21 巡回ルート
リーナは一旦昼食に行くことになった。
その際メリーネから掃除部への書類を預かり、マーサに渡すように指示された。
リーナがマーサにその書類を渡すと、マーサは顔をしかめた。
「リーナ、ユードラを呼んできて頂戴」
「はい」
リーナは食堂に向かい、ユードラを見つけた。
「ユードラさん、マーサ様が呼んでいます」
「昼食を食べたら行くわ」
リーナは伝令の役目は果たしたため、昼食を取ることにした。
昼食後、リーナは清掃部の部屋に行った。
誰もいない。リーナは廊下でメリーネが戻るのを待つことにした。
リーナは掃除部。基本的には清掃部の許可がなければ部屋に入れない。
しばらくすると、侍女が数人戻って来た。
廊下に立っているリーナをじろりと見つつ、清掃部の部屋に入っていく。
リーナがそのまま廊下で待ち続けていると、メリーネが戻って来た。
「ずっと廊下にいたのですか? 部屋で待てばいいというのに」
「誰もいなかったのです」
リーナは答えた。
「後から数人来て部屋に入りましたが、私の知らない侍女の方ばかりでした。お仕事の邪魔をしてはいけないと思って、廊下でメリーネ様をお待ちしていました」
部屋の中にリーナがいると、話しにくいことや扱いにくい書類があるかもしれないとメリーネは思った。
「そうでしたか。悪くない判断です。部室にいる者に紹介しましょう」
部屋には四人の女性がいた。制服でわかるが、上級侍女ばかりだった。
「紹介します。新しく清掃部に派遣されたリーナよ。副部長のザビーネ、私の補佐のマリーとオリーヌ。ザビーネの補佐のテネラ。役職付きばかりね。他の者はどうしたの?」
「食堂の席が空いてなかったので、食事時間が遅れるとのことです」
「そう。サビーネ、リーナに巡回ルートを教えてあげて」
副部長のサビーネはリーナを睨むように見つめた。
その表情は不機嫌そうに見える。
「これを」
ザビーネはメリーネから巡回用の書類セットを受け取ると、リーナについて来るように言った。
「ここが一番の化粧室です。巡回はここからです」
「ザビーネ様、質問してもよろしいでしょうか?」
「何ですか?」
「化粧室というのはトイレのことですか?」
「他に何があるというのです?」
化粧をするためだけの部屋も指すかもしれないとリーナは思ったが、ザビーネの不機嫌極まりない表情を見ると言えなかった。
「申し訳ありません。丁寧な表現だと思いまして」
「召使いは化粧をすることがないからトイレと言うのよ」
召使いでもお化粧する人はいるけれど……。
リーナはそう思ったが、言っても仕方がないと思った。
二人は中に入った。
かなりの広さだ。個室も多く、綺麗とはいえない。
「ここは侍女の休憩室の隣です。最もよく使われるので、常に汚れているようなものですが、掃除ばかりでは化粧室が使えません。そこで、備品が不足していなければ二、不足していれば一にします」
リーナは驚くしかない。
巡回の評価は五段階だが、単純に見た目だけの判断ではなかった。
備品不足かどうかで判断する。トイレの使用を妨げないような配慮も必要だとわかった
「ここには手拭きタオルがありません。自分のハンカチを使います」
多くの者が使用すると、大量の手拭きタオルが必要になってしまうばかりか、すぐに使用されてなくなってしまう。
補充するということは掃除ということにもなってしまうため、あえて手拭きタオルを置いていない。
「タオルは常にゼロ。トイレットペーパーが十分にあるかどうかが重要です。落し物もよくあります」
落とし物は書類と共に清掃部に提出する。
書類の備考に品名と特徴を書く。
「拾った時間も記入するといいでしょう」
「ザビーネ様、ここには時計がないので拾った時間がわかりません。後から大体の時間を記入する形でもいいでしょうか?」
「巡回には時計が必須です。ないのであれば、購買部で買いなさい」
時計を買うなんて!
リーナは心の中で叫んだ。
「ペンはありますか?」
「支給品はないのでしょうか?」
「ありません。なければ購買部で買いなさい」
リーナは辛いと感じた。
一生懸命節約しているというのに、また借金が増えてしまう。
「次に行きます」
「……はい」
二番の場所はすぐ側だったが、ザビーネは中に入らなかった。
「ここは男性用なのですぐには入れません。使用者と遭遇すると困るからです」
そこで普通は侍従を呼ぶ。
中にある使用禁止の札を出して貰い、使用者がいないかどうかを確認して貰う。
誰もいないことを確認してから備品を確認する。
「ですが、これは昔のやり方です。今は別の方法にします」
だったら、なぜ昔の方法を教えたのかだろうかとリーナは不思議に思うしかない。
「侍従を呼ぼうとしても面倒なために来てくれません。侍従見習いも同じく。そこで、二にしておきなさい」
「どうして二なのでしょうか?」
リーナが尋ねると、ザビーネは面倒そうな表情になったが説明はしてくれた。
「ここは侍従の休憩室の隣です。一番と同じく非常によく使われるので二です。タオルはゼロ。トイレットペーパーの数は五十です」
不足の時は清掃部に文句が来る。その際に備品の補充と掃除をする。
トイレットペーパーの数は推測で書くようザビーネは指示した。
「推測でいいのですか?」
「構いません。侍従や侍従見習いが非協力的なので仕方がありません」
リーナは唖然とした。
巡回の仕事はきちんと確認するばかりではなかった。推測で書くこともある。
正直に言えば、手抜きではないかと思った。
だが、協力者がいないと確認できないというのはわかる。
「男性用は全て同じです。二、ゼロ、五十で構いません」
「わかりました」
ザビーネは順番通りにリーナを案内した。
トイレごとに判断や対応が違うことを教わった。
一度で覚えられない……。
だが、覚えるよう言われるだけなのもわかっていた。
巡回ルートを覚える必要もある。
リーナはどんどん自信がなくなっていった
「自分には無理だと思っていそうですね」
リーナは正直に頷いた。
「はい。とても難しそうです。掃除よりも大変なお仕事のように感じます」
「この仕事は召使いではなく侍女がする仕事です」
清掃部の人員が不足している。
リーナの担当は掃除だが、勤務時間に余裕がある。そこで余裕分を活用することになった。
「この仕事はセーラが引き続き担当ですが、巡回は侍女見習いのポーラが補佐をしています。ポーラだけでは回り切れないため、召使いである貴方が補佐します」
名前が出ても誰のことだかさっぱりわからない。
リーナの頭はパンク寸前だった。
「まずは一通りやってみなさい。恐らくは無理でしょうが、やれるところまでやるのです」
六時間かけてする仕事だが、侍女見習いのポーラはそれ以上の時間がかかっている。
リーナが巡回する時間は四時間しかない。
慣れていればある程度の短縮も可能だが、ルートも知らない新人が時間内にできるわけがなかった。
「ルートがわからなくなったらポーラに聞きなさい。ポーラがいない場合は、手の空いている見習いか、侍女の場合はセーラに聞きなさい」
「はい」
侍女見習いのポーラ様と侍女のセーラ様……。
これだけは覚えておこうとリーナは思った。
「貴方は掃除優先であることを忘れないように。そもそも、巡回は召使の仕事ではありません。臨時の掃除が入ればなおさら不可能です。ポーラに言いなさい」
「はい」
「では、十六時までにできるだけ多くの場所を回ります。終わらないでしょうが、私の勤務は十六時までです。残業はしません」
リーナの勤務時間は十七時まで。
十六時以降は新規に追加された三カ所の掃除をできる範囲でしておくことになった。
「何かありますか?」
「あります!」
リーナは絶対に聞かなければならないことがあると思っていた。
「私の勤務時間は朝早くからです。九時前に巡回しても、書類がありません。どうすればいいでしょうか?」
「覚えておけばいいのです」
そんな簡単に言われても……。
だが、言われた通りにするしかない。
相手は上級侍女の副部長。リーナは召使いになりたての新人。
その差はあまりも大きい。
「無理ならメモ帳に書き留めておきなさい。時計とペンと合わせて購買部で購入し、明日の勤務に間に合うように用意しなさい」
「……はい」
上司の指示には逆らえない。
リーナの借金は更に増えることになってしまった。