1-8 尾行と導き
正夫から頼まれた、民子の尾行。
正夫曰く、民子の行先の目星は「譲三」という山暮らしの人物らしい。
チトとリュッカは屋敷を出た民子を追って、いつか来た山道を三輪バイクで走っていた。あまり接近すると排気音で勘づかれるため、距離をあけてのろのろと。
道中、菊人形の胴殻運びで一緒になった村人がリュッカに手を振り、
「おっ、義手の兄ちゃん。可愛らしいお嬢さんとニケツしてどこ行くんだ?」
「あんたがいれば百人力なのに。もう手伝ってくれないのかい?」
移動中の三輪バイクを村人たちが引き留める。
「今日は別の頼まれごとがあって……すみません」
「そうかい、そうかい。村長の頼みなら仕方ないな。あぁそうだ、その先の道、路肩が崩れてるから気をつけろよ!」
「わかりました。教えてくれてありがとうございます」
こんな調子だから、尾行は遅々として進まない。
しかし、リュッカは話し掛けられるたびに律儀に反応し、頬を緩ませた。不咲のキクを救ったチトほどではないが――自分もようやく村人から認められてきた気がして、嬉しかったのだ。
すると、リュッカの後ろから「随分打ち解けているんだな」とぼやく声。
「あっ……はい、申し訳ありません……無駄口を叩かず尾行に専念します……」
リュッカが肩を竦めると、
「いや、責めているわけじゃない。きみは誰とでも仲良くできて――何というか、その、少し羨ましかっただけだ」
後部座席のチトの小声に、リュッカはぎょっとした。
ヨナギ村に来るまではあんなにツンツンしていた、あのチトが。
拗ねたような言い草もいじらしくて、不覚にもときめきかけた。何日も一緒にいたことで、チトとの距離も縮まってきたのかもしれない。
「チトはもう十分、皆から認められているじゃないですか。それに、植物に関する文化にも詳しいし。あと、熱心な読書家なんだなって」
「別に……本くらいしか友達がなかっただけだ」
チトはそう言ったきり黙った。
向かうところ敵なしの〈一級庭師〉による自虐。リュッカは虚を突かれた。
チトが弱音を吐くほど打ち解けてくれたのは、確かに前進だが――彼女の心の脆い部分を垣間見て、何となく気が咎めた。リュッカはそれ以上の追求をやめ、意識を道の先へと向けた。
紅葉が彩る山道を、無言で走り抜ける。
石に乗り上げて三輪バイクが跳ねると、チトが「ひゃっ」と悲鳴を上げる。背中に感じる存在感は、不思議ともう不快ではなくなっていた。
・・・
民子の後をつけて辿り着いたのは、かつて通過した林だった。
(やっぱり、木の幹に変な傷がある。動物の爪痕だよな?)
林の木々を見渡せば――赤い葉をつけた細い幹に、水平ラインの引っ掻き傷。
下にいくほど短くなる線の集まりは、遠目に見ると逆三角形を描いていた。そんな逆三角形を樹皮にまとった木が、周りにざっと数十本。道の終点で三輪バイクを下りた二人をぐるりと囲んでいた。
この林は、幹を傷つけた猛獣の生息域なのかもしれない。
リュッカは生唾を飲み込み、山道に苦戦するチトを振り返って、
「あまり俺から離れないでください。どんな野生動物が飛び出してくるかわかりませんから」
リュッカがびしっと忠告すると、チトはきょとんと瞬いた。
まさかの無反応……少し格好つけすぎてしまっただろうか。
チトが目を点にしてリュッカを見上げる。物言いたげな蒼い瞳に、遅れて羞恥がやってくる――自分が言った、まるで姫を守る騎士のような、歯の浮くセリフ。こんなの、調子に乗っていると思われても仕方ない。
急にどきまぎしはじめたリュッカに、
「……きみの自己犠牲精神と勇敢さは大したものだと思うが、」
至って真面目なトーンで応じるチト。
チトが怒っていないと知って、ほっと胸を撫でおろす。
それと同時に耳を疑う。リュッカの聞き間違いでなければ、今、チトが自分を褒めた気がする。何だかこそばゆい……いや、本当に体がかゆい気がしてきた。
「この幹の傷は獣ではなくてだな……」
そして、チトが何かを言いかけた瞬間。林の奥から唸り声が響いた。
グルルルルッ!
林に入ってきた人を威嚇する猛獣の声――やはり、動物がいるんじゃないか。
予想通りの展開だった。反射的に腰を落として、警戒する。
茂みの向こうに動物の気配。小枝を踏み折る音が接近してくる。
クマか、シカか、イノシシか。オオカミという可能性もある。サルくらいなら、義手で対抗できるかもしれない。リュッカは一瞬のうちに考えを巡らせた。
ただ、いずれにしたって、木々が生い茂るこの場所では分が悪い。
リュッカは体を茂みへ向けたまま、視線だけで拓けた場所を探した。数メートル先の一画。その場所だけ、高い植物がなくぽっかりと空いていた。明らかに都合よく。
リュッカはそこへ駆け出すや否や、
「チト! 早くこっちへ移動して……って、うわあぁっ」
ずしゃっ。
と、大量の枯葉が崩れる音を伴いながら、リュッカは景色からドロップアウトした。
リュッカは土と枯葉のクッションを背に、若干遠くなった空を見上げて、
(お、落とし穴……!?)
数秒の後、ようやく自分が罠にかかったのだと悟る。リュッカは、不自然に拓けたその場所に誘い込まれて、落とし穴にはまったのだ。穴は想像以上に深く、また、均整の取れた円筒型に掘られていた。
この穴の罠はどう考えても、
「人がつくったものだよ、リュッカ」
穴の向こうからチトの声が降り注ぐ。
チトの声はいつも通り冷静だったが、時折「こら、舐めるな、ダメだってば」とくすぐったそうな小言が挟まった。
チトはいったい誰と話しているのか――その答えは、リュッカが問う前に自ら顔を出した。
穴のフチからこちらを覗き込む、真っ黒なかたまり。
赤い舌を垂らしてリュッカを見下ろすその生き物は、筋肉質な大型犬だった。しかも、首輪がついている。と、いうことは野犬ではない。飼い犬だ。状況を察するに、林の管理者が飼っている番犬なのだろう。
……先ほどの唸り声は、この犬だったのか。
リュッカは穴の底で、無様さに顔を覆った。
ややあって、ツタのロープがするすると下りてくる。穴から這い上がったリュッカは、「チトの異能に助けられてばかりだ」と、情けなく溜め息をついた。
落とし穴にはまっていたせいで、民子を見失った正午過ぎ。
意気消沈するリュッカの隣では、黒い大型犬がチトに尻尾を振っていた。
ヨナギ村に来てからというもの、何をやっても裏目に出る。菊酒を振る舞われた夜を思い出して、リュッカは肩を落とした。
犬にじゃれつかれて尻餅をつくチトに、静かに生まれる嫉妬心。
「随分懐かれているじゃないですか」と、ついぼやいてしまったのは、不甲斐なさへの反動だった。
「何を不貞腐れているんだ、リュッカ。……って、こら。服を引っ張るな、汚れる」
ふいにチトが声を荒げ、身をよじる。
見れば、犬がチトのドレスの裾を咥えて引っ張っていた。
裾を千切らないように加減して、林の奥へぐいぐい引っ張る様子は、
「どこかへ案内したいのかも」
チトとリュッカは頷きあうと、犬が導くほうへ歩みを進めた。
犬は何度も振り返り、二人が付いてきていることを確認する。まるで道先案内人だ。倒木をくぐり、ススキのカーテンをかき分ける。犬が立ち止まった場所には、果たして、小さな山小屋があった。
・・・
その山小屋は、住居と呼ぶにはいくぶん質素だった。
かろうじて雨風を凌げる程度の建て付け。戸の脇には、無造作に薪が積まれていた。ログハウスというより倉庫に近い。
チトとリュッカを導いた犬は、小屋の入口から離れた場所に行儀よく座って、二人の次の行動を待っていた。
チトが胸元のリボンを直し、戸の前で息を整える。
初めて民子に会ったときにはリュッカの後ろに隠れていたのに――人見知りな異能少女の成長に、リュッカは無性にぐっときた。
チトが控え目に戸を叩く。
が、小屋の中から反応はない。
というより、革手袋を嵌めた小さなこぶしでは、戸を叩いても大した音が鳴らなかった。リュッカはチトに目配せして役割を交代し、古びた木戸にこぶしを掲げた。
小屋の内部に向かって「ごめんください」と呼びかけたとき、
ドドドドドッ――と荒々しい足音が近づいてきて、乱暴に木戸が開いた。
「だから!!」
出てきたのは檜皮色の作務衣を着た40代手前の男で、
「あなたに分ける漆はもうない!」
男は叫びながらも徐々に視線を下げ、
「と、何度言ったらわかる、ん、だ……」
戸の前で固まるチトとリュッカを、肩透かしを食らったような顔で見下ろした。
そのまま男と向かい合うこと数秒。
微妙な空気になる三人を犬が遠巻きに眺め、ふわぁと欠伸をした。
出し抜けに怒鳴られて、リュッカはしばらく思考停止していたが――飛び出してきた男の言い分を鑑みるに、つい先ほどまで、別の来客があったのだろう。
その先客とは、きっと民子だ。
リュッカは直感的に確信した。
そして恐らく、作務衣姿の渋い彼こそ「譲三」に違いない。
譲三は一見粗野な印象だが、短く整えられた髪や爪に清潔感があった。彫りの深い顔立ちに、隙のない佇まい。本気で着飾ったら化けるタイプの男前だ。
民子の想い人と考えるには、ちょっと癖が強い気もするけれど。
リュッカは譲三の第一声――あなたに分ける漆はない――を反芻して、こっそりチトに問いかけた。
「この人が譲三で、さっきまで民子さんがここを訪れていたとして……民子さんは『ウルシを欲しがっていた』ということですよね? 木材なんかもらって、何がしたいんだろう?」
聞くと、チトは見るからに呆れた表情で、
「リュッカ……私たちが『漆』と口にするとき、大抵はウルシの樹液を指すんだよ。林のウルシの掻き傷を見ただろう。あれは、人がウルシの樹液を採取した跡だ」
それからチトは「そうだろう?」と、譲三に視線を向けた。
「……いかにも。俺はこのウルシ林の所有者で、譲三という。ヌシだ。お前らは何者だ?」
【TIPS】ススキ(芒、薄)
:イネ科ススキ属の植物。尾花とも呼ばれる秋の七草のひとつ。幽霊の正体見たり?




