1.11 ペディット・ラプティア
「ルイドさ〜ん?起きてますか〜?」
そんな声で目覚める朝。いつもより長く寝たことをすぐに直感した。だって、アスタが先に起きているんだから。それよりも気になるのは、彼女の声音に昨日のことが嘘のように感じられたこと———立ち直ってくれたのか、それともそんな幻想を見ているのか。
「今行くよ。」
体を起こし、立つ。疲れているのか少し安定していないような気もするが、こればかりは時間に願うしかない。
「朝食作りましたよ...ってルイドさん?顔色が悪いけど..調子悪い?」
「少しな。」
アスタの目から見ても明らかなようだが、そんなことはどうでもいい。アスタとともに向き合って椅子に座り、朝食を摂る。アスタの作った朝食は朝メニューのうちの一つ。得意としているのかよく作っているイメージが有る。
「そういや、ゲレントは。」
「ゲレントなら、朝早くに出ていきましたよ。まだ終わってないって。」
「そうか。」
しばしの沈黙をはさみ、迷っていたルイドはある決断をする。それは——王都へと行くことだった。
「今日、店を任せてもいいか?」
「良いですよ、まだ療養期間になっているみたいなので。」
あんな状態だった後を考えるとアスタ一人にやらせようとするのは酷かもしれないが店を開いて置かなければ逆に街の住人に心配されかねない。もう一日も経ったのだから、とっくのとうに情報は伝わっているだろう。もっとも、店に石を投げつけられるようなことはないが、誰かが怒りの矛先を向ける可能性もある。
「すぐに出る。ごちそうさま。」
食事をさっさと食べ、部屋へと戻る。外行きの服に着替え、アスタにいってくるとだけ言って家を出る。本当ならば彼女の今の状態をしっかり確認しておきたいところだが、そういうわけにもいかない。
ただ打てる手は絶対に余らせない。ゆえにルイドは空へと魔法の光を放つ。一種の通信方法でもあるそれは目的の相手にしっかりと届く。これは何も敵討ちの合図でもなんでもない。ただ必要なものを守るだけの最低限の盾だ。
「ありがとうございました〜」
馬車を降りる時に後ろからそんな声が聞こえた。馬車の主はどうやら機嫌がいいらしい。相当良い稼ぎなのだろうが、俺に知ったことではない。
王都の町並みを眺めながら、前の時とはまた違った感動を覚える。かつてはその壮大さに目を奪われていたものだが、今改めて見るとヴェラーテとはまた違う建築の様式の数々にどこか意識をぼんやりさせている。
歩いて少し、前にも来たフリムの司令室へと足を運ぶ。門番の衛兵はいなかった。当たり前だ、もうその司令室に座るものはいないのだから。
「ここがあいつの席か。」
いなくなった上級司令官の席に座る。あいつの片付け嫌いの癖がよく出たその机はきれいに整頓されているように見えて中身はグチャグチャだ。いつだってそう、あいつはそういう人間だった。
孤独を好んでいるように見えて常に誰かを求めていた。
強く振る舞っているだけで中身は弱いままだった。
表向き、それを着飾るだけの人間だ。
「本当に、いなくなったんだな。」
誰もいないその部屋でそう言葉を漏らす。だが、それを聞いていたものがいた。
「余計なものを残して...だな。」
その部屋に入ってきたのは身を軍服に包んだ男。名前を名乗るまでもなく、ここに来るということから誰かはなんとなく察知できた。
「リガルク・バルモルト最高司令官...別名[鋼鉄剣]」
「その二つ名は余り気に入っておらんのだ。できればあまり呼ばないでいただきたい。」
「それは失礼仕った。」
リガルク・バルモルト。ヴェラーテでも耳にするほどの知名度を持ちながら、その冷酷さによって忌避されている存在...だと聞いたことがある。所詮人々の噂であるのだから余計なものはいっぱいついているだろうが、それでも目の前の男はそう呼ばれるだけの威圧感と冷たさを纏っていた。
「それで、こちらへはなぜ。」
「貴公、わかっておるのだろう?わざわざ聞くほどではあるまい。名を名乗れ。」
「名乗る必要はない、俺は仲良しごっこをするつもりはない。話を聞きに来ただけだ。」
「そうか、ならば話すとしよう。我が全てを。我が愛弟子の、我が愛する彼女の全てを。」
ここでようやくルイドは彼がなぜ最高司令官という立ち位置におり、冷酷さで知られていながらフリムのために動こうとするのかをやっと理解した。
彼はフリムを愛している。たったそれだけのことなのだ。
「私と彼女の出会いを説明すると長くなる。君が知りたいのはそこではない....ペディット・ラプティアのことだろう?」
「俺が聞きたいのは3つ。そのペディットだがの死がなぜこの戦いに関係するのか。なぜフリムが死ぬ必要があったのか。お前たちの最終目的は何なのか。それだけだ。」
リガルクは了承し、1つ目の答えをまず話す。
ペディット・ラプティアはリガルクの側近、フリムの前の上級司令官であった。リガルクが指揮官であった頃からともに戦っていた彼女は強かった。とにかく強かった。剣の腕はリガルクを超え、知力でも十分並ぶ力があった。ときたまリガルクは『俺より先に出世すべきだ』と言ったという。
だが、そんな彼女にも弱みがあった。ラプティアの名の通り、彼女は魔族の血を引いていた。そして強くなればなるほどに彼女の額には角が生えていった。リガルクも、その弟子や配下たちも文句を言うことはない。ペディットと仲良くなかろうと文句を言うことはない。それだけの功績と能力のある彼女は絶大な信頼を得ていた。
「ペディットの死因は病死である。だがその原因には明らかに異変が多かったのだ」
リガルクのその言葉は哀しみに溢れるほどに痛みを孕んでいた。見たことがある、自分のかつての姿だ。それゆえに彼の言った言葉には覚えがある。既視感というやつだろう。
「その原因は呪いか、それとも毒か。」
「どちらでもない、彼女の病気とは恐怖だ。」
恐怖、恐怖...恐怖。
かつて俺を苦しめた。今のアスタを苦しめた。そして目の前のリガルクもきっと苦しめられている。恐怖。もっとも身近でもっとも残酷な痛みであり、辛苦である。
「なぜ、それが死に繋がる。」
リガルクはその言葉に一瞬口を閉じた。だがすぐに話を再び始める。
ペディットはかつて魔物との戦争で命の境目に立った。そも人間と魔物では戦力差が違いすぎるのだから死んでもおかしくない戦場のは事実。しかしそんな中で彼女は勝利した。
「多数の損害を出しながらも、ペディットは戦いに勝利した。軍では彼女を褒め称えるものも多かったことを覚えている。」
それでも、軍だけの話でしかない。民衆は別だった。
王都に凱旋したペディットに投げつけられた他愛もない一言。それが彼女の心をボロボロに破壊し尽くした。
『もっと強い司令官なら私の息子が死ぬこともなかったのに』
自分の家族を、息子を失った痛みがただ言葉になって飛び出しただけ。だが、彼女にとっては十分に致死量の毒であった。
「ペディットは数ヶ月で衰弱した。人と話すことができなくなった。いくら医療に知見のない私でも一目瞭然であった———それだけの苦しみを味わっていたのだろうよ。」
「それ以上は聞きたくない...知ってるはずだ、フリムの過去とそれが俺等にも関係していることを。わざわざ余計な一言を付け足すということはわかっているのだろう。」
「無論、承知している。だがね、私は君とは違いそうやすやすと引き下がれるわけではない。私に言わせてみれば、幸せ如きに愛を捨てるなどあまりにも滑稽でしかないのだよ。」
どこでそれを聞いたのか、少々理解に苦しむ———どうせフリムが彼に伝えたのだろう。彼の言うことには一理どころではない正しさがある。フリムにとっては俺のことがそう見えていたのだろうか、否それを確認する方法は既に潰えている。
「別に滑稽でいいさ...俺には俺のやるべきことがある。あんたにはあんたなりの正義がある。それだけだろう。」
「バカな御人だ。この最大の好機を捨てるか。」
勝手に言っておけば良い。俺は参加しない。たとえフリムの願いだったとしても既に冷え固まった俺の心が再び煮え滾ることはないのだ。
俺は何も言わないまま、扉へと向かった。これ以上は時間の無駄でしかない、そう考えている。ただ、彼はそうではないと言った。
「貴公の姫君が魔王軍によって処刑されるとしてもか。」
「それは有り得ない。俺がいる限り...な。」
後ろを振り向くことはない。そう脅されることなど既に理解している。だからこそ、手を打っている。考えられるだけの最高の布陣を、すべてを守るための強欲の魔法を。
「失礼する。またどこかで会ったらな...と言いたいところだが、二度と会うことはあるまい。」
そうして扉を閉めた。このときから、リガルク・バルモルト最高司令官は王国の反逆の牙となったのだ———このことを知るものがいないことを除けば...な。
「魔法使いさん!しっかりして!」
帰り道、家に入った俺に聞こえてきたのはアスタの悲痛の叫びだった。隣の店から聞こえてくる声に、頭よりも身体が状況を理解する。すぐに扉を開け入ると、そこには血の海に倒れる魔法使い...ウェルの姿があった。
「何が起きたのか、説明してくれないか。」
結局、多量の出血はあったものの魔法使いの命に別状はなく、適切な手当てと治癒魔法によって意識以外の問題は全て解決した。あとは意識が戻るのをまつのみとなる。
「夕方になって、人がいなくなったから今日は早くお店を閉じようと思って...。そしたら男の人...ゲレントと同じくらいの人が来て、夕食を食べに来たって。」
アスタの声は震えている。狙われたのは魔法使いではなくアスタ。それを証拠に、来たときには気づかなかったが店の扉の近くの窓は粉々になっている。おそらくは魔法使いがアスタを守るために戦ったのだろう。
考えていた最悪の可能性が今現実になったわけだ。
「そしたら魔法使いさ...ウェルさんが私を突き飛ばして、男の人が剣を抜いて戦いが始まって...。」
それから糸を紡ぐようなアスタの言葉を静かに聞き続け、その言葉のすべてが一本の糸となった時、魔法使いの意識が戻った。そして同時にルイドは全てを理解した。これは『フリムのための復讐』ではない。『ルイドに対しての挑発』なのだと。
直感的に人の気配を感じたルイドは彼の部屋に一時的に寝かせていた魔法使いのもとへと向かう。そこには目を覚まし状況を理解していない魔法使いがいた。彼女はルイド様と呼ぼうとして口を噤んだ。
「ここではやめてくれ...アスタがいるからな。」
アスタが部屋へ入ってくる少しの間に彼女の状態を確認する。命に別状がないなんてよく言えたものだ。全身ズタボロ。切り刻まれて細切れになっていてもおかしくはないほどだ。防ぐのではなく流す、彼女の戦い方が功を奏したと言っても良いだろう。
「痛いところは?」
「全身痛みますが...特に痛みを感じるところはないですね。」
質問を間違えた。痛くないわけがなかった。失敗したというより何も考えられていなかった。彼女が目を覚ました嬉しさにほんの少し心が躍っていたようだ。
「ルイドさん、と呼んでも?」
俺は声を出さず頷く。彼女は周りを見て、それから自分の体を見て、頭の中を整理する。
「私は...負けたんですね。」
「あれを退けたのなら十分だ。」
ルイドは魔法使いを優しく抱擁する。彼女の魔法は近距離戦では相性が悪い。それなのに最恐の狼を退けたのなら褒め称えられ、称賛されるべきだ。
「しばらくここで生活しろ。戦った以上お前も狙われかねん。」
「...わかりました。」
「細かいことは追々話す。とりあえず今は寝ておけ。よく...頑張った。」
つい無意識に魔法使いの頭を撫でていた。彼女にとってもこれがもっとも効果的な薬となるのは理解している。ただ、撫でるつもりはなかった。それでもいつの間にか撫でていた。自分で考えた行動の結果なのか、それとも———。
「ねぇ、ルイドさん。さっき話してた“あれ”って何?思い当たりがあるってことだよね。」
どうやら裏で話を聞かれていたようだ。アスタも狙われた以上黙ってルイドにだけ任せているわけには行かない。彼女の最大限の意地、それがたったの一言に現れるのだから恐ろしい限り。
諦めて全て話したほうが良い。フリムももういない。頼れるのは今自分の目の前にいる姫君なのだと、そう理解してしまったが今、頼らざるを得ない。
だから俺はすべてを話す覚悟を決め、その全貌を語った。
「あれは『人狼』とでも呼ぶべき———」
「災厄の一つだ。」




