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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「どなたか…?」

「訳あって一晩世話になりたい」

 珊瑚は上がり(かまち)を跨ぐ。紫暗が振り返り、円い双眸を丸くする。

「、では新しい布団を」

「…すまなかった」

 珊瑚は上半身を倒し、頭を下げる。

「おやめください、三公子。すぐにお持ちいたします」

 拱手して紫暗は珊瑚の脇を通り抜けていく。極彩に気付くとばつの悪さを滲ませつつも愛嬌よく、少し空けます、と残していった。

「珊瑚様」

「世話ンなる」

「はい」

 固まっている珊瑚の背に声を掛けると、珊瑚は床の間の前に座った。桜の定位置だった。そこは居心地がいいのだろうか。

「本当にいないのか」

「…」

 問われ、極彩は顔を逸らした。帰ってくるかも知れない。そのうち。いずれは。

「悪かった。何があるか分からないもんだな」

 こうなるなんて思わなかった。機械が織り成す冷風が珊瑚に吹き付け、床の間の前から避難する。

「あんたにも、色々、苦労かけたな」

「どうかなさいましたか」

 床を手を膝で這って極彩に近付く。

「あんたが説教したんだろ」

 強調するように言って珊瑚は身体を倒し、極彩の膝に頭を預けた。

「兄上が殺されそうになって…風月王も…」

「大変でしたね」

「それは俺だけじゃないだろ」

 顔に手が伸びる。傷に触れられる。極彩はその指に届くよう背を丸めた。

「痛いか?」

「今は痛くないです」

 塞がっては開き、また塞がっている薄い膜状の皮膚を面白がって突つかれる。

義姉上(あねうえ)…」

「気が早いです」

 珊瑚の吊り気味の目が大きく瞠られ、跳び起きる。頭が衝突しそうになって咄嗟に身を引く。珊瑚は突然何か思い出したようだった。

「何か急用でも?」

「……いや、気の所為だ…」

 肩で息をして床に寝転ぶ。

「背中を痛くします」

「極彩」

「はい」

「忙しかったろ、ごめん」

 極彩は珊瑚を見つめる。珊瑚はなんだよ、と小さく問う。

「熱、計りますか」

 立ち上がろうとした膝に手を置いて珊瑚は極彩を睨んだ。

「なんで。…なぁ、偉くなったら、風月王や兄上みたいに狙われるのか?」

 不安げに幼い目が揺らいで極彩へと縋った。

「それは偉くなってみないと何とも」

 納得した様子はないが、そうかと一言返して珊瑚は天井を見つめている。

「本でもお読みしましょうか」

「いいって。気、遣うなよ」

 珊瑚はじっとしていた。紫暗が布団を運び入れ、これにて失礼します、と焦った様子に極彩は玄関まで送ることにした。小さな肩を抱く。

「何か話があった?」

「はい…私的なことですが」

「何?」

 肩を抱いた手を小さな掌に取られ、向き合う。

「急用が入ってしまって、すみませんが…この前約束したお祭り…行けません」

 俯く。風物詩だ。行きたかったのだろう。

「そうか。わたしは大丈夫。気にするな…またいつか、どこかに行こう」

「はい…そう言ってもらうとありがたいです。では」

「紫暗」

 帰ろうとした紫暗をまた呼び止める。紫暗は、はい、と足を止めて振り返る。

「すまないな」

「いいえ。おやすみなさいませ」

 小さく頭を下げて、柔らかく笑うと帰っていった。城内に消えるまで見送ってから離れ家に戻る。珊瑚は窓の外を眺めていた。

「夕飯はお召し上がりになりましたか」

「要らない」

「何なら召し上がれそうですか」

 珊瑚は両腕を枕にし、膝を組んで床に倒れ込む。

「あんま重くないやつ」

「ではうどんを茹でます。珊瑚様にも同行をお願いします」

「なんで」

「預かるとお約束しましたので」

 珊瑚は心底嫌そうに頭を掻いて、気怠そうに起き上がる。渋っていたくせ極彩の手首を掴み、厨房へ連れて行かれた。

「あんた、腹減ってたの」

「…そうですね」

 厨房に着くと鍋に水を汲み、火にかける。珊瑚は木椅子に座っていた。公子や高官吏たちは宮廷料理人が作っている。下級官吏や下回りたちの食事は保温庫にしまわれ、仕事が終わり次第持ち出せるようになっていた。

「極彩」

 長ネギを洗って包丁を入れると珊瑚が口を開く。前のようにやりたがるつもりなのかと警戒した。湯の沸騰を待つ間具材を揃えていく。

「はい」

 呼ぶだけ呼び珊瑚は暫く無言だった。

「兄上とはどう?」

「天藍様ですか。別段、どうということもありませんが」

 油揚げを対角線に切り、鍋から熱湯を借りて油を抜く。醤油とみりん、かつお出汁を目見当で混ぜた。

「兄上はあんたのこと、かなり大切に思ってるみたいだけど」

「ありがたいことです」

 冷凍されたうどんを鍋に投入する。別の鍋にいれたかけつゆもそろそろ沸騰する。

「あの飼い猫のほうがいい?」

「桜のことですか。彼はそういうのではありません」

「群青の弟とか言われるほどだし、少しなんとなく群青に似てるし…」

 似てるだろうか。そろそろ出来上がる。食器棚から(どんぶり)を探す。

「似ているでしょうか」

 群青といえば祭りに誘われて、断ってしまったが紫暗が行けないとなれば都合はつく。後から誘い直すことにした。一宿の借りもある。暗くなった大食堂にきつねうどんを運び、珊瑚に食べさせ極彩は保温庫から作り置かれた夕餉を摂る。

「いただきます」

「足りなければおっしゃってください」

「俺はあんま、食べるの好きじゃないんだ」

 と言いながらも珊瑚は行儀よくうどんを口に運ぶ。うどんを啜って食べる光景に極彩は慣れていたが、三公子は少しずつ箸で辿って口に入れていく。

「あまり無理をせず。残せばわたしがいただきます」

 頬を赤らめて珊瑚は首を振った、

「大丈夫…あんたが作ったやつなら…」

 ふと元気が無いのだと気付く。また(ふさ)ぎ込んでいたのか。

「平素召し上がっているものが口に合わない?」

 頷かれる。成長期だ。だが目の前の身体は小さく細い。朽葉や天藍や山吹は気に留めるほど小柄で華奢というわけでもなかった。個人差はあるだろう。そして初めて会った時より少し背が伸びた感はある。

「美味しいのかも知れないけど、全部食べきれないと思うと、腹が空かなくなる」

「量が多いと」

 首肯。

「残すと兄上、怒るから」

「天藍様が」

 珊瑚はすでに食べ終えていた。極彩は茶碗蒸しと匙を差し出す。いいのか、と目が問う。どうぞと言えば表情が柔らかくなる。

「公子たる者が、民が汗水垂らして納めた糧を芥にするつもりかって。そうなんだろうけど、…そうなんだろうけど、胃袋にだって限度が…」

 天藍は、珊瑚へ自覚が足らないと言っていた。まだ心身ともに成長の途中だ。

「天藍様はお厳しいですか」

「大兄上より早く公子として育てられてたから、仕方ねぇよ。…大兄上が粛清されたのも仕方ないのかも、な」

 食器の音もたてず珊瑚は綺麗に茶碗蒸しを食べきった。空になった食器の前で両手を合わせる。

「まだ何か食べられそうですか」

 首を振られる。俯いてまたしきりに落ち着かない様子を見せる。

「今の話ですが、わたしは…同意しかねます。たとえ理が通っていたとしても。理があっても、義がなければ」

 ごちそうさまでした。極彩は手を合わせる。

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