない。
水源自体は変わらず沸き続けている。
管掌とは、なんなのか……今になって考えさせられる。
声だけに戻ってしまった2人に、声をかける。
「……風伯と、火雷はなんの役割を持ってんの…?」
『俺は、神無の空と浄化の風の管掌だよ』
『私も、空の管掌なんだけどねえ……私には黄泉の番人としての役割もあるから…』
そういえば、前にそんなことを言っていたな。黄泉の番人としての立場があるようなことを…。二つの管掌を持つ火雷と風伯に、首を傾げる。
「あれ、じゃあどうなるんだ…?」
『空はあの人に任せて、私は冥界で、黄泉路の管掌をやってるよ』
「おぉ…え、待って火雷結構…重要な役割なのでは?」
火雷は縁側に腰掛けて、庭を眺める。
『黄泉路を通る、色んな守護者を見てきたよ』
静かに、けれど淡々と火雷が言う。
「…雨の守護者も、みくまり様も…?桔梗さんも…?」
『うん、居たよ。楽しそうにしながら黄泉路を通っていたのを確認してる。私のことはみんな知らないから、挨拶はしてないけどね』
視線の合わない火雷はずっと庭に視線を向けたまま、飛んでいる鳥を見つめた。
『黄泉路っていうのはね、蓮。産夢に行くまでの道のこと。もっと言うと、惟神という名称がつけられた道のこと』
…雨水で、ヴラドさんが言っていた言葉。
──惟神の道は閉ざされた。
『ヴラドの言っていた祝詞は、惟神の道を開くことなの』
『魂が渡ったら、惟神の道を閉ざすことで、輪廻へ向かう、そういう流れなの』
システム的な輪廻の流れに、ふと思い出す。七不思議で黄泉の世界に入ったことを。
「黄泉の世界って、鏡の中なの?」
『ふふ、どうして?』
「…葬儀で、鏡を使ってた、七不思議でも鏡の世界に入った…から」
『よく覚えてるね、そうだよ。この世界では冥界は鏡の中。基本的には干渉しない世界』
「…四つの層だけじゃ、なかったんだ…」
根の国に住む住人の常識として、この世界は四つに分かれていることを習う。天界、現界、隠り世、魔界の四つだ。とはいえ、隠り世以外の世界は本当にあるのかもわからない御伽噺だと神無では言われている。
守護者として過ごしていくうちに、本当にあるんだと信じたレベルだ。
火雷は俺に顔を向けて微笑む。
『知らないことがあるのは当たり前だよ、蓮』
「黄泉の王様とかは…」
『いるよ、もちろん。冥界での役割は産夢へ行く人たちには鳥居を潜ってもらうの』
「鳥居を…」
『そう、その先に産夢がある。王様達は死んだもの達が外に行かないように見守ってる。私は死んだもの達が通る道を守ってる』
管掌を放棄した先にあったのは、雨水市の大災害だ。今回は蒼穹の神自身が人柱となって地区を守った。その結果災害は起こらず保たれた市になった。
じゃあ、黄泉路を放棄したら?
「…火雷が、黄泉路を放棄したら、どうなるの……」
『死んだ人たちが、黄泉路を通れなくなっちゃうの…。だから私はね、蓮』
切なそうに申し訳なさそうな火雷とおとなしい風伯。
ざわつく胸をそのままに火雷の言葉の続きを待った。
『──あなたが例え死んだとしても私はついていけないの』
「……そ、うなんだ…」
神様は2人ともついてきてくれると、勝手に思っていた。
そうではないのだと、言う。
黄泉路を手放すことができないから。
『…前回も、あなたと死出の旅路について行ったことがないの…』
俺よりも、火雷の方が寂しそうな声で話す。
『本当は、ついて行きたいけど…あそこを放棄してしまうことの方が、怖いから…』
…街や、空。海。もちろんこういう管掌を放棄するとそこに生きている者たちが、死んでしまう可能性がある。
どちらかといえば、放棄しない方がいい。って当たり前の話だ。
でも、それ以上に火雷の管掌は死ぬかどうかの話じゃない。
死んだあとに行く道を守っているのだ。
それを放棄してしまえば、当然──
──死んだ人たちが迷い、この世は幽霊で溢れてしまう。そうすれば必然と、今のマガツヒの状態では死んだ者でさえ感染しているのだから、感染してパンデミックだ。
膝に乗せた手を握る。口から漏れる声が震えた気がする。
「…仕方ない、なぁ」
『うん、仕方ないの』
ごめんね、なんて。謝る必要もないのに火雷が謝る。
火雷に視線を合わせられない。目の前が少しぼやけている。度があってないのかも。
横に座る火雷に向けて笑った。
「大丈夫、ありがとうな、管掌のこと教えてくれて」
『ううん』
鳥の囀りが遠くから聞こえてくる。風伯が火雷とは反対の、左側に座った。口を噛み締める。声を出せば、どうしても漏れてしまう気がしたから。
鼻が痛い。目頭に熱を感じる。目の前がすごく見えにくい。
右にいる火雷が、膝に置いてある俺の手の上から小さな温かい手を重ねた。
『…ふふ、蓮泣かないの』
そう言って、微笑んだ火雷の表情は仕方ない子どもを見るように、目を細めていた。噛み締めていた口から声が漏れる。
「…うぅ……ッ」
仕方ない、仕方ないと今回は諦めることが多かった。
諦めざることが多くて、無性にやりきれなくて、勝ったとか負けたとかじゃなくて、ただただ。
「悲しい……ッ…ひっ、」
声が引き攣る。大きな声で泣かないように喉で押し殺すように噛み締めながら息を潜める。
つらいよ。つらい。
ヒガンの時に生きていることで救いになるんだと、希望は語ってなんぼだと、。雨水で救えないものがあることも知った。
でも同時に、救える人がいることも、救えて良かったと思うこともあった。
天使と戦ってる時ですら、解放できたような感覚があった。
無力感と戦う必要はないんだと。守れることは悪くないと。思っていた。
神は、どんな形であれ人を神秘を守ろうとする。
『感受性が豊かになったなぁ』
『元々蓮は豊かだったのに、変に抑えてたから…』
止まらない涙に対して火雷と風伯がやれやれと、困ったような子どもを見るような声。
いつもの仕方ない子だなぁと、言うような優しい表情。
誰も悪くなかった。誰もが最善を尽くした。それだけだった。
それだけの、話だった。
俯かせていた先に艶やかな靴が目に入る。ゆっくり顔を上げれば珊瑚さんの驚く顔。
「おや、蓮が泣いてる」
珊瑚さんが隣に来て背中を撫でてくれた。
さっきまで遠くでカワウソたちと話してたのに……。
「ご、ごめんなさ」
「なんで謝んの?」
「よ、弱くなっちゃうから」
だって泣かない方が強い。
泣かない方が、我慢できた。
止まらない。涙が止まらない。
止めなきゃ、止めなきゃ。
俺は。
「いいよ。涙なんて止まらないもんじゃない?」
『そうだよ蓮、人は泣いたらその分悲しい気持ちを前に出せるんだからそっちの方がいいよ』
──神は、泣けない。
それを思い出してまた涙が溢れる。
火雷だって泣きたいことがあったんじゃないのか。
みくまりだって、泣こうとしてた。
泣く機能がないから、泣けない。こんなにも同じ人の姿なのに。
「うぅ…」
「擦るな擦るな、西瀬〜タオルもらえない?」
「ちょっと待ってなさい」
パタパタと廊下を歩いていく美鈴さんの足音に申し訳ない気持ちになってまたさらに涙が出てくる。
やるせない気持ち、悔しい気持ち、女々しい自分に涙がまた出る。
鼻水も止まらないし、頭も痛くなってきた。
「蓮がしょぼしょぼしてる」
ふはっ、と楽しそうに珊瑚さんが笑う。
なぜ……笑わなくてもいいじゃん…。
「よしよし、うちのシオンの話してやる」
珊瑚さんの横から蝶々がふわりと飛んでくる。どうやらそれはシオンさんらしい。
『なんで僕の話なんだ』
「うちのシオンは、夢の管掌でね。君たちの夢を管理してるんだ」
『……まぁ、知っての通りあなたの前世の夢を見せたのも、管掌の役割からチョチョイと弄った』
最初の頃見ていた夢たちはみんな、前世の夢だった。
青いマフラーもこの人だったし。
「でも全部じゃない」
『根の国の夢を管理してはいるけど夢、という名の記憶だよ』
声が引き攣るから、何も言葉を返せない。
ひっ、ひっ、と肩で息を吸う。ふと、視界に蝶々が羽ばたいていくのが見えた。
『そもそも夢とは、あなたたち人間が見た、経験した、覚えた、知った。これらの知識が夢という形になってさまざまなものを見せる』
『夢=記憶だと思ってくれていい。僕はその記憶を夢という形にして君たちに見せることができる』
だから、前世の夢を見せれたのか…。
今になってその理由を知って納得した。
珊瑚さんが軽く背中を3回叩いた。
「おっ、涙引っ込んだね」
パタパタと足音が近寄ってきて、美鈴さんにタオルと、冷たい保冷剤を渡された。
「なぁに、泣いてたの?蓮」
「そう、泣いてたの、かわいい後輩だよねえ」
「ほんとねえ。ふふ、じゃあお菓子を持ってきて正解ね!みんなで食べましょ」
ティッシュを渡されたので全力で鼻をかんだ。
たくさんお菓子が入ったカゴを縁側に置いて3人で並んで座る。
美鈴さんだって、辛かっただろうに。
「美鈴さんも、泣いていいんですよ?」
俺の言葉に一瞬だけ目を見開いて複雑な顔をした。
「…私が泣くのはあの人たちが帰ってきてから…って決めたの。だから泣かない」
言葉を区切って少しだけ息を吸った美鈴さんは、目の前にある庭の方を向いて笑った。
「泣かないわ」
…強い人だ、強くて気高い。
救って、救われて、忘れて、思い出して。
──それでも、その喪失を抱えて見送らなきゃいけない時もあるんだと、俺はこの時雨水を思い出してまた泣いた。
明日は7時と17時に断片を投稿します。
22時からは通常通りの本編です!




