第18神 守れなかったもの
人では制御のできない自然災害なのだと、幻治郎さんは言う。
「だからこそ、神には生きていてもらわないといけない」
「…戻ってくるって、なんでわかるんですか」
キョトンとした顔をした幻治郎さんはその後一拍置いて笑った。
「戻ってこないと今頃雨水どころか白刄は水に沈んだ都市って言われてるだろうよ」
「…あ」
「それに、守護者が輪廻に戻ったのを見届けたら、大抵の神様は戻ってくる。自分たちの役割があるからね。次の輪廻までゆっくり待つんだろうさ」
その言葉に、神と守護者の関係に何故か胸が締まる。
長い年月をかけて人間が戻ってきても、同じ守護者とは限らないだろうに。
災害後、あの綺麗な水の中にまだ見ぬ犠牲者が沈んでいる。
その事実に吐き気がした。
「…中にいる犠牲者の救出は…?」
絞り出した言葉に、幻治郎や、その場にいる守護者たちは顔を見合わせる。
「…水の守護者たちが主流になって救出するよ。
…蓮、君も手伝う?」
ゆっくりと顔を上げると幻治郎さんは優しい笑みを浮かべてこちらを見ていた。
助けてくれなかったくせに。
そんな恨み言が口から出そうになる。
だって、あなたがもう少し早くくれば、あの子は。
「……っ、手伝います」
なにを、俺は他責にしているんだ。
俺は自分で救うって決めただろうが。
最強がいるからって、頼るのは違う。
『俺たちも微力ながら、手伝おう』
風伯の言葉に幻治郎さんが頷く。
すぐにその場にいた守護者たちに指示を飛ばし始めた。
「北方向にある街は***、君に任せたよ。南は島崎、春雨頼んだよ。東に***たちよろしく。西は俺と蓮で行く」
「えっ」
幻治郎さんの言葉に幻治郎さんを見ると赤い目がこちらを射抜く。
「さあ、指示通りに動いて」
「「はい!」」
幻治郎さんより明らかに年上の人たちでさえ彼の言葉に動く。
「船に乗った?よーし、じゃあ行ってらっしゃい」
みんなが小舟に乗ったのを確認して、幻治郎さんがパンッと手を叩く。
パッとその場にいた人たちが消え、雨水の都市に移動した。
「蓮、行こうか」
「…何で俺と…」
船によっこいしょと言いながら座る幻治郎さんは、ぽんぽんと横を叩く。
いろいろな感情を抱えたままゆっくりと前に座る。と同時に世界が変わる。
パシャン、水飛沫が散り、雨水市の中の水の上に船ごと移動したことに気づく。
いつの間にやら出ていた風伯と火雷は沈んだ都市を眺めていた。
土砂に塗れた水面とは違い、中はとても綺麗だということを知ると途端に気持ち悪くなる。
ゆったりと動く船に乗りながら、何も話さない幻治郎さんに思わず、ポツリと呟いてしまう。
膝を抱えて顔を埋める。
失礼な態度を取ってるな、と頭の片隅で思いながら、両手を強くギュッと握る。
「…俺は、人や神を救いたくて、守りたいと思って、ここにいます」
俺の言葉に視線だけをよこす。
続きをどうぞ、と促すその姿勢は、どこか竜胆さんを思い出した。
「…だから、あなたが、憎いと思ってしまった」
救える力があるのに、どうして。と嘆いてしまった。
「それはきっとあなたにとっても、自分自身にとっても酷い言葉だと、思ったんです」
だってそれは己が無力な証拠。
力があるから全てを救えるわけではないと幻治郎さんが言ったように、力があっても、救えないかもしれない。
「努力しても、無駄なんだと、…思ってしまって」
考えがめちゃくちゃで、今はもう思っていることをただ口に出している。
握った両手から汗が一つ、流れる。
今の自分の声は震えていて、泣き出してしまいたくなる。
魚がいないはずなのに水が跳ねる。
雨は変わらず、降り続けている。
けれど、風伯が風を吹かせて自分たちの周りの水を弾いているから濡れない。
──そんな力すら、俺にはない。
きっと目の前の幻治郎さんにはそれがあって、俺はまだ未熟だ。
「何を勘違いしてるのか知らないけどそれは当たり前のことだよ、蓮」
冷たいようで、温かい言葉が返ってきて、驚きで固まる俺をよそに幻治郎さんは静かな声色で話す。
「俺は自分のことを強いとは思ってないんだ。こんなことを言うと嫌味か?って言う人がいるけどそうじゃなくて、本当に。
俺には俺ができることがあればできないことだってあるよ。
むしろそう言われれば言われるほど緊張するし、吐きそうになる」
『相変わらず、小心者なのか』
「…人は変わりませんよ、風神様。俺はいつまで経っても人前に立ちたくないし、指示とか正直出したくない。責任なんて取れない。
でも、取らないと誰も動けなくなるから、若い子達が俺よりも頑張ろうとしてるから、俺は責任を取るし指示を出す。」
『上の立場になるとそうなるよね』
「そうなんですよ…今回亡くなった守護者は俺の同僚でね、昔から調子のいいやつだったんだけど…そう、娘さんも、俺は何度も話したしあったことがあるよ」
幻治郎さんの声は静かに反響するように響く。
「蓮、君が覚えておいてあげて。あいつの娘は確かに生きていて、あいつは確かに生きようとしてたってことを。それが語られることであいつらの人生は誰にも忘れられない一つのものになる」
ふわりと風が吹く。風伯のものとは別の普通の風だ。
揺れる白髪の髪が、神秘的で、横目に見ただけなのに雨粒が波紋を打ちながら水面を揺らしているその空気と香りに不思議な光景に見えた。
「努力は無駄じゃないし、そもそも初の現場でたくさんの人を君は救っていたと他の者から話を聞いてる」
ゆっくりと顔をあげれば、ポンっと頭に手を乗せられる。
膝がびちゃびちゃに濡れて、顔も涙や鼻水やらでぐちゃぐちゃなのに静かに抱きしめられる。
「大丈夫…、大丈夫。
お前はちゃんと人を救ってる。誰かを知らず知らずのうちに救ってることだってきっとある。
実績も、感謝もある。お前は確かにあの人たちにとって救世主だったんだよ」
もう泣き疲れたと思ったのに涙が止まらない。
救えた人がいた。
その人たちに感謝だってされた。
………でも、救えなかった人もいた、間に合わなかった人もいた。
俺だけのせいではない、わかっている。
でも、間違いなくあの時は、慢心していた。
何だ、たいしたことないなってただ眺めていたあの時から誰かを救える可能性だってあった。
自然災害を前にして人間はあまりにも無力で、神とはこの都市にとっても、神居にとっても、守護者にとっても必要なものだと、実感した。
幻治郎さんの黒い着物に顔を埋めるように泣く。声を、押し殺す。
「いい、声を出して泣いても怒るものはここにはいない。ねえ、神様」
火雷と風伯が静かに背中を撫でてくる。
そして、幻治郎さんもまた、静かにけれど確かな感触で背中を優しくさすってくれた。
……できることがあったはずだ。
たくさん、あの子は生きようとしてた。
────間に合わなかった、あの時にもう一度戻れるなら俺はきっと叫ぶ。
『間に合ってくれ』
と。
俺も誰かを……俺の神様も、人も、守りたい。
守るための強さが欲しい。
そう願うことはおかしなことではなかった。
幻治郎さんは父親のような人だと、思った。
広い背中も、強いところもその、先を見ている眼差しも。
「…ずびばぜん」
「あっははは、いいよ。息子を思い出したなぁ」
本当に父親だった。
「俺今年で45なんだけど、息子は18、娘が17ね。懐かしいよ。無力な自分に打ちのめされることなんてよくあることだ」
『幻治郎もあったんだな』
意外だと言う声で風伯がいう。
風伯が言うくらいには、彼が本当に最強なのは事実なのだろう。
自己の認識とは別にして他者認識は完全に守護者、守護神たちの間で絶対に折れない盾のようなものだと思われているのかもしれない。
「あったよ、俺よく神隠しされてたから出ることのできない空間に無力さで打ちのめされた」
なんかスケールが違うな…もっとこう、守護者としての話じゃないのか。
『それは別だろ』
風伯も同じことを思っていた。
…よかった、俺だけじゃなかった。
「そうかな、あ、この下に居るよ」
「へ、なにが…」
「人」
汚れた水面の下は、とても綺麗で透き通っていたのをなぜか思い出した──。
「この下は神の社がある。
神は人が好きだから、たとえ消えても、死んでしまった人間たちを守ろうとしてたんだろうね。」
────雨という形にして、神は人を守ろうとしていた。
災害になってしまったが、神はただ人を守ろうとしていた。
「みんながみんな誰かを守ろうとした、ただそれだけの話なんだよ」
それは、優しくて残酷な話だな、と亡くなった人たちを幻治郎さんと一緒に運びながら思った。




