第105神 ティル・ナ・ノーグ
『ここは海神が保護しちょった、元は海の中にあった国ながよ』
『──ティル・ナ・ノーグ、常若の国。
りんごの木、食べても生き返る豚、若返りの貝があったがやき』
「な、なにそれ〜…食べても生き返る豚!?延々と食べれちゃう…」
「朝梨、そこじゃないと俺は思うんだ…」
『妖精が貝殻や魚とともに音楽を奏で、人魚が迷い込みの歌を歌う、そんで毎日宴会をしよったがよ、楽しかったなぁ』
「じゃあ、なんで陸に…?」
俺の疑問に、玉さんは笑う。
玉さんの黒に水色のグラデーション…深海のようなポニーテールの髪が風で揺れる。
鼻にかおる海の匂い。
右目だけ髪の毛で隠れているので表情全体が読み取りづらいが、玉さんは物語を語るような声で静かに告げる。
『人が迷い込んできたが』
「人が?」
チラリと俺と朝梨を見て拾った貝殻の砂を手で落とす。
『人魚姫、竜宮城、浦島太郎、聞いたことはあるやろ?その童話の共通点はなんやったがか覚えちょるか?』
共通点…というと、海…人…あっ。
「…全部、人が海に招かれる…」
『ここでも同じ、人が偶然にも招かれてしもうた。妖精の王様は人に興味を持った』
朝梨は首を傾げて玉さんを見つめる。
「…それで、陸に上がるの?」
『その都市は、海の底にあることで初めて完成する楽園やったがよ』
「…海の、底に…」
草原の真ん中からお城の方へと歩き始めた玉さんの後ろをついていく。玉さんは貝殻を右手で投げてキャッチして、お手玉のようにしながら、お城に近づく。
左手側には転送装置を敷いて俺たちを見る、戦闘課の二人。多分、あの二人も玉さんの話が聞こえているのだろう。だから何も言わずに待っている。
『けんど王は、たった一人で陸に上がってしもうた』
「それを玉さんが止めたんですか?」
『いんや、好奇心旺盛な妖精を止めることはできん。わしは何が起こったのかを聞いちょっただけやき』
玉さんの右側に俺が。左側には朝梨が立って、玉さんを見下ろす。玉さんは城に手をついて、懐かしむように古びた外壁を撫でた。
『元々海底で生きよった妖精が外に出たらどうなるか…』
「…ど、どうなったの?」
恐る恐る朝梨が聞くと玉さんは目を伏せた。
『海で生きる力は消え、その代わり空を飛ぶ羽が生えた…人々の想像する、妖精の誕生じゃ』
「…妖精の、始まり…」
『海底都市は王様の命で存続されちょったがじゃ』
『けんど、王様が命を落とせば、都市が海底から陸へ上がる。当然、陸に上がるための力は元々なかった妖精も放り出される』
玉さんは手をついていた壁から緩慢な動きで手を離す。
『陸に上がった妖精たちは人の目に晒された』
「…あっ」
想像する。未知の生き物と出会った時の人の姿を。解剖か?迫害か?わからない。でも、どれもまともなものじゃなかったんじゃないか。
『幸いにも根の国の人間は皆優しい子やったね』
…何も、なかったらしい事に安堵の息を吐く。例え過去の話であろうと、痛い思いをする生き物は見たくないし、聞きたくない。
朝梨も同じ想像をしていたのかホッとしたような笑みを浮かべた。
「…そうなんだ…!じゃあ、助かってるんだ!」
『そう、助かっちょる。神秘との共存が当たり前やった根の国の人間達は当然妖精を助けたがじゃ。恩を返すのはどこの国でも同じこと』
「…でも、王様は死んでしまったんですよね…?じゃあこのお城は…」
見上げた苔だらけのお城と海の底から上がってきたというには、今もなお残る潮の香りに違和感を覚える。
長い年月が経っているなら、消えていったっておかしくない。
『元々海底で産まれたものやきね、海の匂いは消えんかったが』
「…そういう、ものなんですか…?神秘ってわからん」
『わからんから、神秘ながやろ』
「それはそうなんですけどね…!」
玉さんはお城を前にして腕を組んで笑う。
『王様にはかわいらしい、一人娘がおったがじゃ』
「え、へぇ…じゃあその子が後を継いだんだ」
『後に聞いた話やき、わしは見ちょらんけんど、妖精達はバラバラに陸に上がったがやと』
「後で合流した感じか〜」
朝梨の言葉に一つ頷いた玉さんは貝殻を眺めて、お城を見上げた。
『ただ、妖精のお姫様は王子様に救われたがよ』
人魚姫と同じだ。
俺と朝梨はすぐに気づき、ハッとする。
『あの子は箱入り娘やったきね、なーんちゃ外の世界なんぞ知らんかったが』
『そんでも、妖精の国の女王として、居てもらわないとならないのが妖精たちの総意やった』
「…さっき話してくれた、妖精の声っていう童話の話に繋がるの…?」
「妖精の声?」
「あ、蓮くんはいなかったっけ…えっと…」
『えいえい、わしがもう一回…今度はもうちょい深く教えちゃる』
『ある国に1人の王子様がおりました』
潮の香りに乗って、玉さんは静かにけれど穏やかな声で語る。汚れている城に背中を預けて、昔の記憶を掘り起こすように。
『──その王子様は、面倒なことが嫌いで、よくお城を抜け出していました。
ある時、森の中で1人の綺麗な女性に出逢います。
女性は怪我をしていたので、手当てをしてあげました。
そんな王子様に、女性は恋に落ちてしまいました。
その女性は、妖精の国のお姫様だったのです。
翌る日も翌る日も、女性は森にいて、王子様も森でできた友人として仲良くなっていきました。
次第に惹かれていく2人に、怒ったのは他でもない妖精国のお父さんでした。
人間との恋など!
そう怒る王様に、王子様は言います。
私は彼女の願いならなんでも叶えてあげたいくらい、彼女を愛しているのです。と
妖精のお姫様は感激してしまいます。
王様はそんな王子様の気概に2人の恋を認め、2人は幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし』
語り終えた玉さんの声を聞きながら、顎に手を当てて考える。
これの話だと王様いるし、めちゃくちゃめでたしめでたしだな…。
思わずポツリと呟く。
「…童話っぽい…」
「だよねー!私もそう思った!!」
玉さんの左隣にいる朝梨が共感するように声を上げる。
「でもこれね、恋に落ちたのは妖精だけなんだって!」
屋根は崩れ果て、装飾は錆びて、銅像の首は折れている。
豪華絢爛だったであろう服や、靴、戦争の名残か、落ちている剣や盾、血の跡が残った、その城に背中を預けて玉さんは微笑む。
『さぁ、ここからは恋する妖精姫の真実の話じゃ』
『長うなる』
『お姫様はぱったりと消えてしもうた。
助けてくれた王子に恋をして毎日会うようになった』
『お姫様はそれはそれは美しかったがよ。妖精国の中でも、特に。鼻筋の通った綺麗な顔に、ブロンドのふわふわとした髪。花のような桃色の瞳。コロコロと転がる、甘い声。どれを取っても落ちん男はおらんかったやろうねえ…』
『王子以外は』
玉さんの語る声が、まるでその場にいた誰かの記憶をなぞるように響いた。
"──王子様!私、あなたが好きです。"
リンッと鈴の音を鳴らし、可憐な顔で笑顔を向けるそんな少女に恋に落ちない男などいない。
否、王子は違った。
"─すまない、私にはもう大切な人がいる"
"大切な、妖精がいるんだ"
人間なら諦められた。けれど、彼が言ったのは、同じ妖精で、しかもこの国の生まれではない、純粋な根の国で生まれた、妖精。
人間である王子様と同じほどの大きさをした妖精。
愛らしい顔立ちに、足元まである長い銀色の髪。涼しい青の瞳。凛とした声。
私だって、王子様と同じくらい人間の大きさにまでなっている。
正反対だけれど、金色の髪で、綺麗だし。
同じくらい愛らしい顔であると自負している。
同じ。
…同じなのに、それでも彼の心を揺るがすことができなかった。
"…でも、私は、あなたが好き。好きよ。"
"好きなの。"
だって、あなたは私を助けてくれた。
妖精とか関係なく、そこにいたから、その理由のためだけに助けてくれた。
憧れた世界に初めて出てきて、足を痛めて、動けなかった私の足を手当して、ずっと孤独だった私を救ってくれた。
それが、恋をする理由でしょう?
…わかってる、わかってるよ、こんなこと間違ってること。
"──ああ、やだ、やだやだやだ!!私はあなたが好き!好きなの!!"
"姫様、おやめください!そちらは一国の王子です!"
"──聞こえない"
"姫様!"
"お、お姫様!私を攫っても良いことなんてない!こんなことはやめよう!"
"……聞こえない。"
"お姫様、私は君とは行けないんだ!だから、離してくれ!"
"──聞こえない、聞こえない、聞こえない。"
連れて帰れば、私と同じところに一緒にいてくれると、思ったから。
私があなたを守るわ。だってあなたはまだ子どもだもの。
お姫様が、王子に伸ばしたその手を落としたのは他でもない、妖精達。
『ただ、それだけの話なが』
「…それは、なんと言うか…」
朝梨が言い淀む。玉さんは何かを思い出すように笑った。
『……妖精ってのは、小さな生き物に優しいがやけど、いたずらで子どもを連れ去ることだってあるがよ』
『小さな子どもたちは小さな生き物を見ることができたきね、一緒に遊ぶその流れで着いていってしまう』
『──神居では、『妖精の導き』と言われちゅう』
「妖精の導き…」
朝梨は玉さんの顔を見て、眉を下げる。
「…そこから戦争に…?」
『一国の王子を攫った姫様を、妖精達も守りたかったがよ。やき、戦争が起こった。悪いのは妖精側なんやけどねえ』
「それが、このお城か」
『血で血を争っちょったよ。わしは朝梨の前世と一緒にここに駆けつけた時にはもう、妖精の大半は消えちょったね』
「…あ、だから…胸が痛かったんだ…」
そう言って朝梨は胸の辺りに手を置く。なにか、思うことがあったのかもしれない。
『ここの妖精出身の戦争経験者やと、七不思議のあの音楽室の妖精さんも、ここの出身やろうねえ』
「え、な、なんでわかるの?」
『小さい妖精はみんなティル・ナ・ノーグから生まれゆうがよ』
「…てことは純血…的なやつ?」
『そう。ホープも…あの小さな子達もみんなここの出身。離れれんかったがやろうね。ティル・ナ・ノーグの子達は特に子どもが好きやったき』
『ここに迷い込む人間────小さな子どもを守りたかっただけやったがかもしれんね、ホープ達は』
「…そう、ですね…」
言葉に言い表せない気持ちを胸に見上げた空は青く、鼻に残る潮の香りがこの地が正しく海にあったのだと物語っていた。
「帰るわよー」
小梅さんと緋色さんがいる転送装置の元へ向かう。
妖精の森は正しく、静かに、けれど小さな声と共にいつもの日常へと戻ったのだった。
◆◆◆
私は一人、玉さんの言葉を聞いて自分の胸の引っ掛かりを思い出すように胸に手を当てて息を吐く。
…前世、前世か。何にも覚えてないけど、でも。だからこのお城と玉さんを見て違和感があったんだ。
懐かしむようなものじゃなかったはずなのに、玉さんはもしかしたら泣きたかったんじゃないのかな…。
それでも凛とした声が、態度が…物語を語っていた。
──自分は彼女のように燃えるような恋をすることがあるんだろうか。
わからない、ヒーローには憧れるけど、あれは恋に似ていて、きっと、恋では無いのだから。
「朝梨ー?」
自分の憧れるヒーロー、蓮くんが私を呼ぶ。自分の思いがわからないまま、彼の元まで向かった。
「うん、今行く!」
足取りは重く、けれど身体は軽い。
今日という日はまだまだ続いていく。




