第163神 ****を救え
「…それでも」
美鈴さんが口を開いたと同時に、空気が震えた。
ゾワゾワとした気配に視線があちこちにいってしまう。
「な、なんか気持ち悪くないですか?」
珊瑚さんと蓮水さんが上を見上げる。鳥居の中にいる鳥が羽ばたいていく。
「嫌ぁな予感がするねえ」
「ああーもう!ほら、来ちゃったじゃんかー!」
ちゃぷちゃぷと水の音。
振り返ると、鳥居の外が湖のように水で浸されていた。
「…え!?」
「ちょ、ちょっと外大丈夫なんですかこれ!?」
鳥居の近くまで慌てて駆け寄って鳥居の外に出る。
身体に張り付くような感覚のまま足を踏み出す。
「…あ、れ」
そこに、水は無くただの階段だけがある。周りにいる人たちが怪訝な顔で俺を見ている。何をしているんだろうこの人は…そんな顔だ。唖然と空や周りを見渡すが、異変を感じる前と同じような光景が広がっていた。
鯉登りが川を登って、てるてる坊主が空を浮く。
「さっき、変な感じだったけど何も無かったねえ」
「えがったえがった」
河童と人が話しながら、俺たちが潜った鳥居と同じ鳥居をくぐるが、人と河童は消えることなく、奥へと入っていった。
火雷が脳内で静かな声で話す。
『…この鳥居で神域との境界を分けてるのかも』
「え、てことは俺たちがいたのは神域?」
ひょっこりと横から現れた珊瑚さんも鳥居から顔を出していた。
確かに顔から下の身体はまるでマジックのように消えている。
「…なるほど、だから最初は入れなかったのか」
「侵食が進んで境界が不安定なんだ」
珊瑚さんの補足に、みくまりの方を見ると水が上へ上へと流れるように力が溢れている。
蓮水さんが抑え込もうとしているのが見えた。
「ああ!防げない、全員伏せて!!」
蓮水さんの声よりも早く、みくまりの身体から水が弾け飛び、神域内にあったであろう水の建物達が崩れていく。
黒く滲んでいただけだったのが変化し、真っ黒へと変わった建物は次第にドロドロとした液体になる。
じゅわ…と蒸発している音が聞こえるところから見るに触れたら危険なことはすぐにわかった。
「君たち妖怪も人間も神域に長くいたら狂うんだ!早く出ていきなさい!」
蓮水さんの声に妖怪達が固まる。
みくまりを置いていけない思いがまだ尾を引きずっているのだ。
「こいつをお前達は悲しませたいの?!!」
" ……ッ、みくまり様!また!またお会いしましょうね! "
" みくまりさまぁ!私たちは忘れませぬ! "
" みくまり様、ご武運を!! "
泣きながら出ていく妖怪達を横目に俺たちが立っていると、カワウソが俺たちのズボンの裾を引っ張った。
" 守護者!人間!ぜっったいにみくまり様を苦しませるんじゃないぞ!! "
" 我らの守り神を救え!! "
言葉を返そうとしたが、それよりも早くカワウソは鳥居の外に出ていった。
「……救え…か」
「君たちは守護神と契約してるからね多少なりとも神域での活動は問題ないはずだよ」
「玉や終の家で舞の練習だってしたんでしょ?」
「なら大丈夫だよ」
唖然と見上げて固まる美鈴さんの背中を蓮水さんが叩いた。
「──これは、君たちじゃないと討伐できない」
「…ッ」
「狐と夢は幻を。雷と風は自然を。
みくまりは幻と自然を体現している神だ」
「…幻…?」
「子を育て、守った。これらがあの神にとってはマガツヒ反転で嘘になってしまう。守ってない、殺したのだと。そういう反転をしてしまう」
「だから君たちを僕は選んだんだ。
自然には自然を。間違いだと認識された幻には幻をぶつけよう。ってね」
「…ちゃんと、理由あったじゃないですか…」
「最初に言ったって信じなかったでしょ。僕からできることなんてほとんどないよ。
強いていうなら」
家々から生まれた黒い塊の水がクラゲの形になって出てくる。
クラゲが飛ばしてきた分身を蓮水さんが片手で弾いた。
「君たちの援護くらい、かなぁ」
煙管を吹かせながら蓮水さんが笑う。
「上出来ですよ!ありがとうございます、神様!」
感謝の言葉を返せば蓮水さんは煙を口から吐く。
「どういたしまして〜〜…っと」
ふぅー、と吐いた煙が狐の形を模る。
「周りのクラゲは僕がどうにかしてやるから君たちは本命を殴ってきてよ、僕にはマガツヒを触れないからさ」
まだ立ち直りきれてない美鈴さんの背中を蓮水さんがもう一回押した。
「美鈴、うだうだ悩む時期はもう過ぎてる。覚悟を決めな」
「うるっっさいわねぇ!わかってるわよ!!」
「わかってても理解できるわけないじゃないのよ!」
怒る美鈴さんに、蓮水さんが胸ぐらを掴む。
「理解は後にして体を動かさないと死ぬぞって僕は言ってるんだよ!」
美鈴さんの目が見開き、蓮水さんが怒鳴るように声を荒げた。
「僕は別に国が安定して神が生き残るならなんだっていいんだよ。
そのために君たちが犠牲になったって必要だったと思うだけだ!
でも、みくまりは違うだろう!!」
「君がみくまりを家族だと思うように、みくまりだって君を家族だと思ってるんだ。
君が死んだらあいつはこの後どうなる、自分の守護者──君の兄だって亡くしてるんだよ!!?」
「ちょ、ちょっと今それどころじゃないでしょ蓮水さん!」
慌てて二人の仲裁に入る俺の横で珊瑚さんが扇子を取り出した。
飛んできたクラゲを、珊瑚さんが閉じた扇子で弾きながら、扇子を開く。
「我、珊瑚の名の下に告げる。
蝶が舞い、鱗粉を飛ばす。
夢よ、俺の世界に」
青い蝶々が蓮水さん、美鈴さん、俺、珊瑚さんの周りを囲う。
「夢宵」
少しだけ、みくまりから離れた位置に飛ばされて雲の上に全員乗る。
ぷよぷよとした雲は蝶々でできていた。
「うおっ気持ち悪っ」
「人の作った蝶々の雲を気持ち悪いとは…」
「いえごめんなさい、集合体恐怖症の人は無理かもなぁと」
蓮水さんが座り、美鈴さんが目を逸らす。
『…2人とも頭は冷めた?』
鈴から出てきた火雷は二人を見る。
火雷の言葉に蓮水さんと美鈴さんが黙り込む。
『ほら、2人の気持ちはわかるけど。落ち着かないと会話も成り立たないよ。あと、蓮水様』
「なあに?」
蓮水さんは小さな火雷と視線を合わせる。火雷は静かな視線で蓮水さんを見つめた。
蓮水さんもいつもとは違う空気を感じ取ったのか、たらりと汗を流す。
あ、火雷怒ってる…。
『ざっくり心を刺し過ぎ』
火雷に怒られる蓮水さんは、「……本当のことを言っただけだよ。統治神としてね」と返す。
『みくまりが戻ってきてからまだ一年しか経ってないんだよ…美鈴の気持ちも考えなさい』
『…もっと言えば、帰ってくるまでに6年もかかってるの…この子は5年間我慢して1年間しかまだ会えてないの』
6年……雨水を封じる時に、幻治郎さんが言っていた。
──神は最低でも戻ってくるのに5年はかかる──と。
ということは、お兄さんが亡くなって、五年後に戻ってきたのか…。
黒い湖の中で蠢いてる龍の姿は、どこか寂しそうに見える。
蓮水さんはそんな龍の姿を痛々しそうに見つめていた。
「…不在の間、この地区を守っていたのは…」
「封じていたのは幻治郎だよ。あいつ、今いろんなところを封じる役目してるからね。
まあここの被害はそこまでひどくなかったから…妖怪の住む街みたいなもんだしね、荒れてるのには慣れてるんだよ彼等は」
ふふん、となぜか自慢げに話しだした蓮水さんを火雷がにっこりと笑った、
『蓮水様?』
「……悪かったよ、火雷がそんなに怒るなんて……」
『美鈴に謝りなさい』
「………ごめん。でも僕は、事実を言っただけだ」
『…蓮水様ぁ?』
「火雷、僕だってこの国を統治する神なんだ。わかって欲しい」
『わかってるけど、もう少しだけ心を砕いてあげて』
蓮水さんの狐耳がペタン、と垂れる。火雷に怒られていることがよほど辛いらしい。
美鈴さんはそんな蓮水さんの様子を見て呟く。
「…いえ。私も…あなたが正しいことは、わかってるのよ…」
でも。と暴れるみくまりに目を向ける。
家屋に向かって身体をぶつけ、叫ぶ。
【誰だ、誰なんだ!…我は!】
【我の名前は!嗚呼、殺したい、殺したい!憎い、憎い憎い!】
【子どもなんぞ邪魔だ殺してやる!】
ちゃぷちゃぷと漂っていた水は気付けば、みくまりの神域いっぱいにまで広がって本当の湖のようになっていた。
「……私にとって、あの人は家族なんだもの…簡単に、手放せない」
泣きそうな顔でグッと堪える美鈴さんを蓮水さんはしばし眺める。
そうして、少し息を吐いた。
「…それでも、いつかはやらなきゃいけない日が来るよ」
湖の中を泳ぐように水中に潜り、叫び、鳥居から出ようとするみくまりの姿はとても…哀れで、悲しい存在に見えた。




