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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 縹はまだ起きているのか。照明が人に反応して点かない廊下を歩く。外側の廊下であるため窓から入る弱い月光を頼りに歩く。

「叔父上」

「はぁい」

 縹のいる部屋の扉を弱く叩き、小声で呼べば心安い返事が聞こえた。ゆっくりと静かに開扉する。縹は両脇に車輪のついた椅子に座っていた。

「おかえり。一悶着あったみたいだね」

 縹は新聞紙の裏に何か隠した。詮索はしない。ただその指が新聞紙の裏をなぞっている。極彩は頷いて、俯いてしまう。刺青のように紋様を描く痣に侵された顔を見られなかった。

「…はい。ご心配をおかけしました」

「心配なんてしないさ。…してほしかったかな。何にしたって…たとえ強いられたことでも、君が選んだことなら胸を張ることにしているのだけれどね」

「しかし…」

 縹は新聞紙の裏で何かなぞっている指を止め、手を置いた。それが新聞から見えてしまった。何も書かれていない板。だが点々と小さな突起が反射した。

「桜くんの実の父君は数々の武勲をたてた将軍だ」

「そのように聞いております」

「分かっているなら、よろしい」

 新聞にまた手を掛ける。不規則に点が並べられた板が怖い。縹の手がその板を真っ直ぐ掴めないのが怖い。その座っている車輪付きの椅子はなんだ。杖はどこに行った。裾から覗く真っ白い脚に巻き付いたような痣はどういうことだ。疑問ではない疑問に極彩は拳を震わせる。理解したくない。理解しない。

「嫌です」

「困らせてくれるね。ありがたいよ」

 喉が絞られて声を調節されているような気分だった。落ち着けて、息を吐いて、やっと口に出せる。

「お叱りにならないんですか…」

 何を言っているのかと思った。お大事に。ご自愛くださいませ。他に言うことはある。相手を労わるべきだ。思考が鬩ぎ合ってそれでも圧勝したのは利己的なものだった。縹は苦笑した。呆れているようにも見えた。無謀なことで、自殺行為だった。そしてそこに確かにそういった期待を寄せた。希死念慮を。自分で自分を傷付けるのはやめてほしいと縹は言っていたではないか。それを破った。

「怒られることと君が理解しているなら、ボクが叱る必要はもうないと思うけれど。押しつけがましい感情はただのエゴだ」

「エゴ…?」

「良かれと思って、独り善がりになること」

 それでもまだ何か叱られたいのかな。縹はそう言って、痩せた顔で微笑む。艶を失った色の薄い髪。胸元から見える紋様の痣。点滴を打たれているため捲られた腕にも花弁が舞い、蔦が這うような紋様が刻まれている。手を着いて膝を曲げて、額を床に擦りつけて詫びたい。第一にそうする相手は桜の父ではなく、自身の叔父だった。

「君が無事に戻ってきた。それで十分。まず叱るに値しないよ」

 光の入らない昏い瞳にもまた斑紋。だが照った。奥歯を噛み締めることしか出来なかった。

「叔父、上…」

「どうしてもね、血が繋がっていても分かり合えないことってあるんだ。血が繋がっているからこそ盲信してしまうんだよ。いつか分かり合える、理解し合えるって。でもそうでないと確信したときに、それはね、深い裏切りに変わっていくんだ。盲信よりずっと深く、根を張る」

 咳嗽(がいそう)は安定しているようだった。だが少し嗄れた声からするともしかしたらここに来る前に激しく咳き込んでいたかもしれない。

「桜くんの家庭に限らず。かといって、桜くんの家庭とは限らず」

 縹の表情にあった笑みが薄くなって消えては、また浮かべ直される。

「…結局は他人だということを忘れてはいけない。それでも家族だから折り合っていくんだろうね」

 長く深い溜息を吐く。疲れているのだろうか。

「わたしは家族を…いいえ。親族の名で呼べるのは、たとえ偽りだろうと、縹さんだけです」

 縹は参ったな、と小さく呟く。

「…もし叱る部分があるとすれば、君がここに来てしまったことだ……雷で泣いているのではないかと思ったよ。顔を見せてくれてありがとう」

 揶揄して笑う。失礼します。極彩は揖礼して退室する。閉じた扉に凭れかかる。あの不規則な点が打たれた字を知っている。慣れた様子だった。車輪付きの椅子は、あれはどういうことだ。脚はもう動かないのか。杖をついていたときだって歩けていなかった。あれから何日経っている。そう経っていない。進行が速い。ここにいても仕方がない。分かっている。極彩は薄暗い廊下を戻っていく。あの意地を見ていることしか出来ないのだから。何も言わず、知らなかったと通すだけ。後悔は必ずする。あの能天気な女に言ったことだ。後悔を選ぶ。設備の整っている廊下に出る。騒がしかった。行き交う者たちが官吏ばかりで、下回りの者たちが端に避けている。何か市街で事件や事故でも起こったのだろうと思った。

「おい、助けろ!」

 官吏たちが向かっていく廊下を横切ると珊瑚の大声が響いたため2歩3歩足を戻した。声の方には官吏に捕まる珊瑚の姿がある。視線が合う。助けを求められている。離れ家に戻るつもりだったが官吏も極彩に助けを乞う目を向けた。爪先が珊瑚と官吏を指す。

「何をしていらっしゃるのです」

「鬼ごっこにでも見えんのか!」

 そう見えた。珊瑚は無言の肯定をする極彩に顔を顰める。珊瑚を捕まえている官吏に説明を求める。小太りの穏和そうな中年だ。

 独居房を徘徊していらせられまして…

「…いいだろうが」

 よくありません!

 弱気ながら小太りの官吏は珊瑚に強く出る。本気で暴れれば振り解けるほど拘束は甘い。他の官吏との態度の差から見ると付き合いが長いようだ。

「何か面白いものでも見つかりましたか」

「暇だったんだよ、暇!三公子の仕事は引き籠りか?」

 小太りの官吏が困った目を極彩に向ける。栗鼠(りす)に目が似ていた。

「山吹様はどうなさっています」

「寝てるよ、クーラーに当たりすぎたな」

 3人の脇では官吏たちがぞろぞろと大部屋へ入っていく。この件とはまた違うらしい。小太りの官吏はその召集に行かねばならないらしくちらちらと気にし、落ち着かない。

「ではわたしがお預かりいたします。珊瑚様、夕飯はお召し上がりになられましたか」

 小太りの官吏は何度も礼を言って軽く極彩へと身柄を預ける。地下牢や独居房の入口を守っていた警備も安心したようだった。内密に。警備兵2人と官吏にそう合図して珊瑚の腕を掴んで、離れ家へ戻る。

「極彩」

「はい」

「あの飼い猫いるんだろ、いいよ」

「いません」

「は?」

 逃げようとする珊瑚の腕をさらに強く掴む。

「あなた様がまた城内をほっつき歩けばあの官吏と警備兵が気の毒だ」

 珊瑚はおとなしく従った。離れ家に放り込む、玄関の引き戸を閉める。

「極彩様?」

 紫暗の声がする。下げたはずだ。紫暗は以前珊瑚と揉めた。懐かしい記憶となってしまったが、紫暗からしてみれば、珊瑚は自分を乱暴に扱った危ない権力者だ。

「紫暗、」

 珊瑚に腕を掴まれ、追い抜かされる。

「俺が言う。自分で」

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