第87神 ようこそ、呪術課へ
「…この中?」
るんが恐る恐る聞く。
ソフィアさんはこの中です、と言ってするりと扉を抜ける。
霊体、というとおかしいが実体のない神だから簡単に扉を抜けてってしまう。
「…じゃあ、開けるね?」
桃梛がゆっくりと開けた。
次の瞬間、女の子の声。
「あー!!待って待ってまだ開けないでー!」
バンっと俺の顔面に何かが飛んでくる。
「んぶっ」
ピンポイントで俺に飛んできたのは、小さな赤いトカゲ。
「なに、これ…」
摘みながら剥がすと不満を表すようにトカゲから炎が出てくる。
「うわっ!」
「ごめん〜、うちの守護神がご迷惑を…」
「あ、いえいえ」
緑の髪に、お団子を二つした女の子が謝ってくる。
「…守護神?」
「やや、君は神無蓮くん?てことは北城るんちゃんと、篠倉桃梛ちゃんだね?わかる!かわいいね!」
キラキラとした顔で楽しげに話していた目の前の女性は朝梨を見てもっと驚く。
「柊朝梨ちゃんだね!?わ!聞いてた通りそっくり〜!」
「聞いてた通り?」
「あ、あー…」
朝梨が困ったように声を上げて自分の横髪を触る。少し気まずそうな雰囲気だが、どこか照れた様子の顔。
「柊小雪さんの娘さんだよね?あと大尉の!」
「大尉??小雪さん????」
全てに困惑していると、 ソフィアさんが緑髪の女性の後ろに現れる。
『ほら、花雨どいてください。今からこの子達は此処に用があるのであって、あなたとは違うんですよ』
「あちゃ、そうだったんだ!じゃあまた今度話を聞かせてね!」
「ほら、ヘスティア〜!いくよー!」
『うっ、嫌だ任務怖い』
「怖くなーい!私がいるんだから!」
俺からトカゲを受け取り、それじゃあねえ〜と嵐のように去っていく。
「…だ、誰??」
『守護者の天日花雨です。政府に住んでる子ですよ。呪術課になんでいたのかはわかりませんけどね』
「…へえ」
去って行った花雨?さんを見送る。
そうして前を向くと、想像よりも広い部屋の中が目に入る。
「…うわ、よく見るとすごい」
「ああ、トカゲで見えてなかったもんね蓮くん」
あの無機質な扉からは想像できないほどの広さの部屋が広がっていた。
あちこちで黒い服装──おそらく呪術課の制服を着た人たちが走り回っている。横を向くと壁一面に札、それは数千にも及ぶほど敷き詰められている。
「おお、床にも…」
「真ん中のアレはなんだろ?」
「アレは、呪われたモノを浄化するための装置だよ」
オレンジの髪に、黒い服を着た男の人がやってきた。
『琥珀、この人形を浄化して欲しいんです』
「それは浄化課に頼んでください…あー、これは呪いか。呪いは別ですねえ」
なんか話すのも気まずくて黙っている俺たちに、オレンジの人が笑う、というより目を開けてるのを先ほどから見ていない。
「初めまして、俺の名前は琥珀!呪術課の特攻隊だ!よろしくね」
優しげな雰囲気で返されたのでホッとする。
自己紹介をしようと口を開くがソフィアさんに遮られる。
『あ、だめですよ、フルネームは』
「うぇ。?なんでですか…え、もしかして神様に名乗る時と同じようになんか制約があるんですか?人なのに?」
『もぉ、蓮、良いですか?彼らの本職は?』
ソフィアさんの質問に対して、るんが呟く。
「…呪術…」
「名前と呪いは、結構セットで扱われることが多いんだよ蓮くん」
桃梛が懇切丁寧に説明してくれる。
「つまり、氏名を言うことで命を握ってしまう神様と同じことができちゃうんだよ」
「え、すご…」
「ご、ごめん、俺は全く結び付かなかった」
『蓮は何を見て生きてきたんですか…』
「すごいって言ってもらえて嬉しいなー!うん、そう!あんま俺たちの前で名前とか言っちゃだめだよ。下の名前か苗字程度なら良いけどね!」
「ようこそ、呪術課へ」
琥珀、と名乗った男の人は笑みを浮かべた。
札だらけの呪術課を背後に笑うその姿は、どこか普通で…。
その普通が、この異様な空間とミスマッチだからこそ、不自然に見えた。
「ついでだし、暇なら呪術課の中を案内しようか?」
『私も見学しちゃいますよ〜』
「どうぞ、って言ってもいつも見にきてるじゃないですか」
『そんなことないですよ』
天井の方まで向かうソフィアさんを見上げつつ、琥珀さんの後ろを歩く。
あちこちで飛んでいるカラフルな鳥や、壁に立てかけられた武器。棚の上にあるこけし。左の方から聞こえる謎の声たち。
すでに雰囲気が呪術課っぽくて少し怖い、あれだ…お化け屋敷に近い。
敷き詰められた札の上を歩くことに躊躇していると琥珀さんに言われる。
「大丈夫大丈夫、正直札の端が黒くなってたりするけど大抵どうにかなるから。
それより、朝梨ちゃん?だっけ危ないよそこ」
「え!?」
思わず固まる朝梨に琥珀さんが笑いながら、朝梨の元まで向かう。
「そこ、動いちゃだめだよ〜」
朝梨の横にある棚から何かを掴む。
「こら、誰だ〜S級の呪物野放しにしたやつ〜」
「うわぁ!すいません、いつの間に!」
呪物──というには可愛らしい、ポメラニアンだ。
「…犬?」
『犬なんてモノじゃないですよ、あなたたちには呪いの本質が見えてないのでわからないかと思いますが、あのイキモノはマガツヒと似た構造で生まれた概念です』
「えっ!?概念?!」
「日本の方で流行ったやつの、特級版ね。
呪物名【イル】」
犬を見せながら琥珀さんは説明してくれた。
どこからどう見ても愛らしい犬だ。へっへっへっと舌を出して尻尾を振ってる。
ポメラニアン…かわいい。
「これ、君たちにも俺たちにも見えてるから問題ないんだけど、普通は見えない、概念の生き物なんだ。
これが説明書。新人に見せるやつね」
はい、と手渡されたマニュアル?を四人で覗く。
【人は言いました、あそこに犬がいると】
【いないよ、と返してもいる、と】
【あそこに犬がいる、いる、いる
いる いる いる イル
いる いる いる
いる いる いる いる いる】
【犬がいる、あの犬の目は人の目だ、い?、犬が、犬、猫?】
【猫?猫がいる、いるいるいる、いるいるいるいるいるいるいるいるい
いるいる いる いる
イル いる いる いる
いる ────違う】
【アレは、アレは
おれ ? おれ、、?
自分?俺が、いル、なんで俺が俺が俺が俺が俺が……以降読めず】
────動けずに固まっていた手の上から、琥珀さんが慣れた手つきでマニュアルのページを閉じる。
……パタン
音ともにページが風の勢いに任せてひらりと揺れた。
そうしてマニュアルを抜き取って懐に入れた琥珀さんがこちらを慌てる様子もなく、見る。まるで俺たちがこうなるとわかっていたように。
「……いると信じたイキモノが概念から形になって、犬に今日は見えてるってわけ」
ベロを出して楽しそうに笑うポメラニアンがこちらをミる。
「明日は猫かも知んないし、【自分】かもしんない」
ゾッと背筋が凍る。
昔のように吐くことまではしないが間違いなく今の俺は顔が青い。
朝梨も同じなのか、ちょっと俺の服の裾を掴んでるし、桃梛とるんも同様だった。
「…ぉ…こわ…」
なんとか絞り出した声に、琥珀さんは笑う。
途端に目の前のポメラニアンが怖いものであると認識が上書きされる。
「こういうのが日常茶飯事で居るのが呪術課。基本的に収容されてる呪物たちはあっちの牢獄の中なんだよね」
あっち、と指を指す左手の、奥の方に鉄格子のはめられた扉が重厚な趣でそこにはあった。
「あの中には、特級、S級、ABCDの呪物がある。
Dから順番に、人への影響を基準としてるんだ。特級まで行くと、人どころか、神や妖怪、この国にまで影響を及ぼすから危険なものになるね」
「…危険なものになるね、で終わらないですよ…」
「ちなみに、噂で聞いたけど君たちの文化祭で出た原初の龍の手は特級だよ、アレも歴とした呪物だ。
でも、特級って実は滅多に見かけないんだよね。数も少ない」
「え、じゃあそんなレア物が文化祭に?」
「そう!一応マガツヒもなんだけどアレに関しては、こんなに長く居続けてるのに概念として成り立ってる不思議な例だね。
形になってないのがおかしいくらい」
「…へえ」
「はい、じゃあこれは収容ね〜」
琥珀さんは慣れた手つきで犬を籠に入れる。
──その瞬間。
犬が、俺の方を見た気がした。
「ひっ」
ドクリと胸が鳴る。得体の知れない生き物に対しての恐怖か、体がこわばってしまう。
箱の扉を閉めながら、琥珀さんは全く変わらない表情──ニコニコと笑ったまま話しかけてくる。
「マニュアル見せといてなんだけど、怖がったらだめだよ」
「ほら。見て、イルが楽しそうにしちゃう」
キャキャキャと楽しそうに笑うポメラニアンの目はどう見ても笑ってなかった。
…不思議と、その姿が、犬のような……猫のような……そんな姿に見えてくる気さえしてきて、背筋に氷を入れられるような冷たさが走る。
「ひぃ…っ」
悲鳴をあげる俺の横でるんが恐る恐る、琥珀さんに聞く。
「な、なんでか聞いても良いですか?」
「呪物は、呪いの塊──つまり負のエネルギーそのものだ。怖がれば怖がるほど強くなる悪魔と同じ素質を持つ。
要は、ビビればビビるほどこいつらは楽しくなっちゃって、もっと脅かそうとするんだ」
ゆっくりとした動作、声、態度。
その全てをもって琥珀さんは俺たちを見やる。
まるで当たり前のように、籠を抱える。
「…普通にしてりゃ良い」
中にいるポメラニアン──【イル】の鼻を籠の扉越しにつつく。
中にいる、【イル】は"ワン"と鳴いた。
それがまた、少しの恐怖に涙が出てくる。
「…普通のワンちゃんだと思うんだ」
尻尾を振って、嬉しそうに手に擦り寄るその姿はただの犬だ。琥珀さんは【イル】の頭を撫でながら、微笑む。
「なんならその辺にゴロゴロ落ちてるその猫とか鳥、あそこにあるこけしとか招き猫も」
指を差してすらない、ただ家の中にあるものを紹介しているだけのような雰囲気を持ってして琥珀さんは籠を抱えて、そうしてにんまりと笑みを浮かべる。
「全部A級の呪物たちだよ」
ゾゾ…ッと足先から頭まで冷えてしまい、四人で固まる。
ソフィアさんだけが天井に吊るされている札を突いたり、その辺にいる呪物にちょっかいをかけては楽しんでいてその光景のアンバランスさにまた少しの涙が出てきた。
周りにいる職員さんたちは呪物を見て全く気にしていない、生き物たちは当たり前のようにゴロゴロとしている。
これが日常?怖すぎる。
「無理!!怖いですよ!怖がるなは無理がある!!」
「だははは!あ、そうだ。さっきの人形これ君たち普通に持ってたけどランク的にはA級だからね。さっさと解呪しよっか」
呪術課の日常はおかしい。
俺たち四人の認識は一気に塗り替えられたのだった。




