20 科学者、異世界に移住する 7
究理たちは、メアリーと第二拠点をどうするか相談をした後、出国計画を立てて入念に準備をした。そして、第一拠点の街を旅立つと、馬ソリで雪山を越えて隣国の街に向かっていた。
「師匠、もうじきキタノマチですよ!」
「ああ、そうだな」
二人の旅の様子は、態々書くまでもないだろう。究理は、途中で峠の辺りに現れた翼竜を倒し、盗賊を退治した(ep. 01~ep. 03 『科学者、山道を行く』参照)が、そんなものは寄って来た蚊を払った程度の扱いだった。二人は、その程度のこと、とくに気にする様子もなく、粛々と先に進んでいた。
究理が、目的地である隣国の街の名前が味も素っ気もない『北の街』だと知ったのは、旅に出る直前のことだ。
彼は、初めてその名前を聞いたとき、隣国の為政者にはネーミングセンスというものが無いのだろうかと、本気で考えたものだった。隣国における位置関係で決められた名前なのだろうから、勝手にすればよいのだろうが、もう少し固有名詞らしいものにしてもよさそうなものだろう。とくに、隣国と接する場所にそんな名前を付けるのは、愚か者のすることだ。
究理が拠点にした街の者の中には、隣国の商人が東側の山を越えて来るからと、それこそ勝手に『東の街』と呼ぶ奴がいたので、本当に紛らわしい。出国前に話を聞いた旅の商人に行先を訊かれて『東の街』だと答えたら、隣国での本当の名前が『北の街』だと教えられて訳が分からなくなったものだ。さらにその『北の街』の南にあるのが『東の街』だというのが混乱に拍車を掛けている。AI搭載の翻訳機も、あらかじめ立場による呼び方の違いというものを教えていなかったら、熱暴走してハングアップするところだった。
もしかしたら、国防目的で態とやっているのかもしれない。
名前といえば、究理たちが今まで拠点にしていた街の名前も、国を出る段階になって初めて『アンジャラカス』だったことを知った。自分たちの街の固有名を、住人が誰一人として呼ぶことがなかったのだから、それも仕方のないことなのだろう。世の中には、恋人のスマホの番号は覚えているのに、自分のスマホの番号が分からないという者が少なからず存在する。自分で自分のスマホに電話することがないのだから当然だろう。
アンジャラカスは、隣国の『北の街』とは、南北に延びる二列の山脈で分け隔てられている。究理がアンジャラカスに築いた拠点は、その山脈の西側にあった。二列の山脈は、東側の標高が若干高いので、アンジャラカスからは二段構えの壁となって見えている。一方、隣国からは東側の山脈しか見えていない。そのせいだろうか、遠い過去に一度、隣国から進軍してきたことがあったのだが、東側の山脈を越えるだけの物資しか持って来ていなかったために、もう一つの山脈を越えることが出来ずに全滅し、今でも二つの山脈の間の谷底に積もった雪の下には、数多くの遺体が氷漬けになっているという。
隣国との間には明確な国境線は存在しないが、その出来事依頼、少なくともアンジャラカスの住民は、奥に見える山脈が国境という認識でいるらしい。
究理たちは、そのアンジャラカスに、まだ一年も住んでいないので、この国の季節というものが全く実感できていなかったが、街の人たちから今が初夏だと教えられていた。西の山脈の頂上付近や、その奥の山脈にはまだかなりの雪が残っていたが、今が初夏だというなら山越えするのは今しかないと、急ぎ準備を整えて出発したわけだ。
ただし、隣人たちには、これから留守がちにするとは言ってあるが、出国するとは伝えていなかった。拠点の家はそのまま残してあって、旅行中にも頻繁に帰宅するつもりでいるからだ。
究理たちが使う馬車や馬ソリのキャビンの奥には双対門のドアが仕込まれていて、拠点にしていた家の一部屋、気圧緩衝室と繋がっていた。気圧緩衝室というのは、潜水艦やSFの宇宙船にあるエアロックのようなものだ。高度の違いによる気圧差なら関係ないのだが、天候による気圧差のあるところを行き来するときは問題が発生するので、その為に用意してある。東京ドームの回転ドアのような作りでもよいのだが、一部屋余計に使う方が簡単だった。
二人は、この扉を通じてその家に戻って、ベッドもトイレも自由に使うことができた。だから、旅先では常に宿に泊まらず野宿で済ませることにしている。折角の旅路なので、ときには気晴らしに外でティータイムをとることもあるが、食事に関しては拠点の家に戻ることにしていた。
それに、異世界の門を移設してあるので、地球に戻って買い物するときに、この拠点に戻る必要がある。究理は既にかなりの物資を持ち込んではいたが、このあたりは地球の中世ヨーロッパの文明レベルだったので、日用品や消耗品は地球で買ってくる必要があった。
皿とかコップとか、燃料とか電池とか。
とくに服とか下着とか。
この辺りの平民は、貫頭衣とまではいかないが、かなり簡素で薄汚れた服を着ている。ただし幸いなことに、中世ヨーロッパと異なり、被り物についての規制はなかった。中世ヨーロッパでは、国と時代によって異なるが、身分や立場を示す被り物が義務付けられていることがあったので、ここでそんな規制があったらかなり面倒なことになっていただろう。
* * *
究理たちが飾り気のない無骨な城壁に囲まれた北の街に到着したのは昼過ぎのこと。国境らしき山脈を越えた後に、いくつかの村を通って来ているので、馬車でそのまま街に入ることにした。それ自体は特に問題にならなかったのだが、……。
「証明書ですか?」
「ああ、領民証明、もしくは一時外出証明。
無くしたなら、入国税がウルド金貨十枚だ」
メアリーが入門手続きした際、さすがに隣国から馬車で山越えして来たとは思われなかったようだが、パスポートのないこの世界では、自国民であるかどうかのチェックはそれなりにやっていたようだ。メアリーに手続きさせたのは、言葉使いで疑念を抱かれないようにするためだ。アンジャラカスを訪れる商人たちから、同じ言葉が通じることは聞いていたが、地元民にしかわからない微妙なイントネーションの違いがあるかもしれないのだ。
メアリーが「どうしましょうか」という顔を究理に向けてきたので、一瞬躊躇った後、隣国で換金して手に入れてあった金貨をメアリーに渡して支払いをしてもらう。
高額な支払いを求められて、究理なら、「やっぱりや~めたっ」とか言って、道無き道を迂回して街の反対側から入ることも可能であったが、ここで顔を見られた以上、知らん顔することは躊躇われた。
(痛い出費だ)
声には出さないが、心の中でそう言ってしまう。
ウルド金貨は、小麦換算で四百キロ~五百キロくらいの価値がある。なので、ウルド金貨十枚は相当な金額だ。究理の成りや、使っている馬車を見て、大金持ちと見越してのぼったくりなのかもしれない。
「今度、出門するときは、証明書の取得を忘れるなよ」
受付担当がそう言ったのは、究理たちを自国民だと認識しているからだろう。
街に入ったら、究理たちは宿には用がないので、まず家を探す。第一拠点にしたアンジャラカスでもそうだったが、不動産屋というものが存在しないので、家を売ってくれる者を探すことから始めなければならないのだが、それが難しい。この世界では、自分で家を建てることは可能だが、既にある家を買う場合、ギルドと呼ばれる同業者組合の仲間同士でしか取引していないからだ。この街には、ハンターギルド、商業ギルド、傭兵ギルド、薬剤師ギルド、鍛冶師ギルド、石工ギルド、織物職人ギルドなどなど様々なギルドがあったが、それぞれの組合員の家は職種に合わせた特殊なものになっていた。それは余所者に売るほど余っていないし、余所者には必要ない家だから、求められることもなかった。例えば小麦の製粉を生業としているなら、風車や水車のある家が必要だが、そうでないなら一晩中ギシギシゴリゴリ騒音を立てる家には用がない。
だが、そんな売買制限は仲間になってしまえば問題ない。究理は、まずハンターギルドで登録して家を求めるが気に入ったものがなく、次に商業ギルドに登録して、ようやく満足な家を購入することができた。
木造二階建て、一階の床面積の半分が厩舎。街外れにあるその家は、第一拠点の家と、ほぼ同等のものだった。ただ、生憎なことに第一拠点の家に比べて痛みが酷く、屋根に穴が空いてたりしたので、家の修理を依頼して、一週間ほど外泊せざるをえなかった。
とはいえ宿は使わない。街の南門から外に出て、街道の林の陰に馬車を止めて、そこでいつものように野営する。馬に水と飼い葉を与えておいて、自分たちはキャビンの中にあるドアを通じて第一拠点の家に行って休むのだ。
修理が終了して家の引き渡しを受けると、購入した家には、第一拠点と同様の改造を施す。
出入口の扉や窓のカギの交換と、気圧緩衝室の設置。
馬車のキャビンに設置してあった、第一拠点と行き来するための双対門をここに移設し、馬車と馬ソリのキャビンにはこの気圧緩衝室とを結ぶ双対門を作成して設置。
ただし、異世界の門の移設は保留にした。
こちらの街の方が、明らかに余所者の出入りが激しかったからだ。そういう街には犯罪者も多い。いくら窓や扉に頑丈な鍵を付けてあっても、壁や天井に穴を開けて侵入する賊は存在する。異世界の門はできるだけ安全な場所に置いておきたかったので、より強固な家を用意するまでは、第一拠点の家に置いておいた方が安全だろうと考えたのだ。
双対門の設置が終わると、第一拠点を経由して日本に行って、ベッドや食器などを追加購入してくる。
人が生きていくうえで、寝具というものは重要だ。元々置かれていた、木枠の上に干草を置いて布を被せたようなもので、ダニやシラミの餌食になるなんて、究理は断固としてお断りだった。
食器については、この世界の食器の安全性を疑って、第一拠点では日本から持ち込んだ食器だけを使っていた。あるとき用事があって日本に戻った際に、この世界の銀食器を持ち込んで成分分析をしたことがあったが、案の定、鉛やカドミウムが食品衛生法で許容されない割合で混ざっていることが判明した。それ以来、究理は現地の食器を一切使わないと心に決めているのだった。
ようやく ep. 01 ~ ep. 03 のお話に戻ってきました。
ここから冒険が始まる……のか?




