第17神 雨水を封じる
澄んだ空気を感じる。
どこから、と考えるよりも先に答えが返ってきた。
「────雨水を封じるよ」
白髪に赤い目、長い髪の毛を揺らして入ってきたのは、幻治郎さんだった。
「…幻治郎さん」
「悪い、遅くなった…」
死者は2000人にも及んでいたのに、最強である術者だという彼は、何を今までしていたのか。
「あなたは、今までどこに」
俺の沸々とした怒りを感じ取ったのか幻治郎さんはそれでも淡々と答える。
「落神を殺しに。ここよりも被害が一万にも及ぶ災害級の神を下してきたんだ」
「俺は、ここの人たち全員を救えないよ。術があってもね」
なんで来なかったんだ、と口に出そうになる。礼を欠くとわかっていてもそれでも、
「なんでっ、」
残酷に、無惨に、けれどそれは事実として納得するしかない話だった。
何故なら、人一人が誰かを、たくさんの人を救えるなら今頃洪水なんてものはないし、管掌という役割も振られない。
神も、人も、俺は誰も救えない…ッ。
手を握る。強く、強く。汗が落ちる、それは悔しさから滲みでたものか、わからない。
土砂に塗れた家屋の前に立つ、幻治郎さんの後ろ姿は凛としていて、軸を持った人の背中だった。
「これよりここを、封じます」
幻治郎の言葉に、避難所全体がざわめく。
それもそうだ、故郷を離れろと言っているのだから。
俺だったら、泣いて幻治郎さんを恨むだろう。
「雨の都市にいた雨の神は消えた、雨の制御をできるものがいない今、ここは毎日洪水に見舞われる」
ぽろりと涙をこぼす、先ほど救ったお兄さんや老夫婦の顔が見えた。
「神様は消えたんですか?すい様は……」
神の名前を口に出している老夫婦は神が消えたことに対してのショックもあったらしい。震える声で、
「私たちは…神に見捨てられたのですか?」
顔を伏せて見えないように、してしまう。見るのはとても、辛いから。
幻治郎さんの言葉だけを頼りに、視線の先は地面に縫い付ける。
汚れている足や、新品だった服の濡れた裾を弄ぶ。
「いいえ、もう一度、神は戻ってきます。でもすぐではない」
その言葉に、顔を上げると周りの人も困惑した顔であげていた。
「あなたたちの生活や心が安定した頃にはここにはまた神が戻ってきます。
その時に皆さんがもう一度ここに戻ってくるのか、戻ってこないのかどうか考えてあげてください」
幻治郎さんは一つ頭を下げた。
「…なにが、戻ってくるだ!それは何年かかるんだ!」
一人の男性が叫ぶ。
「そうだ!何年かかるかもわからないのに、何を!」
と怒鳴りだす声。
「私たちの生活は誰が保証するの!」「お母さんを返してよ!」
向けるべきでない怒りだというのは、みんなわかっている。
それでも、ぶつける相手がいない彼らの怒りを幻治郎さんは全て受け止めた。
ゆっくりと顔を上げた幻治郎さんは笑いもせず、怒りを返すわけでもない。
「──あなた方は怒っていい」
「この理不尽に対して正しい怒りだ」
その怒りを肯定した。思わず、全員が静かになる。
「…神が黄泉路から帰ってくるのに、最低でも5年かかります」
「その間、この地を無防備にしておくわけにはいかない」
「5年は長すぎる!」
聞こえる怒鳴り声に反して、幻治郎さんの声はとても静かにここに響く。
「…ええ。5年もあれば人は生活に慣れる。
5年の間、私がここを守りましょう。あなた方の生活は政府が保証します」
平坦な声で事実だけを告げるその姿が、かえって人々の痛みを刺激した。
けれど、幻治郎さんはただ一言、
「だからそれまで、ここを封じさせてください」
もう一度頭を下げた幻治郎さんに、怒鳴っていたおじさんが涙を流す。
「…っ、帰ってこないんだ…!うちの息子は…もう…っ。親が先に生きて、あの子が先に死んで…どうするって言うんだ…ッ」
「……ええ」
「俺たちはこれを抱えて生きなきゃいけないんだぞ…ッ!」
「…ええ」
「…おれはっ、……ふっ、ぅ、返してくれ…息子を、返してください……」
崩れ落ちた男の人のそばに座った幻治郎さんは、ただ背中を撫でた。
伝染するように、みんな涙を流す。
返してと言う言葉ほど、悲しいものはない。不条理に、理不尽に奪われた命に対して渡すものが俺たちには何もない。
ああ、なんて無力なんだ。なんて……弱いんだ、俺たちは。
涙を流しながら俯く人たちを見渡した幻治郎さんは一つ頷き、──そうして、雨の都市雨水は封じられた。
幻治郎さんが、ただ一言『封』と言っただけで雨水の門は閉じる。
中にあった水や雨は、雨水を囲む塀から、まるでガラスが貼られているように、水は一滴たりとも流れ落ちてこなくなった。
──これが、最高峰の守護者なのだ。




