第4話 霧の先
Side:志織
二日目。書くと決めて、書いていた。
メモアプリにダァっと打ち込んで、そのうち、これはちゃんとパソコンで残しておくべきだなと思って、机の引き出しから取り出したノートパソコンを起動した。Wordを立ち上げる。立ち上がる。当たり前だ、ローカルにインストールしたソフトだ。Wordの真っ白なページが、私を見ていた。
「『無人の町・取材日記』」
第一稿のタイトルにそう打って、本文を書き始める。書いているうちに、私はだんだん「いまの自分が置かれた状況」と「それを書いている記者の自分」が、別の人になっていく感覚を覚えた。これは、たぶん心を保つために必要な分裂だった。
朝食は、冷蔵庫に残っていた野菜炒めとご飯。火曜の夕食の残りだから、私の部屋の中だけは、ちゃんと時間が連続している。
書き終えて顔を上げると、昼前だった。お腹が、本格的に減っていた。
私は深呼吸をして、もう一度外に出る覚悟を決めた。軽く昼食を済ませると、今度は、サンダルじゃなくスニーカー。リュックを背負って、財布を入れた。お財布。財布が必要かどうかわからないけど、私の習慣がそれを入れさせた。
広い幹線道路に出て、さて、どちらに行こうかと迷う。どっちの方向にも、地方のロードサイドっぽい建物が並んでいる。
昨日ちょっとだけ入ったコンビニの反対方向へ。建設事務所や、自動車販売店、住宅、マンションなどを通り過ぎると、町外れに達したのか、その先は建物がなくなり、道路だけが続いている。道路脇に「不動産情報」とだけ書かれた赤い看板が立っている。その先は空き地や森になっている。
引き返す前に、もうちょっと先を見ておこうと、そのまま歩き続けた。道路はゆるい上り坂になっている。
2~3分も歩かないうちに、ふと気がつくと霧が立ちこめていた。
「え、待って」
霧って、こんな真っ昼間に、いきなり現れたりするんだっけ?
怖くなって引き返す。小走りになって数分もしないうちに町の建物が見えてきた。
「あ、あれ?」
いつの間にか霧は晴れている。振り返って見ると、数百メートル先が白く霞んでいた。
もう一度、霧に向かう気力は湧かなかった。そのまま歩き、コンビニの前を通り過ぎ、5分も歩くと、建物が途切れた。町の反対側だ。その先は森の中を道路が突っ切っている。
「よしっ」
意を決して歩き続ける。
「大丈夫、大丈夫……」
何が大丈夫なのか、あえて自分でも意識しない。意識すると、それが実現してしまいそうな気がした。
立ち止まり、後ろを振り返った。町がはっきりと見えている。
再び歩き出して間もなく、ふいに白い霧に包まれた。
「……はあ?」
偶然だろうか。町から離れて数分歩くと、いきなり霧が湧いてくる。そんなことがあるだろうか。
なんだか腹が立ってきたので、そのまま歩き続ける。
5分もしないうちに、霧の先に建物が見えてきた。隣の町だ!
道路脇に「不動産情報」と書かれた赤い看板が立っている。さっきの町で見かけた看板と同じだ。いつの間にか霧は晴れていた。
そのまま歩くと、住宅や事業所が並んでいる。気のせいか、見たことあるような。
「……嘘でしょ」
コンビニがあった。その次は中華料理店。その次はイタリア料理店。出発地点の町と同じ並びだ。店名も、店の形状も、まったく同じだった。
胸がざわつく。コンビニの手前まで戻って脇道に入る。
「……ただいま?」
うちのアパートが建っていた。
行動を思い返す。自宅を出て、幹線道路を右方向に行ったら霧が出たので引き返した。そのまま反対方向へ歩き続けた。町を出て、また霧にまかれ、次の町に到着したと思ったら、ここにいた。
「閉じ込められてる、ってことね、これ」
口に出すと、不思議とすぐに涙が出た。怖くて、悔しくて、悲しくて、それでもどこかで、まあそうだろうな、とも思っていた。ありえない状況が、なんだか自然と腑に落ちる気がした。
しばらく泣いた。誰もいないので、思い切り泣けた。
それから私はもう一度、コンビニに向かった。
相変わらず人はいない。レトルトカレー、米、麦茶のペットボトル、衛生用品、トイレットペーパー、それから、缶詰のミックスフルーツ。
セルフレジはなかった。有人レジの前で、ちょっと考えてから、財布から千円札を一枚出して、レジ台の上に置いた。
無意味だ、たぶん。誰も受け取らない。
それでも、置いた。
「すいませーん、お買い上げです、千円分くらい、たぶん」
声に出して、頭を下げて、店を出た。
部屋に戻って、扉を閉めて、床に座り込む。
膝の上に置いたスマホのメモアプリを開く。新しいページを作って、私はこう打ち込んだ。
「閉じ込められた。たぶん、駄目。」
打ってから、「だめ」を「駄目」に変換し直した。なぜか、ちゃんとした漢字にしておかないと、自分が壊れる気がした。
夜、お米を炊いて、レトルトカレーを湯せんした。一人分の食事って、なんでこんなに静かなんだろう。
食べながら、私はWordの新しいページに、思いついたタイトルを書きつけた。
「『町と霧と、ひとり』。」
──本にするわけでもないのに、なんで私はタイトルから決めるんだろう。記者あるあるかもしれない。
少し笑えた。少しだけだったけど。




