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1.9 願わくば、幸あらんことを

「お先に着いていらしたのですね」


朝、フリムが自らの司令官室へと戻ったとき、既に来客は席についていた。


「あぁ。話が聞きたかったのでな。」


リガルク・バルモルト、王国の最高司令官の一人である。最高司令官の地位を持つ人間の中でも悪人に冷酷であり、善人に優しくある彼の立ち姿は他の司令官から見ても尊敬の的である。


「あいにく、リガルク様の期待には応えられませんよ。」


「全て話せ。議会に持ち帰り処罰を考えるとしよう。」


公正、公平、平等を地で行く彼に冗談どころか懇願も通じないだろう。説得は不可能。長話は時間稼ぎでしかない。


そう理解しているのに———


「リガルク様、お時間は大丈夫ですか?」


「あぁ。今日は特に急ぎの用はない。情報収集のみだ。」


良かった。それでこそ、自分の思いをはっきりと伝えられる。


「長話になりますが?」


「構わん。貴君の働きは常日頃から聞いている。情を持つのも人(・)間(・)の性だ、ゆっくり話すと良い。」


彼の雰囲気はとても柔らかく、冷酷な最高司令官としての彼の姿は今この部屋にはない。フリムがそれだけ信頼されているのか...それとも———




「今ではこの王国の指揮官となっている私も、もともとこの国で生まれたわけではありませんでした。」


どこか他人事のように語るフリムにリガルクはほんの少し違和感を覚えたのだろうが、それを表に出すことはしない。フリムはその言葉から一つの物語を始めた。


「私の恩人、ユリシア・フォルテンと出会ったのは十年とほんの少し前になります。」




フリム・ベスティカは孤独であった。魔法学園で優秀な成績を納めながら、それと反対に人との付き合いをほとんど持たなかったのも事実であった。時に、彼女の母は既に亡くなっていたこともある。父は忙しい人だったし愛情を持っていると言ってもそれが行動に移されたことはなかった。家に一人でいた当時の彼女には『ともに生きる』ということがわからなかった。


『あなた、一人?』


そんなフリムに声をかけたのは一人の少女だった。背が小さい自分より少し大きいくらい。ほんのり青みがかった銀髪にまばらな空色の髪が混じった長い髪が風でなびき、フリムの呼吸が一瞬止まる。


この子は美しい。まるで天使のようだと。


『誰?』


『あぁ、知らない人に話しかけられてびっくりしたよね?ごめん。私はユリシア・リーベル。今年入学したの。』


それがフリム・ベスティカとユリシア・フォルテンの出会いだった。始まりは突然に、それでも仲を深めるのに時間はかからない。孤独であったフリムと、静かでありながら人とのコミュニケーションを上手く取るユリシア。閉ざされていた彼女の心も少しずつ開き始めていた。


必要な時は話す。否、無駄に話を伸ばそうとはせず、二人の間の沈黙も大事にするユリシアはフリムにとって理想的な相手だった。きれいな景色を前に、遠くを眺める彼女の横顔を見ていたように、そのころはフリムはユリシアを『親友』と認識するようになった。


ユリシアは相手の心情を探り、踏み入ることのできる心の境界線をしっかりと理解していた。だからこそ彼女と話す仲間たちは皆楽しそうにしていたし、ユリシアを大事な友だちとしていたのだろう。だが、あいにくユリシアは友達が多い方ではない。


『友達?あ〜確かに少ないかも。あんまり気にしたことないからなぁ。』


『そう?ユリシアみたいに誰とでも仲良くなる人は気にすると思ったけど...』


本人は気にしていなさそうだったが、フリムには理由がわかっていた。ユリシアはその長所を活かす行動ができない。普通ユリシアのような人間は沢山の仲間を作り、色々な人々と会話をする。一方彼女は一度できた仲間を大事にすることを自らの柱としていて、それにより相手からユリシアに話しかけてこなければ一生友だちが増えない、という欠点にもなっている。


『まぁ、友達の数と幸せは比例しないだろう?ユリシアが幸せなら俺はそれでいい。』


隣にいたユリシアの彼氏だと思われる男子生徒が口を挟んできて、思わず余計なことを言ったとフリムが口を閉じる。それを感じ取ったユリシアは表情を崩さずそのまま優しく答えた。


『まぁまぁ。これはフリムなりの心配なんだよ〜?』


『ユリシアが何も考えてないのはよくわかったよ...』


『な、失礼だな?!』


ユリシアが怒るが、彼の表情は変わらない。それどころかユリシアの頭に手を伸ばし優しく彼女の頭を撫でる。『エヘへ』と言いながらユリシアは幸せに溺れていた。お互いに信頼しあい、愛し合ってるからこそできる二人の共依存にほんの少し呆れながらその光景を眺めていた。




アーシヴァル魔法学園。北のシュヴァート王国の魔法学園にして、大陸最高峰の学校。魔法技術の最先端を行くその学校はたくさんのものが通い、才能のないものは容赦なく蹴落とされてる。能力のあるものを選別し、世界を守る魔法使いや騎士を生む名門校だ。


そこで、私とユリシアが出会ったことは言うまでもなく、いつしか3年が経ってユリシアたちより先に卒業がやってきた。


『フリム先輩、卒業おめでとうございます』


『先輩だなんて...らしいこと何もしてないし、いつもフリム呼びだったでしょ。』


いきなりかしこまったユリシアが堅い言葉でフリムの卒業を祝うが、あまりにも違和感が強くて素直に喜べない。


『最後くらいは先輩って呼ばれたほうが良いかなって。えへへ。』


舌を出していたずらっ子のような顔をして。でも、目にはほんの少し涙が溜まっていて。


その涙が卒業というものを実感した感動であったのか、離れる寂しさによるものなのか、知る術はフリムにはない。


その後、彼やその他、ユリシアのおかげで他の人間とも関わりを持てるようになったことによってできた大勢の仲間達が彼女の卒業を祝った。こんなにうれしいのはユリシアのおかげだ。そう自分に言い聞かせる。否、それは無理やり納得させるわけではなく、最大限のユリシアへの感謝の現れだった。


『ユリシア、先で待ってる。いつか、必ず私のもとに戻ってきてよ。』


『もちろん!』


お互いの拳を合わせて、流れ出しそうな涙を無理やり抑える。ここで泣いてしまってはいけない。前を見るのだ。涙なんかで私の未来をぼやけさせてはいけない。




フリム・ベスティカは優秀な成績を納め、アーシヴァル魔法学園を卒業した。


「そして私がその時貴君をたまたま王国軍に誘ったことがきっかけでこちらへきたんだったな。」


「はい。卒業してからは結構流浪人のような生活をしていたので...。」




『我が軍に加わり、共に人々を守ることに興味はないか。』




卒業後、北の国で軍に就こうとしたフリムだったが、たくさんの規定に悩まされ結局は旅人のようになった。結果シュヴァート王国を離れ、いつの間にか最南端、ザーシェル王国までやってきていたのだ。


『おい、そこの姉ちゃんよぉ。』


そう声をかけられ、振り向きざまに彼らが持っていた剣が振り下ろされた。幸いだったのは鞘に収められたままであったこと。少し反応が遅れていたら相手の攻撃によって無力化されていたことだろう。


『これを避けるってのはすげーな。だが、俺等は金に困ってるんだ。あんたの横につけてるその袋、いただくぜ。』


街の中で剣を持った人間に金目当てでいきなり襲われる。否、それは初めての経験であった。だが、彼女にとって戦闘は初めてではない。模擬戦闘とはいえ魔法学園では剣術も学んできたのだ。それ故に彼女の中には大きな自信と喜びがあった——自らの剣術を活かし、実戦へと昇華できる最大のチャンスと考えたのだ。




『女だからと舐めて懸かっていては痛い目を見る。良く覚えておくと良い。』


フリムが剣を鞘に収めてそう言葉を漏らす。始めすれ違ったフリムに声をかけ金品を強奪しようとした彼らは自分たちが狩られる側になることを想定していなかったのだろう。否、今彼らは石畳の冷たい地面に血とともに転がっている。殺しはしない、だがやられた分はやり返す。フリムの最大のモットーであり、彼女を残酷たらしめんためのリミッターでもある。彼女にとって自らを害するものは消すべき対象である、その考えが変わることがない以上、制限を設けなければ相手は死んでいただろう。



目の前で倒れている彼らを見ながら、フリムは失望した。人に喧嘩を売る程度の能力もない雑魚に気分を害されるとは思っていなかったのだ。口が悪いが、苛立っている今の彼女にはこれが標準語なのだから驚きだ。


『はっはっは。素晴らしい、一人で複数を相手に完勝するとは。』


目の前に夢中になっていてフリムは周りの人だかりの中から不意にでてきたものが既に後ろに立っていることに気づかなかった。焦りを覚え、是非も言わさず剣を振り抜くが、あっさり止められる。


『待て、貴公を害するつもりはない。』


騎士のような鎧を纏い、温厚な表情をしながらも奥底には猛獣が眠っているようなそんな感触をさせる彼に、フリムは心底驚いていた。


『...誰だ。』


相手を最大限警戒する姿勢になったフリムにとって、言葉はもはや交渉の道具ではなく時間を稼ぐための玩具にしか過ぎない。彼が王国の騎士であろうが、結局今のフリムは王都で騒ぎを起こして数人を斬り伏せた罪人なのだ。


『とりあえず待ってくれはしないか。貴公の働きによって都の治安は守られた。それは事実、認めざるを得まい。故に貴公に何らかの処罰を与えるつもりはないのだ。』


彼の言葉に、真偽はともかく少なくとも話は通じる相手であることを認識し、一度剣を降ろす。警戒姿勢であることは解かないが、一旦は会話で時間を稼ごう。


『私はリガルク・バルモルト。王国軍の上級司令官であり、今はこうやって街の治安維持活動を行っている。』


『君が斬り伏せた彼らは王国でも名のしれた盗人だ。そのため追っていたところを運良く君が捕まえてくれたわけだ。感謝しよう、旅人よ。』


旅...人?そうか、この格好だと旅人だと思われるのか。


『えっと、フリムだ。』


『ではフリムに聞くが、放浪者、もしくは犯罪者か?』


いきなり突拍子もない質問が飛んできてフリムの思考回路が一旦停止する。すぐに復旧されたようだが、最高効率を出すにはまだ少しひっかかりがある。


『どちらでもない、私は旅人。』


『そうであったか。それなりの実力を持っているようだが、どうやって手に入れた?』


どうやって、手に入れた。簡単な言葉に聞こえるが考えてみると案外むずかしい。魔法学園で確かに努力はしたが、もともと才能があったのかもしれない。白か、黒かをつける盤上の戦争とは違い、灰色を候補に入れてから再び盤上の戦争を始めるようなもの。あまりにも難しい話だ。


『魔法学園に通っていた。もともと魔法や剣は得意だったらしい。』


『そうか。なら貴君にあえて問おう。才能を野に放すには惜しい。我が軍団に加わり、人々を守ることに興味はないかね。』


『ありません。』


そう、きっぱりと、はっきり言い放った。一瞬彼も考えているように感じるがそれもどうでもいい。私にとって絶対的に優先されるのはユリシアのような友人たちと自分だけだ。他の顔も名前も知らない人間のことなんかどうでもいい。


『貴君の想いはわかった。ところで、腹は減っているかね?』


『まぁ...ちょっとは。』


もちろん、嘘である。王都についてからずっと腹が減っている。しかも後から無駄な運動をさせられているわけでさらに腹が減って苛立っている。


『ならば、飯でも食べるとしよう。』



その後、アスタも知っている王都のおいしい店に連れて行かれ、しっかりご馳走になってしまい、彼の誘いを受けることになった。


また、彼からの話を聞くに、軍の仕事が予想していたことよりも遥かに簡単であるかもしれない、という希望も理由。結局はらくして稼げるいい仕事がほしいだけのめんどくさがり屋フリムなのである。




2年後、リガルクのもとで働き、ついに指揮官に昇格したフリムであったが、リガルクの配慮により遠征に出向くことはなく、王国の治安維持と兵士の育成を中心に指揮官とは思えない仕事ばかりをこなしていた。もちろんこれはリガルクの個人的な感情ではなく、フリムに向いているのがそういった仕事であったと言うだけだ。


『フリム、お前に手紙が届いていた。読むと良い。』


ある時、リガルクがフリムに手紙を手渡した。差出人は———


『フリム様、お元気でしょうか。この度魔法学園を卒業いたしました。フリムのいなかった二年間は寂しかったけど、その分得られたものも十分にありました。フリムとは真反対の考えをした友だちもできました。』


手紙はそう書き出されていた。表面にびっしりと想い出や今の幸せが綴られている。一文ごとにしっかりと読みほぐしていく。そうして裏面を見ると———


『さて、本題ですがかねてからの夢であった自分の店を持つ、を実現できるかもしれません。彼とも協力し来月からお店を開こうと思います。開業したらいつか、来てください。仕事がなくなった時もうちに来てくれれば働けます。』


後半は彼女が店を開くということが長々と語られていた。文に染みている今までの彼女の努力に不意に涙を流しそうになるが耐える。




「それで、いきなり私のところに仕事をやめたいだなんて言ったのか。」


「はい。一度離れるというのは無理だろうと思っていましたから。」


思い出話が一段落し、部屋の空気は思い描いていた夢の中から師弟の他愛のない会話へと変わっている。


「一応特例としてはあったんだがな...誰も使わない。」


リガルクはその受け答えを終えて再び長い時間の沈黙を起こした。彼にも『師弟』と『律』の間に迷いがある。いくら完璧で冷酷な男であっても、大事な弟子の思いを聞き逃すのは残酷だと考えているのだ。




「そなたが帰ってきた時、一言目に私に何を言ったか覚えているか?」


リガルクは沈黙を破りそう言った。フリムは考えるが、答えは出ない。想い出として残っていないのではなく、痛みとして忘れてしまっているのだ。


「申し訳ありません...あの時の記憶が抜けてしまっていて...。」




『私を...見捨てないでください』




「その言葉にどういう意味があるか、私では推測の域を超えない。ただ———」


リガルクのその言葉は、深い意味を持っていた。


「今、フリム副官がここを去れば、それでこそ私は見捨てたことになるのではないかと。そうやって迷っている。」



フリム副官、懐かしい響き、それはかつてリガルクとフリムが出会ったばかりの頃に遡る。人の言うことを聞くのが大嫌い、挙句面倒くさがりなフリムにとって誰かに従うことは非常に苦手なこと。それを気にしたリガルクが自らの軍に加えるのではなく、副官に置いたのだ。


当時でこそ反発はあったが、フリムの技術を見たものたちは口を噤んだ。文句があるならお前がやってみろ。それを言葉ではなく力で体現することこそがフリムの最恐たる所以なのだ。



「今は亡き恩人、ユリシア・フォルテンは私の支えであり、一部であったと今でも思っています。あの時から自分にも理解できない別の人間、フリム・ベスティカではなくフリム司令という皮を被って生きてきました。いや、正確に言えばフリム・ベスティカもその時死んでしまったのかもしれません。」


リガルクの言葉に答えるわけでもなく、だからといって話を進めるわけでもない。ただ、今の自分が何なのかわからないその葛藤を言葉に出すだけ。それでも、リガルクは真面目にその話を聞いている。


「どれだけ功績を得ようと、失ったものが大きくて、これ以上失いたくないと渇望するようになった。そんな時に出会ったのがアスタリア・リーベルです。」


「話を聞いていてもしかして...とは思ったが、ユリシア・フォルテンの妹なのだな。」


フリムは何も言わず静かに頷く。ソレに対してリガルクもなにか言うことはせず、何度目かの沈黙が続く。



「リガルク様、どうかあの子の未来を奪わないでください———すべての責任は私が取ります。覚悟はできています。ユリシアを失った私に、アスタリアまで失うことはできません。」


フリムも気づかぬうちに、視界がぼやけていた。想い出を語るうちに彼女の目にはたくさんの涙が溜まっていたのだろうか、もしくは最悪を想像した身体がそれを拒否したのか。答えはわからない。


フリムは頭を下げてそのまま動かない。今の状態でリガルクの表情を見れば、痛みが更に増すかもしれないという恐怖が生まれたからだ。



否、それは間違いであった。


「顔を上げろ、フリム・ベスティカ上級司令官。」


そうリガルクが言い、フリムが顔を上げると目が合う。そこにいるのは師匠リガルクではなく、『最高司令官リガルク・バルモルト』であった。フリムはすぐに心を痛めた。必死の願いも、彼には届かなかった。それを理解していた気でいた自分に失望した。


「今日をもって、フリム・ベスティカの役職を剥奪する。また、アスタリア・リーベル指揮官の一週間の謹慎は継続とするが、一切の処罰を免ずる。」


決して優しい処罰ではないし、彼の性格上有り得るわけがなかった。それでも、フリムのことを尊重し、大事な孫弟子を守ろうと考えてくれたことは彼女にとって大きな一歩であった。今まで理解できていなかった師匠という存在が、弟子やその家族を守ろうとする慈悲深い御仁であることを彼女は初めて知ったのだ。彼が慈悲を示すのは決して初めてではないだろうが、自分が当事者として立つとそれを強く実感するのだ。



「この職権乱用を犯す以上、君には協力してもらおう。我が策に。」



フリム・ベスティカ、数年にわたって王国の統治を護る一人となり、上級司令官まで上り詰めた彼女は魔獣討伐に際し魔族との談合を行ったとして軍職を追放された。

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