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19 科学者、異世界に移住する 6

 そうこうして、比較的快適に約一か月を過ごす。その(かん)究理(さだみち)は遊んでいたわけではない。彼は街に出て情報収集を、とくに翻訳機を作るため、この世界の言語を収集していた。メアリーのように、いきなり初対面の人間を相手にして会話できるような翻訳機が理想ではあったが、さすがにそれを作ることは無理だった。しかし、長期に渡って言語収集すれば、AIを使った翻訳は既存技術でも十分に可能だ。そして、あれから一か月たった今は、究理(さだみち)ひとりでも、翻訳機を使った会話をどうにか(こな)せるようになってきていた。


「でも師匠、一か月も生活してたら、誰だって翻訳機なんて無くても会話できるようになるもんなんじゃないんですか?」

「俺は会話したいんじゃなくて、自動翻訳機を作りたいんだ。

 次にまた違う世界に行くときに、事前に日常会話を自動収集できれば、すぐに会話できるようになるからな」

「そんなの師匠しか使わないじゃないの」

「そうでもないぞ。翻訳機なら機械を通した声でも翻訳できるから、メアリーだって利用する機会はあるだろ」

「あんな絵と音の出る機械なんて、この世界には無いじゃない」

「そんな複雑な物である必要はないんだ。中世の城にも伝声管のような仕組みはあったのだから、きっとこの世界にも似たようなものはあるだろう。そんな仕組みでなくとも、窓から聞こえてくる隣の部屋の声とかでも翻訳することができる。メアリーは面と向かった相手じゃないと翻訳できないんだろ?」

「五月蠅いわね。盗聴なんて、私の趣味じゃないのよ。それに、隣の部屋だったら、精霊に仲介して貰えば、言ってることくらいわかるわよ。

 まあ、それでも、どうしてもって言うんなら使ってあげてもいいわよ」

「素直じゃないな」


「そんなことよりね、師匠」

「ん? なんだ」

「レイに聞いたんだけど、この国の南東には、もっと過ごしやすい国があるんですって」

「レイ? ああ、メアリーが良く行くパン屋の娘のリルグレイアか。

 なんであの娘がそんなこと知ってるんだ」

「ときどき山を越えてきた隣国の商人がパンを買いに来て、いろいろ旅の話をしていくから、そのときに聞いたんだって。それでもって、そういう人たちがみんな『こっちの国はいつ来ても寒い、自分たちの国の方が過ごしやすい』って話をするんだって」 

「それはリルグレイアの、知らない国に対する憧れが混じってるんじゃないのか?」

「うーん、そうなのかなぁ?」


 隣国の情報は、究理(さだみち)も既に集めていた。この国の東側と南側と西側には巨大な壁のように山脈が連なっているが、その山脈を境にして、向こう側には隣国があると。実際、東側からはときどき商人が訪れてきている。

 しかし、隣国の情報ははっきりしない。あちらは温暖で天国のような所だと言う者もいれば、向こうは山岳地帯の上に孤立した国で、こっちよりも過酷な環境だと言う者もいる。こっちよりも豊かなら、態々この国に隣国の商人が来る理由がないというのだ。

 その意見も怪しいものだと究理(さだみち)は考えている。

 地球には、かつて『世界一幸せの国』と呼ばれる小国があった。実際、当時その国民の多くは、自分たちを幸せだと思っていた。しかし、その思いは数年で崩壊する。その国にはもともと目立った産業も無く、経済的に裕福ではなかったのだが、以前は『情報鎖国』によって国民がそれを知らなかったのだ。それが他国の情報が流入するようになって……その情報もまた虚飾に(まみ)れていたのだが……外国に比べて自分たちが貧しいということを知ってしまった。そして、自分たちは幸福ではないと考えるようになってしまったのだ。

 究理(さだみち)からみて、この街の住人たちは決して裕福ではない。生きていけないほど貧しいわけではないので、他国と比べられなければ不幸と考えない程度に普通の生活をしているのだが、彼らの前で究理(さだみち)たちが『日本での普通の食事』をすることが(はばか)られる程度に貧しい生活をしていた。未知の隣国に対して憧れて、過剰な期待を抱く者が多いのも、それが理由ではないかと、そう考えてしまうのだ。


(それは現代の日本だって、大して変わらないんだけどな)


 かつて海外旅行が珍しかった頃の日本では、西欧に過大な期待と憧れを抱く者が多かった。情報鎖国ではなかったが、山の中の湧水のように、その恩恵に預かる者が少なかったからだ。しかしその後、現実を目にする者が増えると、多くの人々が幻滅した。さらに、様々な情報がインターネットによって溢れ返えったが、清らかな湧水は姿を消して、塩分過多の海水となって地球を覆ってしまった。


「……。ちょっと、師匠、ちゃんと聞いてます?」

「えっ? あっ、すまない。 ちょっと考え事してて」

「もうっ、じゃあ、もう一回言います。

 一度、隣国に言ってみる気はありませんか?」

「行きたいのか?」

「行きたいっていうか、こっちの国だと、寒すぎて動物たちとの出会いがほとんど無いんです。防寒具着ないと、ひとりで森に行けないし、なにかと不便なんです」

 メアリーの言うことは分からないでもない。実際にここは寒い。ここに来た当初は、冬だから寒いのかと思っていたが、住民の話を聞いた限りでは今が春らしい。夏になっても、もうすこし暖かくなる程度で、降り積もった雪が溶けて無くなる前に次の冬が来るという。メアリーにしてみれば、理想的な土地ではないのだろう。

「移動してもいいんだが、もう少し調べておきたいこともあるんだよなぁ」

「それって、ここじゃないと出来ないことなんですか?」

「いや出来ないわけじゃないんだけどな」

 これまで究理(さだみち)は、慎重すぎるぐらい慎重に下調べしてから次の行動に移ることが習慣になっていたので、気になることがあるのに次に進むのが躊躇されるだけのことなのだ。

「何が気になってるんです?」

「まあいろいろとあるんだが、とくに気になってるのは月のこと、そして一日の時間だな」

 究理(さだみち)がこの世界に来て、何より驚いたのは夜空に浮かぶ月のことだった。

 この惑星には、球体の衛星、いわゆる月が七つもあった。もちろん、七つという数だけなら驚くことではない。地球と同規模のこの惑星で衛星が七つというのは多いかもしれないが、彗星の衝突などで砕け散った結果とかで、ばらばらになってこの星の周りを回ることはあるだろう。そういうのは数億年から数十億年かけてひとつにまとまって球体になっていく。しかし、この惑星の月はそうではない。まるで七連星のように、直線状に並んだ七つの月が回転しながら、この星の周りを回っていた。その回転軸が、この惑星の方向に対して垂直となっていて、その結果、ある日の夜は七つの月がずらっと並んで見え、またある日の夜はただひとつの月だけが見えているのだ。

(そんなの有り得ないだろ)

 そう考えてしまう。そして、それが本当に有り得ないのならば、あれは人工物だということになる。それは果たして、この世界の人間の仕業なのだろうか。人工物であるなら、その目的は何だろうか。

(……考えるだけ無駄か……)

 前例がないし、この街の文化・文明レベルからして、月ロケットはもちろん、飛行機はおろか自動車すら作れないだろう。ここが偶々辺鄙な土地だったとしても、隣国の商人が出入りしているのだから、他所に高度文明の要素があれば、この街にも何かしらの影響があるはずなのだ。だがここに、そんなものは気配すらない。ガラス製品はあるが、ガラスの鏡は、全身を移すような姿見はもちろん、手鏡サイズのものすらない。窓ガラスも、牛乳瓶の底を並べたような窓があるぐらいで、平面ガラスはない。そもそも平民の家の窓は、板戸が鎧戸で、ガラスが全く使われていなかった。乗り物といえば中世前期のサスペンション機構の無い馬車。荷車を牽くのは牛か馬か驢馬。刃物は鉄器もあるにはあるが、青銅器の方が多かった。

(……要するに中世ヨーロッパだな……)

 せめて中世後期かルネサンスの頃なら、かろうじて文明社会と言えなくもないが、究理(さだみち)にしてみれば、この世界は原始時代の感覚だった。


「そういえば、子供の頃はずっと古代文明のことを勘違いしてたんだよな」

「また黙ってたかと思えば、いきなり何なんですか」

「メアリーには以前教えたと思うが、地球上の各地で文明の基礎がつくられたのが、大体、今から七千年前から四千年前のことだってのは覚えてるかい?」

「今っていうのがいつのことなのか知らないけど、そんなこと言ってたような気もするわね」

「本当に覚えてるのか?

 まあいい。俺が子供の頃のことなんだが、テレビ番組の古代文明の特集でアステカやインカ帝国が扱われることが多かったから、てっきりその二つも数千年前のことだと思ってたんだよ。でもそれは、よく考えたら分かることだったんだが、とんでもない間違いだったんだ。その二つを滅ぼしたのが大航海時代の中世ヨーロッパ文明で、今から五百年ぐらい前のこと。日本だと応仁の乱があった時代のことで、歴史としてはものすごく最近のことなんだ。生粋の京都人が『前の戦のとき』って言っちゃう時代だからね。まあ、それでも十分に昔のことではあるんだが、老化しなくなってから、五百年なんてすぐなんだろうと思ってな」

「五百年をすぐと言うのはどうかと思うけど、師匠がこの前、五十億年後の世界の話をしてたことを思えば、その一千万分の一の時間だもんね。

 そういえばさっき、一日の時間がどうとか言ってたけど、あれってどういうこと?」

「どうもこうも無いだろ。ここで一か月も暮らしてたんだから、メアリーも気付いてたんじゃないのか?」

「分からないから聞いてるんじゃない」

「メアリーは長い間、時計と縁の無い生活をしてたから無理もないか。

 じつを言うとな、この世界に来てから、俺の持ってきた時計が毎日一時間ずつ遅れてるんだ」

「遅れてるって、何に比べて?

 中央広場にも時計なんてないじゃない。

 師匠は朝寝坊だから、日の出の時間も知らないでしょ」

「この惑星の地軸が地球と同じように公転面に対して傾いているなら、日の出、日の入りは、毎日少しずつずれていってもおかしくないから、それでは判断できないよ。ここでは北極星や南十字星のような星が見えていないので、ここの緯度を算出できないし、一年を通して太陽の南中高度を記録しないと、何度傾いているかは分からないんだが、この地方に夏と冬があることは確からしいから、多分傾いてるんだろう。

 そういう訳で、日の出、日の入りと比べることは意味ないし、この世界に比較するための精密時計は無いけれど、太陽の(おおよ)その南中時刻と比較することは出来る。

 その結果、時間のずれが分かったんだ。ただ、三日くらいだと測定誤差かもしれないから、一か月観測を続けて結論付けたんだよ」

「相変わらず気が長いんですねぇ。でもそこまで分かってるんなら、それ以上、何を確認しようって言うんですか?」

「確認というか、この世界の一日を二十四時間とした時計を作ってるんで、その調整中は他の土地に移りたくないだけだよ」


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