第130神 記録は写す
──雨水での出来事はそれはもう鮮明に覚えている。最後に弔ったことも…。
だからこそ、今こうしてあの時の記録を見せられると、本当にしんどいものがあった。
──辛い。
辛い。
辛い。
つらい……。
雨が降る、水に呑まれる。
救えない、救えないことが正しいのだから、俺はまた救えない。
【訂正します】
それでも手を伸ばしてしまう。何度訂正されたかわからない。
火雷と風伯を出そうとしたが、天使に阻まれて出せなかった。そのせいで火雷と風伯の声も、聞こえない。
二人が俺を見てるのかも、わからない。気配がない。ただ契印が残っているのが唯一のつながりだった。契印をさするように手を握る。
不安な気持ちを抑えるために、雨で濡れた髪の毛をかきあげて、雨粒で見えにくいメガネを濡れた袖で拭く。
これが俺の不幸だというなら、いつものことだ。そうだよ、いつものことだよ。
ため息をついて、雨水の街を見渡す。
──これは、きっと記録だ。天使が見せる『正しい記録』。
人が救えることなく、必ず死ぬ記録。それでも落ちる雨はあの時のように懐かしく、あの頃の無力さを思い出した。
救ってない、ああ。最期は確かに亡くなったよ。俺が救えなかった。
「………俺たちは」
久しぶりに声を出した気がする。声が掠れて、身体が冷えている。震える手で、服を握る。
でもこの時、俺の神様たちはそばにいた。記録だというなら、忠実にそこまで直して欲しい。
どこかの屋上に座って、波にさらわれる人たちをただ唖然と眺める。
波の上に、必死に手を伸ばす少女がいた。
[助けて!]
助けるよ。
何度だって。
動き出そうと膝に力を入れて立ち上がる。今までこの先を見てこなかった。いつもこれよりも早くに助けていたから。
どのタイミングだ、どこで俺はこの子を──────
ふと、前を向くと過去の、俺がそこにいた。
[手を伸ばして!]
声を出している俺が、掴みそうで掴めず、ようやく手を掴んで引き上げた。
訂正する声が聞こえてこない。
事実の記録が流れたのだと気づく。
同時に、もうこのタイミングでは救われないのだと、知る。
そうだね…あの子はこの後亡くなる。俺は初めて自分の無力さを知る。
──幻治郎さんに、救えるものもあれば、救えないものがあることも、教えられた。
「この後の展開なんて俺がよく知ってるんだよ、もう止めたっていいだろ!!」
天使に向かって叫ぶ。
【────あなたの記録はおかしい】
天使が脳内で声を上げた。
目の前の映像がブレて、少女達の影が消え、降っていた雨も消える。
座っていた屋上から落とされる。
咄嗟に受け身を取るが、地面に落ちた。
「ぐっ…ぅ……」
びしゃびしゃになったパーカーが重たい。ゆっくりと起き上がりながら、自分の突きつけられたあの時の絶望に、切なさに、声が震える。
「……俺の記録、ねえ」
何度救っても救えなかったさっきの事実に心がすり減っている。
反応が刺々しくなるのは許してほしい。
天使の無機質な、機械のような声が突然ぶれて重なって聞こえる。不協和音に、思わず耳を塞いだ。
【あなたの過去、あなたの記録、ERROR】
【ERROR】
【ERROR】
【ERROR】
連続で告げてきた声のあと、ビー。ビー。と赤いランプが光るように、周りの景色が赤色に点滅する。
「…なに、なんだ」
パッと景色が変わり、俺は土埃が舞う、たくさんの木々に囲まれた村にいた。
「……村?」
──あれ、この村見たことある。
そうだ、
「……夢で、見たやつだ」
見上げた木は、シオンさんに見せられていた、夢で出てきた木に良く似ていた。
◆◆桃梛side
──私が落とされた森の中は、次の瞬間には人がごった返していた。
「うわ、わっ…なにこれ、何この人の量…」
森の中だったのに、いつの間にかただの町にある商店街のような所にいた。古臭い着物や服を着た男の人から女の人…子どもまでもが、舗装もされてない道を行き交っている。夏祭りがある時の人混みに似た人の量だった。
なんでこんなに人が…。
ふと、小さな子どもが足元を必死に歩いているのが見えた。思わずその子どもを追いかけるようについて行ってしまった。
必死に、ぼろぼろの服で何かを持っているその姿はとても細い。ボサボサの黒くて長い髪の毛が地面を擦る。
子どもの身体が誰かにぶつかる。ぶつかった相手を見上げた子どもと同じように見てみると、ふくよかな男の人だった。
こめかみに筋を立てて子どもを睨んだ男は、子供に向かって怒鳴るように声を荒げる。
[おいガキ!人の足汚してんじゃねえぞ!]
ガッと小さな子どもの首を掴んだ男に、私が今度は声を荒げて男の人の腕を掴んでしまった。
「あなた、小さな子どもに対してなんてひどいことを…!」
[あ?なんだテメェ!]
「やれるもんなら…」
刀を抜刀しようと腰に手を当てた次の瞬間、脳内で無機質な声が聞こえてくる。
【訂正します】
「…は?」
パッと目の前が変わる。
また、さっきと同じようにごった返る人の海に放流される。
「は、え、なに」
てちてちと歩く、先ほどの子どもがいた。
さっきと同じ景色に混乱してしまう。まるで、同じテレビを再生しているような感じ。
「…待って!」
咄嗟に肩を掴んで止める。
この後、男の人にぶつかるんだから今ここで止めないとまずい。
【訂正します】
「なんで…っ!誰なのさっきから!」
【これは正しい記録を再生しています】
「正しい、記録…?……再生、してるだけ…?うわっ…」
人がまた溢れるような形で同じ動きを繰り返す。歩く子どもの姿をよくよく見てみると、女の子のようだった。
無機質なその声を聞きながら唖然と少女を見送る。3度目ともなればわかる。これは、確かに記録を再生している。
少女はまた、男の人にぶつかる。
[おいガキ!人の足汚してんじゃねえぞ!]
ガッと小さな子供の首を掴んだ男に、少女は無抵抗で浮き上がり、男は少女を投げた。ぶんっと飛ばされた少女は、軽いからか、あっさりと遠くまで飛ばされた。
「あっ…」
なにも、できないの?
血だらけで立ち上がった少女は、なんとかその場を去ろうとヨロヨロと栄養の足りていない細い足を動かす。
「…むり、無理だよ、私に…」
──これを見過ごせというのか。
できない。
できない!!
「やっぱり手当を…!」
少女の手を引っ張る。
少女の身体が動き私の胸元に収まる。
────次の瞬間
重さが消え、無機質な声が脳に響いた。
【訂正します】
血の跡も、綺麗さっぱり無くなる。
なんで…どうして、こんなにも。
ごった返った人の海をぶつかりながら歩く、少女の後ろをついていく。
──何回……。
何回助けたか。
何回、訂正されたかわからない。
訂正されるとわかっていても、止められなかった。
これが正しい?
この記録が?
何を根拠に?
でも、何処かで私はこの光景を見たことがあった。
いや。
────知っている。この光景を。
何度も見たからじゃない、経験したことがある。
血だらけで歩く少女が、また誰かにぶつかり、血がついた!と騒がれる。
男が、少女の襟元を掴み持ち上げる。
「…誰か、誰でもいいから」
誰か。
お願い………。
[──おい]
聞いたことのある、声。
誰かの声。
振り向く。
私の身体をすり抜けて、通っていく男の人。顔が黒くて見えなかった。
白い髪の毛が揺れる。
「…幻治郎さん…?」
猫耳が生えている男の人は舌打ちをして男を睨みつける。
「…誰」
私のぽつりとしたつぶやきが聞こえていないのか、白い髪の男は少女をつかんでる男に笑う。
[弱いものいじめは楽しいかよ?]
[…猫又!?チッ…楽しくなんてねえよ化け物!]
[あっそー]
興味なさそうに、男が去っていく姿を猫又の男は見送ってから、少女に視線を向けた。
[大丈夫か嬢ちゃん]
幻治郎さんにしてはぶっきらぼうな言い方をした、猫耳の男は、少女の頭をゆるく撫でる。
[自分の身は自分で守れよな]
[じゃあな]と言って去っていくその長い後ろ髪は、幻治郎さんを彷彿とさせるはずなのに、なのに……。
私の頭がこの人は幻治郎さんではないと言っている。それは、そうだ。だってこれは記録で…私はそれを見せられてるだけなんだから…。
それでも、懐かしさが込み上げてくるのは何故だろう。
なんで私はあの猫又の男に対して胸が切なくなるのだろう。
それは、きっと…。ポツリと思わず口に出る。
「……私は、この人を知ってる」
思わず、手を伸ばす。
「待って、あなたの名前…!」
【訂正します】
「あぁっ!」
人の波に埋もれる。
わかってたのに、話しかけたって無駄だって。
わかってた!でも私は、あの人を知ってる。知ってる!!
胸を押さえて、消えてしまった猫又の男がいた場所を見る。頭が痛い。
「──……ッ、私はこの記憶を、見たことがある…!」
息が詰まる。
違う。
思い出してるんじゃない。
「……これ」
喉が震える。
「思い出してるんじゃ、ない」
ゆっくりと、言葉を吐く。
「私は、“これを生きた”んだ」
これは、未来じゃない。
これは────私の前世だ。




