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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「親父、結構若作りだから。あれで36だもんな。それに…肌とか髪とか、似てないし」

 銀灰は笑ったが直後にその瞳は伏せられた。極彩は戸惑っていた。目の前にいた少年が師の息子であることに対しても、師から授けられていなかった技の教えを乞うか否かも。顔面を走る傷が存在を主張しはじめ、判断を鈍らせる。今にも薄い膜を破り、開いてしまいそうだった。

「…すぐに返事はしなくていいし、これはオレの独断だから、親父は多分、望んでないと思うんだ。そう言ったのを聞いたわけじゃないけど、…殺人術、だから…」

 極彩は黙ったまま幾度か頷いた。声が出なかった。返す言葉も出なかった。

「…お父さんのことは、ごめんなさい…」 

 ただ何か返事を捻り出そうとしてやっと吐けたのはその一言だった。目の前で大きく揺れた冬の貂のように白い毛を思い出す。曇った頭痛に襲われる。とうとう傷が開き、鼻梁がぬるついた。

「今日のところは、これで…桜のこと、よろしく」

 咄嗟に銀灰に背を向け、出血を隠す。

「白梅ちゃん…!白梅ちゃんが、謝ることじゃないと思うんす、そのことは…誰も…誰かが謝ることじゃなくて…」

 歩きはじめる極彩の背中を銀灰は掴んだ。歩みが止まってしまった。体温が伝わるほど近付かれる。食い扶持を減らすため、置き去りにされていく、事情も知らない子供のような。知っていようが、割り切れない子供のような。

「みんな、止めたんだし…白梅ちゃんの大きな陰になることも、分かってたはずなんすよ、あの人は…だから謝ったらあの人は借りひとつ返せないんす…」

 傷を見られたくなかった。この少年の父親が付けた傷だ。形見として甘えていた。だがこの少年は知っているのだろうか。どう思うだろう。震えた手が後ろで極彩の衣類を掴んでいる。

「謝らないで。気負わないで…責めたっていいくらいなんすから」

「責められるわけない。赦されたいんだから…多分、わたしに…」

 抱き竦められ、だが振り解いた。息子の腕は優しかった。鼻梁から血が伝う。一歩踏み出して離れるが、加減の知らない腕でもう一度抱き締められる。

「白梅ちゃん、明日も来てよ。絶対、来てよ」

「どうやってお父上が亡くなったか、知ってるの?」

 言わなくてもいいことだ。思い出させる必要などない。思い起こそうとせずとも囚われたことだってあるかも知れない。銀灰の腕を払う。簡単に離れた。しかしそれはあくまで銀灰が払われることを選んだからだった。逃がさないと掴み直される。両端から引っ張られた糸のように2人の腕はぴんと張る。

「…白梅ちゃん…思い出さなくていいんすよ!」

「訊いてるのだけれど」

「きちんとは。でも身体見れば、大体想像つくっすから…」

 血が地面に滴る。亡骸は受け渡されたらしかった。

「それを傍観してた。わたしは。ただじっと、座ってね」

「オレっちも、とんだ軽忽(きょうこつ)がいるなって、見送ったっすよ」

 銀灰の指が極彩を放す。

「明日、来てね。待ってるっすよ。待ってるっすから」

 短剣を抱き締めて極彩は杉染台を後にした。帰るついでに群青の私邸を訪れた。突然の訪問で、不在だった。日を改めると使用人に言伝を預けると、待っていればすぐに帰宅すると気さくに返した。使用人は牛車の中で適当に懐紙で拭った傷の処置をし、極彩に茶を出すと洗濯物を畳みながら雑談を交わした。何本もある洗いたての包帯を巻く手伝いをしながら主に使用人個人の話を聞いていた。もとはどれも群青の話だったのだが、話し好きなのか脱線するのだった。最近の彼は、朝に出掛けると昼過ぎに帰ってきて、また夜に出掛け、夜更けに帰って来るらしかった。使用人も仕事を終えている時間帯らしく、酔っ払った状態で使用人たちが暮らしている離れ家に手土産を持って来るという。困った様子でそう語り、何か危ない仕事であるなら自重してほしいと打ち明ける。酔いが醒めぬまま明朝に弦楽器を掻き鳴らすことにも苦言を呈した。群青を頼むと三角巾の山に畳んだ三角巾を乗せながら使用人は言い、極彩は氷の解けた茶を飲んで返事をはぐらかした。

 玄関扉を開く音がした。ただいま帰りました。廊下に響き、使用人は畳んでいた洗濯物を放り投げて玄関へ駆けた。群青と使用人の会話が聞こえ、足音が近付き、群青が姿を現す。極彩を見ると顔を赤く染めて目を見開く。

「お邪魔してる」

「いいえ…とんでもないことです。お待たせして申し訳ありません、いらっしゃいませ…」

 忙しなく挨拶を並べ、突っ立ったままであるため使用人は苦笑し、事を促す。我に返ったらしく、客間に通される。芭蕉の木が1本植えられ、玉砂利とは違う白く鋭さの残る小石が敷き詰められた庭園がよく見える。白く塗られた木板の囲いと青く広い空が眩しかった。その庭園を背に座す、逆光した群青の影は落ち着きがない。側面に模様が彫られた木の長テーブルの奥で、一度腰を下ろしたがまた立ち上がる。

「すぐにお茶をお持ちいたします」

「長居はしないから」

 群青は極彩を見下ろしたが、それが無礼だと気を回したのか極彩の周辺を視線が彷徨う。

「し…かし…いいえ、長居して、ください…」

 客間が開き、使用人が茶を持ってきた。立っている群青を眺めて、極彩に愉快そうな笑みを向ける。2杯目の茶と茶菓子がテーブルの上に置かれた。群青は自ら話を切り出そうとはしなかった。極彩もまた黙ったまま冷たい茶を飲む。膝と極彩との間を往復していた目が極彩で停まり、やっと口を開く。

「あの…傷は、いかがですか」

 躊躇いがちに訊ねられる。傷の経緯を間近で見ていた。律儀な青年は布の当てられた顔面の大傷を言及せずにいられなかった。極彩は訊ねられるまで忘れていたことだった。視界が狭まっていたことも慣れていた。

「今日はたまたま傷が開いただけ」

 悪くはないと付け加えて答えた。群青の右腕はまだ吊り下がったまま。

「夜中の弦楽器は感心しないって…さ」

「え…?」

「この前は迎えに来てくれて本当にありがとう」

「お役に立てたら、幸いでございます」

 俯きながら、口元が薄く笑んだ。

「この前わたしが断った祭りの話なんだけれど…予定が空いて…もしまだ群青殿の予定が空いていたら、一緒に行かない?」

 怯えているような群青の返答を待つ。一度断った話だが誘った側だけにたとえ予定が無かろうと律儀なこの青年は嫌でも付き合うのだろうか。群青の奥、さらに大窓の奥の芭蕉の木の葉が弱くそよぐのを眺めた。

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