第五話 勉強
あたしは、読み書きと計算を習うことにした。
このあいだのおつかいでわかった。読み書きと計算ができなければ、お買い物一つできない。あのとき、もしカイがいなかったらあたしはリンゴと間違えてミカンを買ってきたかもしれないのだ。
それに――あまり考えたくないけれど、お金をだまし取られる可能性もある。
というわけで、あたしはまず読み書きをならうことにした。
先生は――もちろんカイである。
読み書きを教えてほしいと言うと、笑って「いいよ」って言ってくれた。
あたしの勉強の日々が始まった。
――難しい。なんでこんなに難しいのだろう。読み書きは『アルファベット』っていう26文字の組み合わせでするものらしい。しかも、発音によって意味が変わったり、同じ文字の並びでも読み方によって意味が変わったりするそうだ。こんなの、あたしに覚えられるとはとても思えない。
「ライラ、あきらめるのは早すぎるよ」
「そんなことを言われても、あたしには無理だよ……」
メアリー様に「一生小間使いの人生を送ります!」って宣言したほうが良いのかなあ。
そう思うほど、あたしの心は落ち込んでいた。
同時に、情けなさを感じた。
カイに貴重な時間をもらって教えてくれって言ったのはあたしなのに、あたしは初日からなやんで心の中で文句ばかり言っている。
『あなたたちの人生はそれでよいのですか?』
メアリー様の言葉を思い出す。そうだ、このお屋敷で働き続けるにしろ、新しいどこかにいったり何かをしたりすることに、読み書き、計算、そして勉強は必要なんだ。
あたしは頬を両手でバチン! とたたくと、気合を入れなおした。
「よし、がんばる! カイ、おねがい! 次はへこたれないから!」
「その調子だよ、ライラ」
改めてテーブルに向かう。
夜のテーブル。カイのランタンを部屋の天井につるして、あたしのランタンで手元を照らす。こうすれば、手元がしっかり見える。
でも……
「カイ、何を書けばいいのかわからないよ」
あたしは鉛筆をもってカイを見た。ちなみにこの鉛筆はメアリー様が小さくなったものを譲ってくれた。紙は、パンの袋をもらってきれいに手で切って、何枚かの紙にした。しかし、その紙にはミミズがのたくったような、あたしの字しか書かれていない。
「なにか、いい言葉はないかなあ? あたしが書いていて喜ぶようなもの」
「ライラが喜ぶようなもの……そうだ!」
カイはポンを手を打つと、あたしの手をぎゅっと握った。
「カイ?」
「わたしがライラの手を動かすから、ライラはあたしにあわせて力を入れてみてね」
「? わかった」わかってない言葉であたしは言った。
カイに背中から抱きしめられるような恰好になって、あたしたちは字を書いていく。
「r。アールって読むの。ライラも私の声を真似してね」
「わかった」そしてあたしたちは手と口を動かしていく。
「あーる」
「a、ア」
「あ」
「i、イ」
「い」
「r、アール」
「あーる」
「最後に、a、ア」
「あ」
文字ができた。
raira。
「カイ、これなんて読むの?」
カイはにっこり笑って言った。
「ライラ。あなたの名前だよ」
ライラ……。らいら……。raira。
あたしの名前……。字で書くとこんなふうになるんだ……。
あたしはそれがすごくうれしくて、どんどん自分の名前を書いた。カイが手を放したとたんに、あたしの字は機高くなっていったけど、そんなことはおかまいなしに自分の名前を何回も書いた。
「カイ、あたしできた! 自分の名前が書けたよ!」
「がんばったね、ライラ」
「カイのおかげ! ほんとうにありがとう!」
あたしはイスから立ち上がって、カイをぎゅっと抱きしめた。
*
それからものすごい集中力でアルファベットを言葉を習ったあたしは、何日かしたあと、計算を教えてもらうことにした。
計算に使う字は、アルファベットとは違う文字らしい……。
0、1、2、3、4、5、6、7、8、9。
……なんだこれ。
「カイ、読み書きだけじゃダメ?」
「計算も同じくらい、ううん、それ以上に大切かもしれないよ。だって、お屋敷のお金を使うかもしれないんだから」
それを聞くと、学ぶしかない。それに、お屋敷の役に立つということは、あたしの人生にも役に立つってことだ。
「……やっぱり勉強したい! 教えてカイ!」
「そういうと思った」カイはあたしの勉強へのやる気を期待していたみたいで、ニコニコと笑った。
とりあえず、あたしたち小間使いや年頃の子どもの計算は、『足し算』と『引き算』があるってカイは言った。足し算はものが増えるときに使う計算。引き算はものを減らすときに使う計算。だそうだ。
カイは少なからず先生っぽくなって、「ではライラ君。ここに2個のリンゴと、2個のミカンがあるよ。全部でいくつになるかな?」
「えーと……」
あたしは指を一本ずつ数えた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。だから4個だ。
「4個です、カイ先生」
「いいね、カイ。じゃあ、今度は指を使わずにやってみて?」
……えっ? ものを数えるのに、指以外使ったことなんかないよ?
あたしがそういうと、カイがしめた! という感じで笑った。
「そう、そのとき使うのがこの『計算』なの。この『1』っていう字が指一本分。これを、ここに書かれている『数字』で計算するんだよ」
……気が遠くなってきた。
(つづく)




