1.10 星が降り、星が昇る
あの日から、一度もフリムはここへきていない。
店は相変わらず賑わっている。たとえフリムを待っていたとしても、時間は待ってはくれない。仕事をしなければ金を得ることはできないし、アスタの謹慎も明日まで。働かざる者食うべからず。
「師匠、来ないですね。」
アスタの表情は晴れない。日に日にアスタの調子は悪くなっている。フリムが出ていった次の日、王都からの伝令として来たゲレントから情報が伝えられた。
『指揮官アスタリア・リーベルに対する処罰はなしとする。ただし、魔王軍との談合をしたとして上級司令官フリム・ベスティカを軍職から追放するとのことでした。』
その言葉がどれだけ重いか——とくにアスタに至っては想像する必要もなく、彼女の苦しみは数日の表情を見れば一目瞭然。無論アスタだけでなく、この言葉を伝えたゲレントも、そして俺も。あの言葉が最後の出会いになるなんて誰も考えていないし、考えたくはない。ゆえにいつも通り、彼女が戻ってくる場所を作り待っている。
命は賭けないがここには戻れない。その言葉をただ信じて待っていた。
ついにアスタが部屋から出てこなくなった。朝に彼女の部屋へと入ったが、いくら呼びかけても反応がない。意識を失っているのではなく、閉ざしているのだと。そう理解した時、フリムへ不意に怒りを浮かべた。
「...早く戻ってこい、フリム。」
ルイドにはどうしようもない。それ故に何もできない自分への怒りとフリムへの怒りが混じり、何もかもが理解できなくなるほどに混沌で埋め尽くされる。
「ルイド様、お伝えしたいことが。」
「今行くよ。」
部屋の扉から顔を出したゲレントに軽く言葉を返し、アスタのもとを後にする。
「午前に王都へ言ってまいりました。そして報告を聞きました。こちらです。」
ゲレントが手に持っている紙を差し出す。その紙を広げると———。
『元上級司令官フリム・ベスティカが死亡。』
「死因は崖からの飛び降り、その場にリガルク最高司令官が居合わせたものの、谷底の川によって亡骸は流されてしまったそうです。」
「真実か?こちらの動向を確かめるための罠ではないのか?」
ルイドは疑う。フリムは大事な時に嘘なんかつかない。殺されたのならまだしも、自ら死ぬなど以ての外だ。ゲレントに鋭い視線を向け、嘘を許さない。それでもゲレントの言葉は変わらなかった。
「リガルク司令と話している途中、そのまま飛び降りたと近くで護衛をしていた兵士が話しています。」
「そうか...。ゲレント、アスタを頼む。」
ゲレントは静かに頷いた。こちらの意図を察したのか、それともゲレントなりの償いなのか。
数日前、ゲレントにフリムを頼むと言って店を開きながらアスタの看病をしていた。ゲレントにフリムがもし窮地になったら助けてくれ、と言った。言ったはずだ。
感情をゲレントに向けたところで何も進まない。だが、この感情をどこへ発散すればよいのか。
思考が纏まらない。
心の中が燃えて燃えて、燃え尽きる。
ユリシアの剣を取る。
もう止まれない。
「待つのじゃ。」
懐かしい声がした。ともに戦い、店を営み、家族同然の存在だった声が聞こえた。
後ろを振り向くとそこにはフリムがいた。否、それはフリムではない。姿がほんの少し後ろを映す。
透けているのだと、そう理解すれば話は早い。
「仇を取ろうなんて考えはやめたほうが良い。時間の無駄じゃ。」
「フリム、なんで今さら出てきたんだよ...自分で死んだんだろうが。」
「そうせざるを得ない状況じゃ。仕方あるまい。」
「お前ならどうとでも解決できるだろ!」
自分でも気づかない、無意識のうちにフリムに全ての怒りをぶつけていた。ひどい話だ。そう自分で理解しているはずなのに心と体はそれを理解していない。たとえどれだけ大切な仲間だとしても、最善を尽くさずに無駄死にして、アスタを悲しませる。許される許されないではなく、許したくないのだ。
「まぁまぁ、落ち着くのじゃ。戦いはもう始まっておる。我が死を引き換えにして、今の王を滅ぼす。それが我が計画なのじゃ。」
フリムからそのような言葉を聞くとは、夢にも思わなかった。
「聞かせろ。今更逃げるようなことはしない。」
「良かろう。お主にも手伝ってもらいたかったところじゃ♪」
なんでそんな上機嫌なんだよ。死んでんだからもっと深刻そうにしろや、と内心イライラしている。
「リガルクには会ったか?」
「いや、ゲレントから聞いた。リガルクってのはその場にいた司令官なんだろ?」
「そうじゃ。最後に言葉をかわし、計画を確約したのじゃ。」
フリムはそう言って壮大な計画を話し始めた。
「まずなぜこんなことになったのか、説明しよう。きっかけは我が配下にしてリガルクの側近、ペディットの死じゃ。やつの死の原因は既にリガルクが調べておる。聞いておけ。」
「具体的な説明はめんどくさいのでしないのじゃが、そのペディットの敵討ちと今の王国を立て直すために今の王を廃し、新たにメリーを王につける。それがだいたいの計画じゃ。」
「そして、なぜ私が死ぬ必要があったかじゃが...答えは簡単じゃ。」
「我が命を持って、魔王軍を動かすためじゃ。」
んなバカな。そんな話があってたまるか。喉まででかけたが、すぐに口を閉じる。自分の計画のためなら何でも利用するのがフリム・ベスティカという人間...いや魔族だ。それが今回は自らの命になっただけのこと。恐ろしい限りだが、今更どうこう言ってもしょうがない。
「お前の命がなくとも、魔王軍は動くだろ。こないだのメヒ—ニャだってお前は関与してねぇ。」
「あれの詳細はウェンディに聞くと良い。少々複雑なのじゃよ。」
ともかく、話を戻そう。この計画は現王を退位させ、新たな王をたてること。それに魔王軍とリガルクが関わっている。そこまではわかる。だが根本の問題が解決しない。
「細かいことはリガルクに聞く。だが、聞いておきたいことがある。アスタが狙われている原因と、お前が魔王軍を動かす理由だ。」
「アスタが狙われている原因は私にもわかっておらん。とにかく、現王には不都合な存在だということしかな。それから———」
フリムにもわからないこと。つまり俺には絶対にわからない。ただでさえムダに人脈の広いフリムにもわからない情報など、人脈がとても少ない俺にとっては近づくことすら敵わないだろう。
「私が魔王軍を動かす理由は———」
「アスタリア・リーベルを魔王軍とぶつけ、捕らえさせるためじゃ。」
は?
意味がわからない。
「ふざけるな!そんなくだらないことのために...。」
「くだらないことではない。アスタリア・リーベルを魔王軍で護り、現王が最後にアスタを傷つけんとすることを防ぐ。簡単なことじゃ。」
フリムの行動は、考えは正しいものであり、的を得ていた。アスタに対して魔王軍へ行け!だなんて言っても聞いてはくれない。どれだけ俺やフリムを信頼していても、彼女の剣士としての指揮官としてのアスタリア・リーベルを裏切ることはできない。ならば、捕まえてしまえば良い。犠牲を増やさないためにもそれは正しい判断ではある。
「ルイド・フォルテン!お前も同じ事を考えているだろう!なぜその剣を取った。私の復讐をしようとしたのではない。私がいなくなった今、お前にとって失うものが一つ減ったからではないのか。護るべき対象が一つ減ったからではないのか!」
フリムの激励は、ルイドの心に深く入り込み、彼の中のしがらみを解こうとする。だが、そう簡単にほどけるものではない。それがルイド・フォルテンという鬱に取り憑かれた男なのだ。
「俺はお前の計画には加担しない。アスタは俺が護る。」
「残念じゃが、それはできぬ。私亡き今、お主の特別な権限はなくなったも同然じゃ。」
「それでも、俺はお前の言うことを聞くつもりはない。」
「ひどいのう。」
そういって話はおわり、フリムは家の中へと入っていく。この家は全て把握されている。故にフリムは簡単にアスタの部屋へ入り込む。そこにはゲレントと目を覚ましたアスタがいた。ゲレントは泣きそうな表情をしている。それを見るに、ゲレントがなんとかアスタの意識を取り戻すことに成功したのだろう。
「アスタ、久しぶりじゃな。」
「...師匠。死んでしまったのですか。」
半ば精神が壊れかけているアスタは驚くこともせず、ただその目の前の景色を傍観していた。
「あぁ、失敗したんじゃ。川に綺麗に飛び込みたかったのじゃが。」
「そう...でしたか。」
アスタの受け答えには感情どころか、彼女の意思がない。ただそう受け答えるだけ。きっと頭に記憶されていても、心までは届いていない。無数の鎖によって弾かれているのだ。
「いつまでそんなクヨクヨしておるのじゃ。いい加減立ち直れ。あの時もそういったじゃろうが。」
「...はい。」
アスタは素直に頷いた。それから、立ち上がろうと力をかける。しかし立ち上がって歩こうとした瞬間に彼女は倒れる。それをゲレントが支える。
意識を失ったわけではない。彼女の精神のせいだ。
そも、彼女がなぜこのような状態になっているのか。これはフリムだけのせいではない。先日の戦いにおいてフリムはラタトスクに大敗を喫することになった。それにより彼女は恐怖症のようなものを発症し、鬱になりかけの状態なのだ。そこにフリムの死が加わった。彼女の精神状態はおおよそ計りきれるものではない。
ユリシアの死から数年、どれだけ克服したと言えど、心の奥底には確かにひび割れがあった。そのひび割れが耐えきれないほどの重圧で大きく裂け、心を真っ二つにしてしまった。
「バカめ。そんなんだからいつまでたっても指揮官から上に上がれないのじゃ。」
「フリム司令!そんな言い方は...」
「ゲレント、黙っておれ。こやつには何もかも足りないのじゃ。」
ルイドは黙っていた。今のアスタにとって言い方なんか関係ない。彼女の心のひび割れを埋めるぐらいの言葉が感情が、想いが必要なのだ。そしてそれを注げるのはフリムのみ。
「昔、ユリシアが死んだ頃、リガルクという男に拾ってもらったのじゃ。不細工なやつでな、自分の気持ちをとにかく表現できないやつじゃった。今じゃ最高司令官じゃが、私がいなかったら反感を買って死んでたかもしれんな。」
「何が言いたい。」
思わずルイドが口を挟む。それぐらい彼女の意図が理解できなかった。だが、フリムは答えなかった。代わりに、ある言葉をアスタに言った。
『お姉ちゃんと同じくらい強くなって、お姉ちゃんが大好きな景色を私が守りたいんです!』
アスタの顔が上がる。その顔にはほんの少し、ほんの少し感情が宿っていた。気づけば自分でアスタは立っている。ゲレントはもう支えていない。
「フリム...司令...」
「昔、まだ私が下級司令官だった時、リガルクの下にいた時にとある少女にこう言われたのじゃ。」
「覚えて...たの?」
アスタの目から涙が溢れる。その姿を見て、ゲレントの目にもほんの少し涙が浮かんでいた。安堵なのか、安心したことによってフリムが死んでいるという事実を再認識したのか。またはその両方か。
「可愛い一番弟子の言葉なんか忘れるわけがないだろう。フリム・ベスティカ上級司令の最高傑作だぞ?」
フリムの口調が変わる。俺の記憶が正しければ、初めて出会った頃はまだフリムは今の喋り方ではなかったはずだ。
「最高...傑作...えへ...へ」
「胸を張れ。前へ進め。剣を握れ。誰かを守るのだ。ユリシアの想いを継ぐのは妹のお主だけじゃ。」
「はい。」
泣きながらも作り笑顔で元気よく頷いた。よく立ち直ったと考える暇もなく、フリムは部屋の外に出ていく。
「アスタがとても強くなって、いつか私のもとに来た時は、酒の肴にお主の武勇伝を聞くとしよう。それじゃあ、またいつか、出会えたらな。」
扉が閉まる。気配が消える。もうフリムはその扉の先にいない。
「アスタ...その———」
「ルイドさん、ごめんなさい。心配かけました。目を覚まして、朝を迎えたら...大事な師匠が本当にいなくなるって考えると、無意識の間に心を閉ざしてしまって。その、休んでいた間の償いとかもしっかりしますの———」
俺は耐えきれずアスタを抱きしめた。心の中のストッパーはとっくのとうにぶっ壊れている。今の俺を止められるものはもうない。
「良いんだ。良いんだよ。お前が...生きているだけで...」
「ルイドさんが泣くなんて...珍しいですね」
「悪いかよ...本気で二度目はごめんって思ってたところなんだ...少しぐらい泣かしてくれ。」
「よしよし、私はここにいますからね。」
決して声を上げるわけではない。ただ、彼女と抱擁しているその間だけが心を癒した。
少し経って、お互いに正気を取り戻し、真面目な話をする。
「フリムは決してお前を見捨てて死んだわけじゃない。それだけは理解してくれ。」
「別に、見捨てられても良いです。どうせ、見捨てたって心配になって覗きに来るんですから。」
「たしかにな。」
アスタの冗談に軽く笑ってしまい、それにつられてアスタも笑っていた。ゲレントがわざとらしい咳込みをするまでゲレントの存在に忘れるぐらい、二人の空間がそこにはあった。
「ともかく、アスタリア様、ルイド様。今はお互いにお休みください。詳しい話はまた明日ということで。」
外を見ると既に月が出る時間だ。もともと話が始まったのも日が暮れる頃だったが、もうそんなに時間が経っていたとは。予想外だった。
「そうだな、アスタは特に身体にも精神にも大きな負担がかかってたんだし、まだ完全に立ち直れてもいないだろ。とりあえず寝とけ。」
「はい。ルイドさん。」
元気の良い返事、それもただ元気が良いだけでなく幸の感情をしっかりと蓄えたその言葉に俺はもう心配は無用だと理解した。
「ゲレント、泊まってくか?」
「お言葉に甘えて。」
ゲレントを部屋にある長椅子に布団を引いた簡素ベッドへ案内。
その日の夜は、長いようで短い不思議な夜だった。でもいつも通り———
朝がやってくる。希望の朝だ。




