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1.7 白い死神 下

「下がって!回避に徹して!」


その悲痛な叫びが森に響く。今や精鋭の兵士たちはほとんどその森の地面に伏している。まだ生きているのか確認する暇もなく、ラタトスクは攻撃の手を緩めない。


アスタを含めたその場の全員が知らない特性———分裂と融解によって王国軍は壊滅的な被害を受けていた。


魔法隊をほとんどとしたその編成はよもや弱点と化し、直接戦えない者たちが素早い動きに蹂躙されていくその姿は恐ろしく、魔獣の底知れぬ強さを現した。


「てった...い...」


その言葉がもはや届くわけもなく。頼っていたゲレントは少数の兵とともに陣に残っている。


絶望の味がした。苦く、辛く、痛みを伴う味が。




「いや...いやだ...し...死にたく...な...ない」


目の前の光景に怯え言葉すらまともに発せなくなり死を覚悟する。受け入れがたいその天誅に自らの運命を悟ろうとでもしようか。否、彼女は自らの過ちを後悔する。


自らの師匠が、家族同然の大切な人が言った。『無事に帰ってこい』という言葉、それを守ることが出来ない自分を恨み、目の前の死に恐怖する。視界が歪み意識を保つことが出来ない。


「い...や...ぁ...だ...」


そう言って、アスタリア・リーベルの視界は闇に染まり、意識さえも世界を捉えることはできなくなった。


どこで選択を間違えたか、なんて問題にもはや答えは見つからない。ルイドに助けられたあの時からアスタリア・リーベルという人間には指揮は早かった。魔獣討伐なんて専門外の依頼を受け、結局人生を無駄に下に過ぎない。


小さい頃、誰かを守るために剣士になろうとしたその無邪気で純粋な想いも今や無駄になろうとしている。






だが、それを許さないものがいた。


闇へと染まり始めたその視界にナニカがうつる。兵士ではない。魔族あるいはそれに関係している者だろうか。どれだけ思考を巡らせてもなお目の前の情報が少なく判断し切るに至らない。


少なくとも敵ではないのだろうが味方だとは確信できなかった。


「人族の兵士を助ければ罰則を食らいそうだが...仕方あるまい。」


視界に入ったその騎士はそういった。




それから自らの後方に気配を感じ、神経を研ぎ澄まして感じ取ると魔法が掛けられていた。解毒魔法だろうか、あるいは治癒魔法だろうか。どちらにせよ途切れかかった意識の糸が再びピンと張られ視界が少しずつ景色を取り戻していく。


「応急処置でしかありませんから...あまり動かないでくださいね。」


後ろにいた魔法使いも同じように仮面のようなものをつけていて顔は見えない。だが、纏う雰囲気から人族ではないと理解した。


目の前の騎士も同様。魔族に助けられるなんて...そんな屈辱的なことがあろうか。


「ウェル!援護を頼む。」


「わかりました!アスタリアさんは下がっていてください...。」


なぜこの魔法使いは私の名前を知っているのだろうか?と疑問が生まれるがすぐにそれを脳から排除する。そんな悠長なことを言っている暇はないのだ。私がただ座って意識の回復を待つ間にも死んでしまうものがいるかもしれない。


「魔法使いさん!他の人達にも解毒魔法をお願いできませんか...?」


「そのことなら心配いりません。魔法陣結界を発動してきたのでそのうち解毒されます!」


アスタは驚いた。魔法陣結界?自動解毒魔法?知らない要素がたくさんだ。もっともこれは彼らが知らない要素を使っているというよりはアスタが魔法に疎すぎるというのが正しいのだろう。ともかく魔法隊が起きれば戦闘は続行できる。


「申し訳ありませんが...そのお考えは不可能です。おそらく毒を食らった者たちは解毒から数時間たたないと目を覚ましません。ここに残された戦力はあなたと私たちだけです。」


ウェルと呼ばれていた魔法使い。淡々と説明されるが脳が理解を拒む。三人でラタトスクを討伐する?無理に決まっていた。なぜか?この惨状を見て勝利を確信するものはいないことは重々承知している。そして勝利の可能性に賭けようとする人間もいないだろう。なのにこの二人はなぜ勝てる前提で話をしているのだろう?そう思うと意味がわからず頭が混乱するばかりだった。


突然現れた騎士と魔法使い。魔法陣結界による自動解毒魔法。ラタトスクを三人で討伐する。整理しなければいけない要素は溢れかえっているのにその溢れた要素を拾うのに夢中になり肝心の整理が進まない。


「ラタトスクに勝つ必要はない。」


ウェルと話していた私に対し騎士が突然そう言い放つ。当然困惑する。


「私を含めても三人...私は身体もまだ自由に動かせないし...無理があるでしょう。」


当たり前のように、諦めを口にする。先程まで味わってきた地獄を再び味わうことになるのはたとえ心が赦しても身体が赦してくれないだろう。


「我らの目的はラタトスクをここから遠ざけるか撤退させること。そして私の見立てではあと10分と少し粘れば戦力不足は解消されるはずだ。つまりあと10分ほど戦えば勝ちはすぐそばに貪欲に広がる。」


理解したわけではないが、彼の言葉にはどこか自信があった。弱者が強者ぶる言葉ではなく、強者が自らを強者たらしむ言葉だ。




次の瞬間、騎士が地面を蹴る。突然の出来事に目で彼の姿を負うと彼は既に剣を上段に構えていた。決して不意打ちをするわけでもなく、後ろに回り込むわけでもない。真正面から突っ込み剣を振り下ろす。




意外だったのはその剣によってラタトスクが真っ二つにされたことだった。だが森を漂う瘴気は色を変えない。それが表すのは簡単に言えば『ラタトスクは死んでいない』ということだ。



真っ二つにされたラタトスクが少しずつ元の形に戻ってくるのを見て恐ろしさが再びこみ上げる。やはりいくら魔族であろうとこの人数では勝てないことは明白。今すぐ逃げるという選択肢もあるが逃げれば兵士はどうなる。魔法使いたちはどうなる。結界によって呪毒が無効化されたとしても仲間たちが捕食対象になる可能性は否定しきれない。ラタトスクはリスのような見た目をしながら肉食である。


「アスタリア・リーベル!仲間をできるだけ一箇所に集めろ!」


「は、はい!」


動かない足、言うことを聞かない身体をなんとか動かし、仲間を少しずつ一つの場所へ集めていく。動けないながらも、動けないなりに。


そうして10分はとっくに過ぎ、魔法を使いながらなんとか手伝ってくれているウェルとともに全員を同じ場所へ集めることが出来た。


幸い全員息があり、死んではいない。結界によって皆の毒の跡は綺麗さっぱり消えている。


「騎士さん!増援はまだですか?!」


さっきから斬っては復活し、魔法で消し炭にしよう者なら燃え尽きた灰の中から現れるラタトスクに一行は打つ手がなく、ただひたすらに攻撃を加えるのみであった。


同じ状況がずっと続いているということはこれをやめれば被害が出る。つまり消耗戦であることは確か。ソレに加えて相手は自分の住処でそれをやっているのだから厄介だ。


「ウェル!!下がれ!!」


大きな声で騎士が叫び、今まで使ってこなかった魔法を解禁。魔法と剣を組み合わせラタトスクを少しずつ奥へ奥へと押していく。状況的には十分優勢に見える。





「まってたぜ...死神!」


騎士がそう声を上げた直後、ラタトスクに向けて白い光が突撃する。否、それは光ではなく戦士であった。死神、そう呼ばれた魔族が高速でラタトスクへと突進し、目の前の戦いに夢中になっていたラタトスクを弾き飛ばす。いくら小さいラタトスクでも面制圧には勝てない。


「ルィ...」


死神がなにか言おうとした瞬間に騎士が死神の口を抑える。それから少しの間内緒話をしていたが、残念ながら聞こえなかった。


「わかったよぉ。じゃあ、とりあえずあれが先だねぇ。」


どうやらお互いに話がついたようで、騎士は再びラタトスクの方へと向き、死神はこちらへと向かってくる。それからアスタの顔をじっと観察するが、首を傾げるだけで何かを言うことも答えることもない。


「そっかぁ、君かぁ。まぁいいやぁ。手伝ってねぇ」


「えっと...何のことでしょう?」


死神が何をしようとしているのかはなんとなく予想がついた。負傷者を運び出そうとしているのだ。ただ彼女がなぜ自分のことをじっと観察し、思い当たる節があるように反応したのか。それだけが気になってその言葉を自然とはいた。


「いやぁ、こないだはハティを討伐してくれてありがとうねぇ。あのまま行くと怒られそうだったからぁ。さぁみんなぁ、恩返しだよぉ」


ラタトスクとは別の方向から土煙が上がり、たくさんの兵がやってくる。王国軍の増援かと思案するが増援の報告どころか纏う装備すら王国兵のものではない。かと言って別の国の兵力や貴族の私有軍にも思い当たる節がない。消(・)去(・)法(・)で考えるのならば導き出される答えは一つ。魔族だ。


アスタのその勘は当たっていた。そのものたちは死神の前までやってきて身体を下ろし死神の前に片膝をついた。


「お任せください。精鋭は既に選抜済みでこざいます。」


「じゃぁ、頼むよぉ。ついでに人間ちゃんもねぇ」


そうしてアスタは一介の女兵士に肩を貸してもらいながら歩き、他の仲間とともに馬車や騎馬に乗せられる。その運搬要員を頼るということはこの場から離れる、つまり戦争から逃げるという意味であるが既にアスタに戦闘の意思はない。恐れた身体はもうラタトスク相手に魔法を放てるほど強くはない。


「騎士さん!魔法使いさん!死神さん!後はお願いします!」


後をお願いするというのは少しばかり上から目線かも、とは思ったがソレ以外の言葉が見つからなかったのだ。自分も少しばかり戦ったが傷を負わせることすら出来ない。実力不足がはっきりと証明されてしまったわけだ。


「任せてください!アスタリアさん、ゲレントによろしく言っておいてください。」


唐突な言葉に驚きはしたものの悠長に質疑応答だなんてできるわけがない。そうしてウェルの言葉の真意を知ることのできないままアスタは馬車に乗せられ陣へと戻った。




そこからはすぐに事が進んだ。


陣に戻った部隊を待ち構えていたのはゲレント。森で大きな戦いが起こっていることを音で確認した統括のゲレントは陣を捨てて助けに行くことを考えたが、ここの安全を考えればそれが間違いであることは確かだった。そうして動くに動けないゲレントの前に見たことのない一団が現れた———無論いつもアスタの隣に付き、フリムに教育された彼にはそれが何者なのかすぐに判別できた、魔族だ。


「ゲレント!」


一瞬で警戒態勢に入っていた彼を収めたのは他でもない自らの上司、アスタであった。魔族の馬車から手をふる彼女の様はその魔族に敵意がないことをはっきりと示していた。


「アスタリア指揮官!?」


すぐに敵ではないことをその場にいた兵士に伝え、迎え入れる。


「状況は後で説明するから...とりあえず今は負傷者を運んで!」


「了解しました。こちらへ。」


ゲレントはアスタの言葉に嘘がないことを理解し、まずは協力する。負傷者——と言っても既に毒は解かれているので意識のない者たちをテントへと運ぶ作業。アスタと同じように毒によるダメージは残っているのでしばらく身体が一部不自由に感じるかも知れないが...。


「ゲレント、私についてきてくれる?森に戻りたいのだけど...。」


「避難は完了しましたし...何用でしょうか?」


ゲレントは首を傾げた。そしてすぐに他の兵士を再編成して連れて行こうとしたが、アスタはそれを止めた。ますます意味がわからなくなり混乱する。だがアスタは冷静に状況を説明した。魔法使い、騎士、死神。三人がラタトスクと今なお交戦中であること。そしてそれは森の奥から聞こえる音で十分に理解できる。


「その...お礼と無事についた報告をしてきたいから...。」


「左様でしたか。もちろん着いていきます。」


ゲレントの肩を借りてアスタは歩みを進める。不自由で地面についているかの感覚すらあやふやな足で、一歩ずつ歩む。歩調を合わせてくれるゲレントともに歩いていく。

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