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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 入浴は珊瑚が寝静まるのを確認してから速やかに済ませた。珊瑚が目覚めはしないかと内心肝が冷える。珊瑚は浴場前で待つ極彩に気を回したのか、それとも普段からなのか烏の行水だった。すぐさま髪を拭いて布団に寝かせた。

 体温が上がっている時に冷やした空気は心地良かった。きちんと寝ているか布団を確認する。

「…んっ、なんだよ」

 掛け布団を小さく捲っただけで眠そうな瞳が極彩を見上げる。捲った端を下ろすと、間髪入れず掛け布団が持ち上がる。体温をのせた生温い微風が吹く。

「一緒に寝たいのか」

「……いいえ。起こしてしまいましたね」

 布団が下りる。足音には気を付けたつもりだ。だが神経質らしい。それは何となく分かっていたことだ。他人のいる空間でこの少年は眠れるのだろうか。互いに今晩は寝られないだろう。寝間着のまま珊瑚の布団が見える柱に背を預ける。

「そこまですんのか」 

 寝て起きたばかりの掠れた低い声。

「1人の油断で組織は瓦解すると聞き及んでおります。また抜け出されてはあの官吏か、もしくは警備の者が処断されるかも分かりません」

 藤黄はそう言っていた。ここで珊瑚が再び自室を抜け出し、城内を徘徊すれば、無い話ではないだろう。

「聞いたことないんだけど」

「公子の耳には入らないでしょう」

「そういうもんかね」

「現に実例がいましたので…珊瑚様が関わるとなれば重罪は免れられないかと」

 天井を仰いでいた細い身体が寝返りをうった。

「気を付ける」

「肩身が狭いでしょう」

「…ちょっとな。兄上ほどじゃない」

 風呂上りで瞼が重くなる。今日は様々なことがあった。

「あんた」

 か細い声で呼ばれる。

「はい」

「ありがとな。明日の朝、出て行く。だからちゃんと寝ろ」

「ですが」

「手、繋いでおけばいいだろ」

 珊瑚は起き上がり寝ていた布団を引っ張る。そして極彩の布団を極彩が座る柱の前に敷いた。

「珊瑚様」

「掛け布団1枚でいいよな」

「冷えます」

 極彩の目の前で珊瑚は寝そべり、熱い片手を伸ばす。敷かれた布団の上に移ってその手を握った。静電気に弾かれたように極彩の頭の中には、風月国に流れ着いた日のことが駆け巡った。紅に随分なわがままを言ったのだと思った。今となってただただ懐かしく、そして結局のところあの頃から何も成せていない。

「飼い猫がいなくなって寂しい?」

「いいえ」

「嘘だね」

 暫くして言葉は聞こえなくなる。小さく唸って掛け布団を抱き込む。鈴虫の合唱が聞こえた。極彩の掌の中で指が逃げていこうとする。追おうとしはしなかった。華奢な世が丸くなり、身を縮め、布団で身を包む。極彩はいつもと違う光景をただ眺めた。大窓から差し込む弱い光りが少年を照らす。紅は、じっと姿勢を変えず、手を繋いだまま眠っていた。寝返りの度に小さく布団と寝間着が擦れて寄れる音がした。穏やかな呼吸。天井から冷風を吹かせる機械の音が止まった。寝息、そしてくしゃみが聞こえる。

「ごくさい」

 寝呆けた声で呼ばれた。だが返事はしなかった。手が布の上を掻き、兄を呼ぶ。そして小さな息は嗚咽を殺していた。少し肌寒くなった空気の中でその姿を見て、その音を聞いていた。



 眩しさに目が覚める。柱に背を凭せ掛け、肩には掛け布が羽織らされていた。目の前にあるはずの華奢な姿が消えている。寝起きの朦朧とした意識が吹き飛んではっきりと輪郭を持った。柱から押されたように背中が弾んだ。

「おはよう」

 珊瑚は床の間の前に座っていた。

「…おはようございます」

 欠伸を噛み殺す。珊瑚はおかしそうに極彩を見ていた。

「寝られたのかよ」

「はい」

 鶏が遠くで鳴いている。肩や膝が軋んだ。適当に支度をして紫暗が出仕する前に珊瑚を自室まで送り届ける。

「あまりに暇なら、またお越しください。何ができるわけでもありませんが」

「ん、ありがと。じゃあな」

 珊瑚の自室の扉が閉められる。凝り固まった肩を回しながら離れ家へ一度戻ると玄関前で紫暗が待っていた。

「おはようございます。ちゃんと寝られましたか」

 眠そうなのを隠しきれず欠伸をしながら首を縦に振った。

「出過ぎたことを口にしますが、…三公子は何もお変わりありませんよ」

 紫暗はわずかに顔を逸らした。眉を潜めているのが半分見えた。

「紫暗?」

 極彩を向き直った時にはその表情はいつも目にしているものへと戻っている。

「朝餉を持ってきます」

 そう言って紫暗は引き返していった。極彩は室内で紫暗を待っていた。穀米と昨晩の残り物の豚肉が生姜焼きに味付けし直されていた。玉ねぎと油揚げの味噌汁。ほうれん草と卵の炒め物。そして卵黄と酢、油の調味料で焼き上げられた干し椎茸。久々の2人だけの朝食だった。静かだったが紫暗は美味しそうに干し椎茸をつついていた。

「お口に合いませんか」

 箸の進まない極彩に紫暗は不安げな目を向ける。

「…いや、美味しい。食べる?」

 干し椎茸の小皿を差し出す。卵黄、酢、油で練られた半液体の調味料は風月国では「マヨネーズ」と呼ばれ広く普及していたが。四季国のものはもう少し酸味が薄く、液体に近かった。紫暗は首を振った。

「椎茸、苦手ですか」

「いいや。昨日、少し夕餉が遅かった」

「そうですか。夜も遅かったでしょう」

「少し」

 そう返すと紫暗は苦笑する。ほうれん草と卵の炒め物は出汁が効き、甘く、頬の裏側が引き攣るような感覚があった。

「今日はお休みください。最近不言(いわぬ)で夏風邪が流行っているようですから」

 人の出入りが多いため広まりやすい。昨晩は塩と胡椒で味付けされていたが朝餉には生姜の風味の甘辛いタレに覆われた少し固くなった豚肉を齧る。

「紫暗も無理なく。昨日はすまなかった」

「いいえ。無事の帰宅、嬉しく思います」

 味噌汁の椀から口を離し、可憐に笑う。

 いつもであれば食後に身支度を整え山吹のもとに向かったが今日は厨房へと向かった。米を握って海苔を巻く。貯え漬けを2切れ添えて珊瑚の自室へと運んだ。扉を叩いて名乗ればすぐに出てきた。

「何?」

「朝餉をお作りしましたが、すでにお召し上がりになられましたか」

珊瑚は首を振る。盆に乗せた握り飯2つを差し出した。

「昼餉、夕餉を無理に召し上がれとは申しませんが、朝餉だけはしっかり」

 細い腕が皿を受け取るのを確認し、静かに扉を閉める。欠伸を再び噛み殺し、縹の様子をそのまま見にいった。1日も油断ならない状態に思えた。強い日差しを浴びながら通い慣れた寂れている廊下を歩く。縹に用か、もしくは掃除でもなければこの廊下を歩く者はいないだろう。目的の部屋は開け放たれていた。扉対面の廊下の窓も上げっている。真っ白い格好に、口元も頭も白い布で覆った下回りが箒を持って部屋から出てくると、廊下を掃きはじめた。視界が真っ暗になった。暑気中りか。膝から力が抜け、極彩の身体は床へと崩れ落ちた。掃除をしていた下回りが物音に気付いたらしく、極彩を認めた。そして箒を投げ捨て、慌てて駆け寄ってきた。

「叔父上は…」

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