第一話
満員電車から降りた僕は、給料日に浮かれていた。ぎゅうぎゅう詰めの帰宅ラッシュは厳しいが、給料日には焼き鳥屋に行って、モツ煮込みを食べると決めている。嫌なことがあった日もそうだ。
長時間煮込んだモツはふわふわしていて、味噌味や塩味のスープの中にダイコンやニンジンやゴボウが入っている。モツは普通、つるんと歯から逃げて噛みきれないけれど、僕がよく行く店のモツ煮込みはふわりと歯が通るのだった。
お腹がぐうと鳴った。もうすぐあのモツ煮込みが食べられる。
ネクタイを緩めながら駅の地下改札口を出て、階段をのぼる。すれ違う人がいないので、階段のど真ん中を歩いた。
階段をのぼりきるのは、ちょっとしんどい。運動不足かもしれない。僕は壁に手をついて、息を整えた。
「え、なにこれ」
顔を上げた僕は、見慣れない景色に戸惑った。階段横の壁はレンガでできていたはずだけれど、僕が手を置いているのは、古代の神殿にあるような柱だった。ひんやりしているところは、どちらも変わらない。
「ようこそおいでくださいました、異世界の戦士よ。私はアイリス」
厳かな印象の女性の声がしたけれど、暗くてよく見えない。僕の靴音がやけに大きく響いている。
「これ異世界? 異世界転移ってやつ?」
戸惑う僕の声をよそに、突然辺りが明るくなった。アイリスの掲げる杖の先から、光があふれ出していた。どうやらここは洞窟の中らしい。まるでゲームに出てくる地下神殿のような場所だった。
アイリスは、天女の衣のような薄い服を着ている。透けているんじゃないかと僕は一瞬どぎまぎしたが、彼女の対策は万全で、下にきちんと別の服を着ていた。
「突然ですが、名前をつけてください」
「はい。え、名前!? 誰の!? 僕?」
「必殺技の名前です」
「必殺技!?」
薄衣をまとったアイリスの突拍子もない言葉に、僕は目を白黒させた。
「早く! 敵が来てしまいます!」
急かす彼女の声に重なるように、大きな地響きが聞こえた。同時に僕のお腹が鳴る。モツ煮込みを食べ損ねた。給料日って月に一回なんだぞ! あんなに楽しみにしてたのに!
瓦礫の崩れる音がして、筋骨隆々とした魔物たちが攻め込んでくる。魔物の一人が大きな剣を振り下ろす。魔物はめいめいに武器を構えて暴れている。これほど緊迫した事態だっていうのに、僕のお腹がさらに鳴った。腹が減っては戦はできぬって言うのだから、無理もない。
「モツ煮込み!」
僕は、先ほど食べ損ねたモツ煮込みと叫んだ。僕の声が、洞窟の中に響き渡る。地下神殿が一瞬静まり返り、僕の叫びの余韻が、うわんうわんと渦を巻いた。
──あれ? ダメだった?
戸惑う僕のすぐ横で、淡い光の柱が立ち上がる。
「さあ、お行きなさい! 今こそ、モツニコミを放つのです!」
モツ煮込みを放つって、なんだよ。
アイリスの声と共に、淡い光の中から何かが迫り上がってくる。岩だ。どうやら何かを召喚したのだろう。巨大な岩は僕の三倍ほどの背の高さになると、両腕を振り上げてうなり声をとどろかせた。ゴーレムのようだ。洞窟の中に声が反響する。
そのすさまじさに思わず頭を抱えた僕の横で、ゴーレムは魔物の群れに突進していく。
「モーツニーコミー」
くぐもった機械音声みたいな声が聞こえた瞬間、ゴーレムの目から轟音とともに強烈なビームが発射された。
赤茶色の強烈な光は、洞窟にひしめいていた魔物たちをあっという間に飲み込んで倒してしまった。その光景を見て「味噌味か」と瞬時に考えてしまう自分は、どうなのだろう。
「おお……モツニコミ……なんという強さなのでしょう……」
目の前に広がるのは、モツ煮込み砲で身体をぶち抜かれて倒された魔物たちだった。一撃で倒されている。なんだこの強さは。モツ煮込みは、そんなに物騒なものじゃない。
僕はモツ煮込みという名前を、ゴーレムの必殺技につけてしまったことを後悔していた。モツ煮込みの強さに感動しているアイリスには、申し訳ないけれど。
僕のお腹が、ぐうと鳴った。




