第145神 仇は目の前
「広大、お前はいつか私たちを見極めなければならない時が来るだろう」
数日前、漆黒さんがいつもとは違う切り出し方でそんなふうに話して来た。
また意味深なこと言ってんな…と思いながら、漆黒さんを見る。
バルコニー側にある机に向かってゆっくりと歩く漆黒さんに、俺は答えた。
「いつも、貴方は何を考えてるかわからないです」
と返せば、普段は笑わない人が初めて笑った。
「いつかわかる時が来る」
「強者は弱者を守るために存在する。そのことをゆめゆめ忘れてはならない」
日差しの強い日だった。カーテンは全開で、窓を開けていたから、風で揺れていた。
その中でこちらを振り向く、漆黒さんの表情は逆光で何も見えなかった。
「──広大。……君はいつか、私を超えるだろう」
何を思って、そう言ったのかわからない。
その後に、産夢の巡回をしていた時、枝が折れてることに気づいた。
慌てて執務室に戻れば、アルバートさん、幻治郎さん、蓮、るん、桃梛、朝梨。
彼らは幻治郎さんを、信じると言った。
俺は、どちらからもたくさんの愛情と、たくさんの指導をされた。
裏切れるわけがない、信じないと言い切れない。
どちらも信じたい。
マガツヒを流すことで、運命を──秩序を壊す、それを目的とした、団体に、漆黒さんがいるなんて、信じたくない。
どうして。
…気づけば布団で寝ていた。何もかもが億劫で、何もやりたくなくなった。
ふと目が覚めたら、るんと幻治郎さんに支えられて起き上がっていて、幻治郎さんの家にいた。
◆◆◆◆
「……両親は、俺の誕生日の日に死んだ」
何も言えなかった。何も返す言葉も出てこず。ただ、静寂と、雨の音だけがこの部屋を包み込んだ。
自分の父親が死んだ時のことを、思い出した。
「中学の頃だから…まだそんなに時が経ってないんだ、だからたまに。こうなる…悪い」
「…いえ、俺も父親を亡くしてます」
パッと鷺沼さんとるんと朝梨の視線が集まる。
「6歳の頃に、雨の日に家族を守って…」
「…そうか」
「俺は今でも、誕生日が嫌いだよ」
広大さんはポツリとそう呟く。
雨の音が強く聞こえてきた。
「────ああ」
幻治郎さんがふと、空を見上げた。
誰も、何も言わない。
ただ、雨の音だけが続く。
「…?幻治郎さん、?」
幻治郎さんは、みんなの重たい空気を切るように立ち上がる。
空をじっと見た後、鷺沼さんを見る。
「広大」
「…はい」
「仇を打ちたいか」
「え」
「四年前、俺はお前の両親の仇をうった。神を殺した。人が神を殺せば、その神は人へと転生する。そういう輪廻の回り方を神居はしてる」
「…それは、そうですが」
「俺はあの時、神の権能で神を殺した」
「…は」
理解が追いつかず、全員が黙り込む。
幻治郎さんは淡々とした顔で、俺たちを見下ろした。
その目にはなんの感情もない。事実だけを置いていくような声音だった。
「…何が、いいたいんですか」
「それと、仇を打つことに何の関係が…」
──雷が、鳴り響く。
「お前の仇がどうやら復活したらしい」
「…なんでそれがあなたにわかるんですか」
ふい、と視線を逸らした幻治郎さんは言う。
「いろいろ、あるんだよね」
赤い目が、俺たちを見る。その目に映るのはただ一人、仇を討つ理由がある、鷺沼さんだけだった。
「で?どうする?」
「お、れは……」
選択ばかりだ。
俺たち守護者は、いつも何かを選択している。
グッと何かを堪えた鷺沼さんは、ここにきて、初めて幻治郎さんの目を見返した。
「どんな神が、母さんたちを殺したのか、の確認はしたい。でも…殺したいわけじゃない。俺は、たくさんの神様たちに、支えられて来たから…」
鷺沼さんの言葉に息を詰めていた俺たちもゆっくり吐く。
幻治郎さんはフッと笑って一つ頷く。
「そうか、良かった」
「…よかった?」
「うん、じゃあ見に行くか」
「え」
幻治郎さんは両手を軽く広げて、叩いた。
パンッ
◆
──人生において、気づいたら空の上にいたことはあるだろうか。
俺は、無い。
目の前には青い空、重力に従って落ちる体。吹っ飛んだメガネ。
「うわぁあああ!!」
「きゃぁああ!」
「空の上!空の上!!?」
俺、るん、朝梨、鷺沼さんの四人と幻治郎さんが空中にいた。俺たちが叫んで落ちているのに、幻治郎さんは落ちながら悠々と腕組みしている。
「そうだよ」
「そうだよ!?やばいですよ死にますって!」
袖から出した鈴を、幻治郎さんが鳴らす。
リンッ
「急急如律令」
落ちる速度がぴたりと止まった。
「へ、…は??」
理解が追いつかず、幻治郎さんを見る。
俺のメガネもついでに戻って来た。
幻治郎さんの視線は一点を見つめていて、そうして静かに指をさした。
「アレだよ、お前の両親を殺した神は」
空の上にいるのに『ソレ』は羽を生やしているわけでもなく、龍のような体をしてもいない。
人の形を取り、蛇のような尻尾を生やしていた。周りには象が二体、頭には神々しい光の輪っか。
布を一枚着ただけのような姿をした男の姿。
「──アレは、幸福を司る神だ」
「…幸福」
「元々は祝福の神でね、マガツヒによって反転したんだ。
だから今は穏やかな顔をしてるだろ」
確かに、神の顔は穏やかに、時折手を軽く横に振ってキラキラとした光を落としている。
「アレが幸福な」
「………マガツヒは、怖いですね」
鷺沼さんはジッ…とただその神を見つめていた。
「幸福の神様が不幸の神様になった、ってことですか?」
朝梨の疑問に幻治郎さんは頷いた。
「そういうことだね。振り撒いたんだよ不幸を。その時、本人の性質だけじゃなくて特性も変わったみたいでね」
「特性?」
「人と関わらない、人を殺さないという特性が反転して人と関わり不幸を撒く。
加えて、人を殺せるようになってしまった」
「…ああ、だから」
だから、なのか。小さく鷺沼さんが呟く。
何に対してなのかはわからない。けれど、鷺沼さんの中で何か変わった表情を見せた。
くるりと幻治郎さんの方を向いた鷺沼さんは真剣な眼差しを向けた。
「…幻治郎さん、俺はあなたを信じます」
「ん??今そんな流れだった?」
困惑する幻治郎さんに鷺沼さんは何か吹っ切れた顔をして、笑みを浮かべる。
「漆黒さんを、俺が討ちます。殺さず、捕まえるだけですけど…。
でも、師匠が弟子を超えろって言って来たんだ。ならいう通り超えてやります。」
「それに、一発入れないと気が済まないんで」
何やら交戦的な目で幻治郎さんに返した鷺沼さんに、幻治郎さんは困った顔を見せた。
「…ええ…?青いな…」
「そりゃ青いですよ、俺たち若者なんでね」
「…吹っ切れたなら何よりだけどあんまり無理はするなよ」
「もちろん。あと、幻治郎さんのことについても知りたくなったんで…」
「いつか、あなたのことを教えてください。あなたに関して知らないことが多すぎる」
鷺沼さんは少しだけつきものが落ちた顔で笑う。誰かに話すこと、伝えることは大切なんだなと実感した。
それはそれとして…幻治郎さんについては俺も知りたいことが多い。
「あ、俺も知りたいです。詳しいことをもうたくさん聞きたすぎる!」
「私も知りたーい!」
「私も、ねえやんのこと、教えて欲しいです」
ぱちくりと目を瞬いた幻治郎さんは珍しく大きな声で笑った。
「あっはっは」
その笑い声に俺たちが今度は驚いてしまう。
「え、壊れた…?」
「あんなに真顔だったのに…」
「だ、大丈夫ですか?」
「怖い…」
各々が反応を返す中、幻治郎さんは腹を抱えて、あ〜〜、と笑う。
「もう、ほんと。若いっていいなぁ」
涙を指で拭った幻治郎さんは言葉を続けた。
「教えよう。君たちに。
俺のことも、この世界のことも。
俺の知る限りのことを、教えてあげる」
「そうだなぁ……一つだけ、今教えるとしたら」
幻治郎さんは両手を叩く。
パッと目の前の風景が変わり、気づけば正座で席に座っていた。
「うぉ!鷺沼!?え、蓮たちもいる!何急に!」
色さんの声に全員が振り向く。
「父さん!父さんの知り合いを急にここに飛ばすのほんとびっくりするからやめろって前言ったじゃんか!」
幻治郎さんは笑みを浮かべた。
「今日のご飯は、天津飯と餃子だよ。みんなでたべよっか」
「聞いてる!?」
どうやらここは、赤歳家の居間のようで、幻治郎さんは目の前にあった湯呑みにお茶を入れ始めた。色さんが幻治郎さんの後ろで怒る。
玉藻さんがひょっこり顔を見せに来て、満面の笑みを浮かべながら「いいねいいね、今日はたくさん人がいるもんね〜食べて帰りなー」と嬉しそうにキッチンの方へと向かっていく。
「いや母さんさ、もうちょい父さんに怒ったほうがいいってこの人おかしいんだから」
「おかしくないよー、昔はもっとビクビクしてたんだから昔と変わってない」
「その父さんマジで想像できない」
赤歳家の声を聞きながら幻治郎さんを見ると、幻治郎さんは俺たちの分まで入れてくれていた。
「これから、よろしくな」
やっぱ、この人異次元だわ。と思う。
でも同時に人間味を感じた、数日だった気がする。
鷺沼さんの表情も明るくなっていて、色さんのところに向かっていた。
餃子の香りがしてくる。ああ、なぜか少しだけ清々しい気持ちを感じた。




