第112神 白は黒に歪む 黒はそこにあった
三階をぶらつく。生徒たちの口からは『運命の女神が生まれ変わった』という言葉へ変化した以外には特にこれといった進展はない。教室の扉を開けて、中の口だけを開けて発している三年生たちを眺めて、ため息をついて扉を閉める。
もうずっとこの繰り返しだ。
「飽きたー!もう嫌やー!」
「飽きたとか言わないでください」
『乙女、がんばろ、ね?』
「あかん…神様に慣れてきた私がおる…私は神様が嫌い…神様が嫌い…」
「乙女さんが、火雷のお母さん力に絆されてきてる」
ぶつぶつと呟く乙女さんが「よっしゃ!4階に行くで!」と言うので後ろについて行こうと上に上がる階段を見上げた。
足音が聞こえてきて、俺たちは上がる階段の一段まで止まる。
誰だ、何がくるんだ…?身構えていると、見覚えのある人の姿。
「────乙女」
上に上がる階段を見上げていたら、後ろから声が聞こえてくる。
振り向くと、一階から上がってきたのか、青い髪の男──影森が居た。
「宗…っ」
すぐに俺の方を見た影森に睨まれる。
「なんでお前が乙女と一緒にいるんだ」
「…たまたま乙女さんの保護者に頼まれたんだよ」
嘘は一つもついていない。
そもそも何でこいつこんな敵意丸出しなんだ。ハチスじゃないのに俺をハチスって言ってきた時もそうだけど、なんかやけに恨まれている。
「…ふーん?」
全く納得していない顔で、けれど視線を乙女さんに向けた。
「…乙女、僕の話を聞いて」
「嫌や。あたしはあんたに会いたくなんてなかった!」
タッと乙女さんが逃げる。
「乙女!」
逃げる乙女さんを追いかけようとする影森の手を咄嗟に掴む。
「っ、離せ!」
「いや、どう見ても嫌がってんじゃんか!」
「お前に何がわかるんだ!」
「わかんねえけど絶対追いかけるのは今じゃ無い!」
影森を睨めば、睨み返される。
「今お前に構ってる暇はないんだつーの!!」
乙女さんを追いかけに走る影森に唖然とする。
「…あいつ、俺が嫌いって言う割にはあんま俺に突っかかってこないよな」
『今は乙女の方が気になるのかもねえ』
「…幼馴染だから?」
『だと思うよ』
幼馴染ってそんなもんなのか。と人知れず思う。
…あれ。
ふと、思い出す。政府に行く前、影森に刺された時あいつは言っていた。
『俺も守護者になったんだ』と。
でも、火雷は索敵してくれた時に『居ないね』と言っていた。
思うままにポツリと口から出る疑問。
「……影森って、守護者になったんじゃないのか」
『…でも、守護神の気配はなかったよ』
火雷の言葉に、神様の気配なんて俺は今まで感じたことはない、だが…彼と話していて気になったこともあった。
「─むしろ、澄んだ空気だったような」
右手の契印が熱くなったような気がした。
◆◆◆
俺は別に、乙女が元気であればそれで良い。
乙女。乙女。
──前世での、俺の奥さんが、死んだ時の顔を俺は思い出せていない。
顔は黒く塗りつぶされて、声も聞こえなかった。
ただ言葉だけが羅列していて、嫁が殺された時の憎しみだけが残っていた。
腹が立つ。
腹が立つ。
腹が立つ。
ハチス、お前が俺たちを壊した。
殺してやる。
許さない。
目の前を走る薄いピンクの髪の、乙女を追いかける。
階段を降りて、一階まで走る乙女の足に俺が、追いつかないわけないのに、俺の方が足が速いって知ってるくせに、それでも逃げる。
保健室で、久しぶりに会った時もそうだった。
「乙女!」
「…こんとって」
「聞いて、僕はただ…お前とまた前みたいに話したいだけなんだ」
「あたしはお前に会いたくなかった」
「どうして…っ」
ふいっと視線を逸らした乙女は呟いた。
「今の宗、なんか禍々しい黒い光を放っとるんやもん」
なんか、危ない気いする。と乙女が言う。
────彼女は昔から直感と運だけは異常に強かった。
わかるのか、今の俺がなんの神様を守護しているのか。俺が今、ナニであるのか。
逃げ込んだ角に、両膝を立てて座りながら、顔をゆっくりと上げる。
「は、はは…何がお前には見えてるんだ?」
「…神様の縁と、」
そこで区切った乙女は、今まで見せてこなかった、目を俺に向ける。
光り輝く赤い、目。
神居だと呪われた色だと言われている。
その赤い目には輝きが二つ。まるで、俺たちを見透かすようなその目は俺ではない、何かを見る。
「──人の、業」
……そうか。視えるのか。前世の、俺の業が。今の俺の、業も。
「せやから、あたしは今のお前は嫌や」
ああ、お前は綺麗だからな。
そうだ。
何も知らなくて良い。
無垢なままで。
美しいままでいてくれたら良い。
「……わかった、追いかけてごめん」
「…やけにあっさりしてんねんな」
「…お前に嫌われるのが一番、ぼくは辛いんだよ」
ふーん、と呟いた乙女は俺の前までくる。
「今のお前が嫌いなだけで、昔から変わってない宗と話す分にはええねん、せやから、その真っ黒いもんさっさと綺麗に落としてきいや」
目を見開く。彼女は、本当に優しい。
「…うーんそれはまだできないな」
「まあそんだけ重たそうやし無理やろな」
そらそうかぁ、と納得した乙女はまた俺から離れて手を振った。
「ほなな」
たっと走り去る彼女の背中を見送った。
俺はそれを追いかけない。
彼女にこれ以上嫌われたくないし、何より…。
「これを綺麗に落とすのは無理だよ,乙女」
俺には俺の使命があるからさ。
女神の旦那として、神無蓮を──ハチスを必ず殺すという使命が。
「ごめん、乙女。ありがとう」
小さく呟いた言葉は、どこにも届かず静かに廊下に落ちた。
◆◆◆
北校舎を歩いていると、角にうずくまる乙女さんがいた。
「…動けなくなってる」
俺の声に乙女さんが顔を上げる。顔はもうびちゃびちゃだ。
「れぇええんんんん、嫌やぁ、もう帰ろおぉ」
「幻治郎さんとの約束」
「ウッ、でもそれも捨てたい!ええもん!幻治郎さんまた、きっとなんでも言うこと聞いてくれる券とか出してくれる!」
「ちなみに何を聞いてもらうんですか?」
ほら、と手を差し出せば半泣きで手を取られる。
乙女さんはぐすぐすと鼻を啜りつつ幻治郎さんに聞いてもらうことを考え始めた。
「やっぱそうやなぁ…ずっと長生きかなぁ」
「即却下されてたじゃないですか」
「ぐぅ…わかっとるもん…うぅーん…」
「ほんなら、」
「あたしが危ない時は助けて…とかにしようかなぁ」と寂しげな声でポツリと呟く乙女さんにパチリと一つ瞬きをしてしまう。
「乙女さん弱そうですもんね」
「…なんやて!!?」
ちょっと声が寂しそうだったが、思っていたより元気そうで安心する。
んふふ、と楽しげに笑う乙女さんにホッとする。よかった、笑ってくれた。
「さて、シラジラの攻略法いまいちわかってないんだよなぁ結局」
あー、笑ったぁ。とこちらを見た乙女さんが固まる。
「?」
顔が青ざめていく乙女さんが指を差した。
「………なぁ、お前何背負ってんねん」
「へ」
白い、大きな影。
それは俺たちを超えて廊下の天井を覆うような大きさで、実態を持つ。
長く白い毛に覆われたその生き物は、足も見えないくらい長い毛に覆われている。
幻治郎さんが言っていた、影を見ろという言葉の通り、俺の影からソレは出てきた。
『シラジラだよ蓮!』
火雷が飛び出して雷を降らす。
火雷の──神の雷を跳ね返したシラジラに俺と乙女さんは固まる。
シラジラの覆われた毛の中からあり得ないほど低くひしゃがれたような声で俺と乙女さんに向かってソレは言った。
"運命の女神は生まれ変わっている"




