15 科学者、異世界に移住する 2
究理から彼が若返ったときの話を訊き出したメアリーは、平凡……ではないものの、さして面白みのない期待外れな結末に少しばかり落胆していた。
「ちょっとつまんない。お屋敷に来ていた吟遊詩人のお話の方が、もっと面白かったわね」
「メアリーのために吟遊詩人を呼んでたのか。贅沢な奴だな」
「呼んでたのは屋敷の主よ。私は自分の部屋で、精霊たちが伝えてくれた声や楽器の音を聞いてただけ」
「精霊ってのは盗聴の手伝いまでしてくれるのかよ。まあいい。
事実なんてものは、得てしてつまらないものさ。だいたい、そんな話のプロと比べられてもなあ。吟遊詩人の話は盛ってる、つまり、有ったことは大袈裟に、無かったことまで捏造して面白おかしくしてるからな。一緒にならんよ」
「ねぇ師匠。そのときの師匠って八十歳くらいだったんでしょ?
それで今は百歳超えてるって言ってたけど、そのとき四十代に若返ったんなら、今は六十代の見た目じゃないとおかしいんじゃないの?」
「ああ、後になって気づいたんだが、不老処置も施されていたらしい」
「それって、人間なの?」
「若返りのときに、超小型化された次元操作装置も脳内に埋め込まれてるから、ある意味、改造人間なのかもしれないが、知力や筋力の強化とかはされてないからな。多分、人なんだろうと思う。
どうせ怪しいことされるなら、君みたいに誰とでも話せるような翻訳機能も欲しかったな」
「……」
メアリーの視線がやや冷たい。
「まあいいわ。師匠は、あの絵が動いて音がする機械と違って、私と会話が出来るもんね。私と会話ができるなら人と区別できないし」
「ああ、そういえば、メアリーは誰とでも会話できるのに、テレビなんかの機械を通した声だと翻訳できないんだったな。そもそもメアリーがどういう仕組で言語が違う人と会話しているのか分からないんだが、逆に、そういう君だからこそ、精霊を使うことができるのか」
「精霊さんは道具じゃないわ。使うとか言わないでよ。
それと、私は師匠を人として認めるけど、精霊たちに治療してもらうときに、人でない部分は治療できないと思うから、そのつもりでいてちょうだいね。例えば、師匠と出会ったときに精霊たちに治療してもらったけど、治療したところだけ普通の人に戻って老化するようになってるかもしれないわ。あと、頭を怪我したときは、頭の中のその変な機械は壊れたままとかになると思っててね。それでなくても、精霊が少ないこの世界だと、精霊たちに怪我の治療してもらうのは難しいんだから」
「メアリーは、精霊が沢山いる世界の方がいいのか?」
「そうね。私にとっては、子供の頃から精霊たちに囲まれていたし、精霊が私の存在理由みたいなものだしね」
「……そうか、そういうことなら少し考えてみるか」
究理がメアリーを連れ帰って来たときに、こっちの世界には精霊の数が少ないと指摘されていた。最初はそれが、コンクリートジャングルの都会だからなのかと思っていたが、自然に囲まれた日本の山奥に連れて行っても変わらなかったし、海外の森林地帯に行っても同じだった。精霊というものが、もともと地球にはいなかったのか、昔はいたのに既に絶滅したとか、宇宙に離散していなくなったとか、可能性として考えられることはいくらでもあるが、事実が何なのかは分からない。そういった謎も含めて、これから研究しようとしているのだから、メアリーと出会って間もない今は、まだ分からないのも当然だった。
ただ、究理が生まれ育ったこの世界には精霊がほとんどいないという事実だけがある。
「二人で精霊のいる世界に移住したほうがいいんだろうか?」
究理がそんなことを考えたのには理由がある。メアリーを保護した責任もあるし、魔法や精霊に対する探究心もあるからだ。
そしてもうひとつの深刻な理由。
二人共、この世界で暮らし続けていくには問題があった。メアリーが密入国者状態であることも問題だったし、究理が戸籍上の年齢(九十代後半)と見た目が乖離していることも問題であった。メアリーの老化速度は未確認だが、究理はほぼ不老であって、怪我をしなければ数百年は生き続けそうな気配がある。そんな人間を、役所がいつまでも放っておくわけがない。いずれ年金の不正受給や背乗りを疑われて、いくら本人だと主張したところで、否定されて裁判沙汰になることは間違いない。そして、仮に本人だと証明出来たら出来たで、不老が公になって面倒ごとが起きることが目に見えている。
「また他の世界に行くの?」
究理がふと漏らした提案に、メアリーが不安そうに問いかける。メアリーには、もう彼女を元の世界には戻せないと伝えてはあるが、彼女にしてみれば、隣国に亡命して来ているような気持ちなのだろう。だから、これでまた別の世界に行けば、生まれ故郷は更に遠ざかってしまうと感じているはずだ。究理からすれば、メアリーがいた世界は無限遠にあって、そこにどんな距離が加わっても誤差でしかない。そのことはメアリーにも何度か説明していて、十分に理解されてるはずなのだけれど、感情が認めようとしないのだ。
「今すぐじゃない。精霊が枯渇している問題を除けば、ここが一番暮らしやすいからな。異世界の門の接続時間の制限がなくなって、繋いだ先と自由に行き来できるようになるまではお預けだ。
ただな、俺の戸籍上の年齢が九十代後半なんで、そろそろ逃げ出さないとまずくなってきてるんで、急ぐつもりではいる。移住の条件が揃うまでに異世界の門が精霊の沢山いる世界に繋がることがあったら、そのときは日帰りで遊びに行ってこよう」
「そう」
「とにかく、移住するまでに、こっちの世界で旨いものを目一杯食っておくんだな」
「ふふっ、そうね」
メアリーはそう微笑んだ後、首を傾げる。
「あれ? 今、九十代って言ってたけど、師匠は百歳過ぎてるんじゃなかった?」
「異世界で過ごした時間があるからね。
戸籍上は九十代だが、生きて過ごした時間は百歳を過ぎてる。
異世界は、こっちの世界と時間の流れが同じとは限らないんだよ」
究理がそのことに気づいたのは、二か所目の異世界訪問をする前のことだった。そのときは、異世界の門の接続時間が一日に伸びていたので、訪問前に開いた門の向こう側に見える景色を十分に観察して安全性を確認していた。そしてそのとき究理は、向こうの世界の景色が門の真正面からしか見えないことと、物の落下速度がやたら早いことに気がついた。重力が強大なのだろうかとも思ったが、見えている生き物たちの大きさから、そうではないと判断する。あれは、時間の経過速度が速いのだと。そして屈折率の関係で、真正面からでないと見えていないのだと。
そのことを踏まえて訪れたのが、剣と魔法のファンタジー世界だった。
見たことも無い魔物を魔法でぶっ飛ばすのを、砂埃を頭から被りながら目撃してしまった。自身が確立した多次元操作科学(MDMS: Multi-Dimensional Manipulation Science)とも違う、完全に未知の物理法則がそこにはあった。
究理は悔しがった。ここには一日しかいることが出来ない。時間の流れが違うので、もう少しいられるかもしれないが、長居できないことに変わりはない。なんで、もっと自由に行き来できるようになってから、この世界に繋がらなかったのかと。
だが、我儘は言っていられない。今はこういう世界の存在を知ることができたことを幸運と思い、時間内に帰ることが最優先だ。そして自分の姿が、その世界の住人達から見て浮いていることが分かっていたので、捕まるような事態は避けなければならない。だから人目を避けて行動し、可能な限り観察して、そうして刻限までに戻って来た。
そして、身に着けていた時計が、家の時計より十時間以上進んでいることを確認した。つまり、向こうの世界の時間の流れが早かったことを確認したのだった。
「ふーん。なんとなく分かったけど、師匠の話ってさ、何か間怠っこしいのよね。
それで、そこには精霊たちはいたの?」
「確認していないから、いたかもしれないし、いなかったかもしれない。
魔法に驚いて、精霊のことを考えていなかったってこともあるが、君みたいな精霊使いには出会わなかったから、精霊の存在を知りたくても知りようが無かったのさ」
「そう、残念ね。
ところで、師匠は他に、どういう所に行ってるの?」
落胆した気持ちを隠すように、メアリーは話の続きを訊いてきた。
「三番目に訪問したのは終末世界だったな」
「終末? 世界の終わり? そんなもの、見れるの?
もう終わってたいうなら見れないんじゃないの?」
「終わった世界じゃなくて、これから終わろうとしている世界だ。
そんなタイミングに立ち会えるのかといえば、幸運だったとしか言いようがない。そうだな。その世界の長い長い歴史の、丁度最後の時宜に遭遇するなんて、宝籤に当たるより珍しいことだろうからな。何者かの意思が働いた可能性も無いわけではない。その場合、仕組んだのは神ではなくて悪魔だろうけどな」
「んーっ、国が亡びるっていうのは分かるんだけど、世界って滅びるものなの?」
「そりゃ滅びるさ。特に人間の世界なんて脆くて、核ミサイルでいつ滅びるかも分からないし、天変地異や気候変動で氷河期になるとか、水が干上がって砂漠だけになるとかしてじわじわと滅んでいくとか、あるいは巨大隕石の衝突によって一瞬で滅び去る可能性もある。
ただ、俺が訪れた終末世界はちょっと変わっててな」
「変わってる終末?」
「ああ、弥勒菩薩が降臨してた」
「弥勒菩薩? ……って何?」
「ああ、宗派によって違いはあるが、仏教の仏のひとりで、今現在ブッダであるお釈迦様、釈迦牟尼仏の次にブッダになることが約束された菩薩であって、お釈迦様の入滅後五十六億七千万年後の未来にこの世界に現れて悟りを開き、人々を救済すると言われてる」
「巫山戯てるの?
私を馬鹿だと思ってる?」
「とんでもない。見たままを伝えてるだけさ。
そこは、崩れ落ちた建物の様子から、元々はこの地球とほぼ同じ世界だったと思われたんが、空には赤色巨星化した太陽が迫っていて、地上の水分は蒸発して、どこを見ても焼けた砂漠で、人類なんてどこにもいなかった。
だというのに、一人……じゃなくて一尊か、弥勒菩薩だけがそこにいたのさ。あの姿は、弥勒菩薩っていうより、髭を生やした男っぽい姿のマイトレーヤだったのかもしれないけどな。弥勒菩薩だろうとマイトレーヤだろうと、仏教の言い伝え通りなら、あれは人類の救済をしていたのかもしれないな。
一応、行く前に過酷な環境であることが分かっていたから防護服を着ていたんだけど、それでもそこには五分しかいられなかったから、詳しいことは分かっていない。不燃素材の防護服に火が付きそうになったんで、早々に逃げ出してきたんだ」
「情けないわねー。師匠の次元操作とかで、何とかならなかったの?」
「そのときはまだ、使いこなせていなかったんだよ。
今は放射線防御くらいなら、なんとかなるけどな」




