第二話
窮地を脱した僕は、穏やかに微笑むアイリスから話を聞いた。やわらかな金色の髪を結い上げた、きれいな人だった。
アイリスの説明によると、要するに僕は異世界転移してしまったらしい。モツ煮込みを食べようと改札口を出たあの状態で!? と僕は面食らう。
「異世界からの勇者様が我々の召喚に応えてくださったこと、とても嬉しく思います」
「……いや、勇者様だなんてそんな……応えたっていうか、気が付いたらここにいただけだけど……」
会社だって異動の辞令が出ることがあるけれど、それにしたって有無を言わさないのはどうなんだ。
「勇者様には、異世界転移の際に特別なスキルが与えられているはずです。念じれば、どういったスキルなのか見られるはずですよ」
アイリスの言葉に従って自分のスキルを見たいと念じると、するりと目の前にウィンドウが開いた。
僕の名前やステータスが表示されている。魔力だけはやたらと数値が高いけれど、体力はそんなにない。スキル欄には「ネーミングライツ」と書いてあった。
──ネーミングライツって、球場に名前とかつける権利じゃないの?
せっかく異世界転移したのに、よくわからない能力だな……と、僕は落ち込んだ。もっと強そうな能力がいくらでもあるだろう。なんだよネーミングライツって。インフェルノなんとかじゃないのかよ。
落ち込んだついでに、僕のお腹が鳴る。モツ煮込みを食べ損ねたことが、さらに落ち込みに拍車をかけていた。
「お腹がすいているのですか?」
「ああ、はい……ご飯食べようとしてたところだったので」
アイリスは僕を連れて、地下神殿から出る。石造りの階段を上がったとき、僕がこの世界に来たときのように再び異世界転移して元の世界に戻るんじゃないだろうか、そうしてモツ煮込みを食べられるのではないか……そんなふうにちょっとだけ期待したが、奇跡は起こらなかった。
アイリスが僕を食堂に案内する。僕はモツ煮込みが食べられなかった寂しさを埋めるように、ほんの少し固いパンをもそもそと口に運んだ。
「この世界は今、魔物たちに襲われています……」
アイリスは僕の正面の席に座って、悲しそうに目を伏せて語った。長いまつ毛が震えている。
「どうやら魔物たちの軍勢が、異世界から魔王を召喚することに成功したようなのです……。魔王は魔物とともに、ぞくぞくとこの国に攻め入ってきています……」
ベタな話だな、と僕はモツ煮込みのことを考えながら、スープを飲んだ。薄味だったけれど、疲れた身体にしみわたるような温かさがある。刻んだ干し肉とタマネギがスープに入っていて、旨みが溶け出している。シンプルだけれど、美味しい。
「異世界から来た勇者だって? どいつだよ!」
食堂の入り口から声がして、荒っぽい足音が聞こえてきた。その勇者というのは僕なんだろうけれど、僕はただの一般人だ。スキルだって、ネーミングライツとかいうよくわからないものだし、ステータスの体力欄を見ても、僕に戦う能力があるとは思えない。スープを飲んでいると、男は僕に近づいてきた。
「おう、お前か!」
「え? 僕?」
「見たことねぇ服着てるからな! しっかし、ひょろひょろしてんなぁおい! 本当に戦えんのかよ!」
僕は自分の服装を見た。一日仕事をしたあとに、満員電車でよれよれになったスーツだ。
「お疲れ様です」
社会人の処世術の一つとして、まずは疲れをねぎらうことがクセになっている。ねぎらわれて悪い気がする人は、そうそういないだろう。
「おう! 残ってた魔物は全部、ぶっ潰しといたぜ! しかしお前、のんきにお食事かー? 俺たちが魔物の残党狩りしてるときに、ずいぶん悠長だな」
いきなり絡んでくるなんてガラがいいとは言えないなと、僕は男を横目でちらりと見た。アイリスが首をすくめて怖がっている。
「腹が減っては戦はできぬって言うでしょう。食事は大事ですよ」
男を刺激しないようにそう言うと、彼はハッと鼻を鳴らした。
「……ちげぇねぇ!」
どっかりと隣の席に座って「おーい! こっちにもメシ!」と手を上げている。ガラはよくないけれど、話は通じるらしい。
「あ、俺はトニーな。よろしく!」
「佐々木です。よろしくお願いします」
僕はパンの欠片でスープの皿をぬぐうと、口に運んだ。スープでやわらかくなったパンの固さがちょうどいい。ほんのりふやけて、少し固かったパンがやわらかくなっている。戦いで緊張していた僕の身体が、ほっこりと温まって軽くなったような気がした。思わず安堵のため息がもれる。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせてそう言ったとき、僕の身体にふわんと力が満ちた。
「お?」
「レベルが上がったようですね」
「なんの? 満腹レベル?」
素朴な疑問を口にしたあと、怖くなった。食べることでレベルが上がるなら、僕はあっという間に太ってしまうのではないか。「レベルのためだ!」とぐるぐる巻きで身動きがとれないようにされて、口の中に食べ物を流し込まれるところを想像して、僕は身震いした。
「ナイショ! ナイショでお願いします!」
アイリスとトニーがきょとんとしたあと、笑い出した。
僕はこの世界での自分のことを、知らなくてはいけない。ぐるぐる巻きにされて食事なんて、絶対に楽しくないに決まっているのだから。食事は楽しくするものだ。




