1.5 畏怖
「師匠、ここにルイドさんが来ていたはずですが...何をお話に?」
「大したことではない。やつも不安なのじゃ。いくら私が育てたからといって、アスタをラタトスク討伐戦に向かわせるのはな、不安でしょうがないのじゃよ。」
「ルイドさんも言っていましたけど...ラタトスクというのはそれほどにも危険な生き物なのですか?」
「ほれ、この本を読めば全てわかるはずじゃ。」
歴史書の一つ。危険な魔獣との戦いの歴史が記されたその本には確かにラタトスク、という魔獣について記述がある。
「人の悪を喰らい、呪毒を得たリス...えっと120年前くらいに討伐されたとあります。」
「そのラタトスクが長い年月をかけて再び復活したわけじゃ。 」
「討伐されたということは...討伐できるということではないのですか?」
「そう甘く行けばよかったんじゃが...読んだらそうはいかんことが分かるぞい。」
『ラタトスクの討伐において、聖騎士団は壊滅し、国の魔法の発展が30年遅れたとも言われるほどの大損害を出したことは言うまでもない。ラタトスクとフェンリル、その二体を倒した後、聖騎士団は歴史から名を消した。』
「聖騎士団...始めて聞きました。」
「当然じゃろう。聖騎士団というのは当時この大陸の国々が集まって作った精鋭じゃ。」
聖騎士団は歴史から名を消した、というのはあながち間違いではない。
当時、ラタトスクを討伐した代償として聖騎士団は壊滅し、数多の国々は聖騎士団の復活は不可能だと言った。それによって聖騎士団と呼ばれた国々の剣は事実上消滅した、というわけだ。
「二度と歴史には乗らん。それがラタトスクが起こした悲劇じゃ。ラタトスクの毒と呪いはそれだけ厄介なものなのじゃ。決して存在を消すような能力があるわけではない...ただ必ず命を奪う力を持っているわけじゃからな...。」
「教えてください!ラタトスクの毒というのは一体何なのですか!ルイドさんは呪いって言ってたけど...理解しきれません...。」
ラタトスクの毒...か。フリムは頭を働かせる。概念として存在しているとは言えど、あれは説明できるほど簡単なものではない。
「あえて説明をするならば...心を喰う毒とでも言おうか。ともかく、その毒を喰らえば死...それだけは覚えておくと良い。」
説明すればするほどアスタは不安になり、出陣を恐れるだろう。だが、それではだめなのだ。
「とりあえず、治癒魔法を使う者を何人か集めてはおくが...あれに容赦はない。すぐに治療せねば生命を取られかねないぞ。」
私は立ち、アスタのもとへと歩み寄り、そっと抱き寄せる。
「無事に帰って参れ...その時は奢ってやるのじゃ...。」
アスタはほんの少し、涙を流していたように思う。それでも、部屋を出ていった彼女の表情は怯えた表情ではなかった。
「すまない...私にはどうにもできないのじゃ...。」
アスタが去ったその部屋で、私はずっと泣いていた。これが最期になるかもしれない。そう思うとどうしても辛くて、苦しくて。居ても立っても居られない。だが、仕方がないとしか...言い様がない。
[閉店]
その看板をかけ、店へと戻る。アスタは...帰ってこなかった。明日が出撃の日。夜遅くまで準備をしているのだろうか。おそらく...戻っては来ないだろう。
「...ずいぶんと遅かったな。」
「少してこずっちゃいまして...それで、何の御用ですか?噂のラタトスクの話でしょう?」
「話が早いな。指揮官は知ってるな?」
「ええ。もちろん。」
俺は後ろを振り向かずにそこにいる人物と会話する。
「援護はしなくて良い。死なせるな。」
「いつも無茶な事言いますね...わかりました。御用はそれだけですか?」
「ああ。」
「でしたら、失礼いたします。丁重にお届けしましょう。」
そうして、後ろに立っていた誰かはすぐに去っていった。
配役と盤面は完璧だ。
ただ、圧倒的に力が足りない。武は知では補いきれない。それだけが気がかりだ。
あとは...。
「待たせたようじゃな。少し仕事が入ってたのでな。」
「やっぱり同じ事を考えていたようだな。」
やれやれ、という表情でやってきたのはフリム。俺はこいつが来ることを確信していた。アスタに死んでほしくないと思っているのは同じ、ならば来る。俺を必要とし、アスタのその声に応えんとする。フリム司令とはそういう人間なのだ。
「ルイド、そなたにラタトスクの討伐軍と別で行動することを許可する。今日をもってここの防衛任務は私に引き継がれた。行ってこい、お前の大事な家族のために。」
不思議だ。なぜフリムは俺にわざわざここでの任務を命じた?改めて疑問になったそのたった一つの言葉。だが、すぐに理解できることだった。そのうえで俺はフリムに聞いた。
「なぜ、あの時俺をここの防衛任務につかせるだなんて言った?」
いつの間にか勝手に淹れられていた紅茶を持ってフリムが椅子に座る。紅茶なんか置いておいた記憶はないのだが...。
「全てを説明するのは非常にめんどくさいことじゃ。だが、あえて説明しよう。今から数ヶ月前、ちょうどアスタが怪我をした頃じゃな。」
そう言葉を繋いでフリムが話す。
「アスタは東の地方都市に向かった。公には魔獣対処と言われてはいたが、実際は違ったとされている...いずれにせよ、私すら知らない何かがあったはずじゃ。」
それからフリムは続けた。アスタが王国にとって邪魔になったこと。それ故にヴェラーテに援軍が一切やってこなかったこと。今回のラタトスク討伐作戦も同様だ。
「あくまで想像じゃが...東には魔族を知る人間も多い。真実を聞いたのかもしれんな...。」
真実...か。その真実が何かはもちろんわからない。それでも、思い当たる節はある。
「権力者や貴族たちにとって都合の悪い真実。それこそがアスタを殺さんとする要因ではなかろうか。」
「もう一つある。あいつはユリシアの妹だ。」
かつて魔族との共和を掲げながら王国の司令として活躍したユリシア。もしそれが彼女を殺す要因となったのなら...。アスタが狙われていてもおかしくはない。
「ていうか...ちょっと待て。アスタ本人は南側の都市で...って。」
「南の大激戦はアスタが東方遠征に行ったすぐ後じゃ。疲弊した状態の軍が戦ったせいで犠牲も多かった。無論、死人は少なかったがな。」
それまでも王国の陰謀なのか...そう考えたくもなる。
「では、また明日来る。明日までに準備しておくことじゃ。」
フリムは紅茶を飲むだけ飲んで片付けずに帰っていった。あいつの適当なところは治らないものなのだろうか。ともかく、決断しなければならない。
改めて盤面を整理すると、少しだけ気になる点があった。
「あいつ...さっき情報を全て把握してるって言ってたが...まさか。」
最悪...というわけでもないが、怒り得るすべての可能性を考えた結果、一つ思い浮かぶ。
『魔王軍と遠征軍が同時にラタトスクを討伐しようとする可能性』だ。
魔族にとって人間たちの遠征の情報など重要ではない。魔獣を討伐してくれるのは魔族にとってもメリットでしかないからだ。だが、そんなメリットを考えず魔王軍がこの大陸に乗り込みラタトスクを討伐せんとする理由。たった一つだけ。
「やはり...。」
朝はすぐにやってきた。あの後、眠れずに半ば日が昇るころに寝て、起きれば既に朝が来ていた。感覚的には2時間ほどだろうか。
さて、準備をしなくては。
「ルイド指揮官、指揮官がお呼びです。」
「ゲレント、指揮官って呼ぶのは良いが両方指揮官と呼ばれるとわからなくなるからやめてくれ...。」
店の前に立っていたのはゲレントだった。その風貌もさながら、店の中を監視するような目はルイドにすぐ気づきを与えた。
「失礼しました、ルイド様、アスタリア指揮官からの招集です。作戦について最後に確認したいと。」
そうしてゲレントとともにアスタリアのもとへと向かう。既に西門の近くに仮陣地ができていた。多くの兵士が武器の準備や物資の運搬で慌ただしく動き、人の流れは止まることを知らない。
奥にある天幕へと入り、その場にいるアスタと目を合わせる。
「時間がない。手短に。」
「うん!」
アスタは今回の作戦の概要を説明した。
ラタトスクのいる森はここから西に平野を抜けてさらに山を超えた所。そのため西門からこのまま平野を抜け、北の山の麓を遠回りしてラタトスクのいるアトイラの森へと向かい、そこでラタトスクを包囲するように森の外側に兵力を張る、というものだった。だが、この作戦には致命的な弱点がある。
「森を囲うとなると自然と二人一組か三人一組あたりになる。そうなると少しでも突破されてしまえば逃げられてしまう。ラタトスクを狩りに行くのではなく、おびき寄せるほうが良い。」
俺は指で地図のある場所を指した。そこは『ラトゥール遺跡』という場所だ。この場所は120年前に底に住んだ大魔法使いが作ったとされる大きな塔の跡だ。ラタトスクは習性上高いところを好む傾向がある。
「ラタトスクなんて物騒な名前はついているが、木に登るのが好きな小動物が変化しただけだ。高いところに昇る習性を逆手に取り、塔ごと葬れば良い。」
遺跡と言うぐらいだから後世に残したくはあるが、ラタトスクという災害を生かしておくわけにも行くまい。遺跡一個でラタトスクが討伐できるならむしろお釣りが来るくらいだ。
「ありがとう、ルイドさん。私全然知らなかった。」
「当たり前だ。ラトゥール遺跡は冒険者でも知らないものが多いほどの場所だ。だが、ラタトスクについて調べているものはほとんどが耳にしたことがある。実際、行ったことはないが。」
アスタの顔が少し明るくなり、元気よく天幕を飛び出していった。
「出撃は2時間後!正午よ!」
「「「了解!」」」
アスタは決して才能があるとか天才だとかそういうわけではない。凡才だろう。ただ、彼女には絶対的な努力がある。自らを過信せず誰かを絶対に頼る。俺ならこんな芸当ができるだろうか。否、無理だろう。アスタの強さと、努力ゆえのものだ。真似はできても同じにはなれないだろう。
「無事に帰ってきてくれよ、店の営業時間が短くなっちゃうから...さ。」
「私がいる時間帯別に他の人いないでしょ...まぁいいや、行ってくる!」
「いってらっしゃい」
彼女が地平線の彼方で見えなくなるまで見守っていた。特に理由があるわけではなく、ただ見守っていたいと。ほんの少し寂しさと自分の近くにあったものがなくなる怖さを感じてしまったのかもしれないが、それをわざわざ考えても仕方がないだろう。
店へと戻ると、予想通りフリムは既に到着していた。
「行くんじゃな。」
「当たり前だろ。店主としてだけじゃない。俺として...ルイド・フォルテンとして行くんだ。」
「左様でしたか、将軍。」
「後は頼んだ。」
フリムと軽く話をしてはいるが、時間はない。とりあえずヴェラーテの防衛をフリムに任せ、街を出る。街を出るとすぐに目の前に馬車がやってくる。
「ルイド様からいきなり連絡があったものですから急ぎましたが...待たせました?」
馬車の持ち主はそう言って少し申し訳なさそうな顔をしていたが、正直俺に非があるので「気にするな」とだけ言って馬車に乗り込んだ。
「すまないな。ほんとは自分の足で行くつもりだったんだが。」
「いえいえ、ルイド様のお役に立てるのなら本望です!それに相手が相手ですからねえ...無駄な出費は抑えないと。」
「あぁ。それで、状況はどうなってる?」
その言葉にウェンディはすぐに情報を伝えてくれた。アスタが率いる王国軍は東側に陣を構え始め、ラタトスクの迎撃準備はしっかりと行われているそうだ。
一方で西では魔王軍の『死神』が同じようにラタトスク討伐に動き出している。アスタは優秀な指揮官かつ温和な性格であるために同じ目的の魔王軍と出会って協力を仰ぐ可能性は捨てきれない。
だが、魔族は人間との深い確執を持っているが故にそう簡単には人間を信頼しないだろう。
...最も、『人間』も魔族を差別する用語なのだから。




