12 科学者、少女を保護する 5
メアリーに、購入した普段着のセットアップのひとつに店内で着替えてもらって、二人で一緒に帰宅すると、究理はそのまま床に倒れこんだ。
「疲れた。何より精神的に疲れた。
女性の服選びにこんなに時間が掛かるとは知らなかったな」
「私も」
「ん? メアリーは、向こうにいたとき、店で自分の服を選んだりしたことがなかったのか?
……ああ、お前は貴族の屋敷にいたから、服屋が屋敷に来てたのか」
「どっちも違う。私は服屋に入ったこともないし、屋敷に来る服屋と会ったこともないわ。いつも、使用人に勝手に着せられるか、これを着るようにと渡されたものを着ていただけ。」
「着せ替え人形扱いだったってことか?
監禁されてたわけじゃないから、外部の人間と合わせないようにされてたんじゃないよな。だったら、自慢の人形の服を仕立てるときに、服屋に合わせそうなもんだが……。つまり、自慢の人形だったわけじゃないのか? あるいは、メアリーが着ていたのが教会で定められた仕様の服で、フリーサイズだから服屋とは関係なかったのか……。
まっ、もう済んだことだから、どうでもいいか。
今日は店員にセットアップをコーディネートしてもらったが、次からは自分の着たい服を選んでくれてもいいんだぞ」
「別に着たいものなんてないわ。
それに選んじゃいけない服装もあるんでしょ?
今日最初に着た、売春婦が着るメイド風の服みたいに」
「ちょっと待て。あれはお前の国では、売春婦の服なのか!?」
「少し違うけど、メイドが着る正式の服じゃないことは確かよ。メイドの服は、あんなに煽情的に胸を開けたり足を見せたりしないし、生地も丈夫な物を使うから、あんなに安っぽくもない。それに、あれは給仕するときの服に似てるけど、掃除や洗濯するとき、庭仕事するとき、馬の世話をするときで、それぞれ服装が違うからね。
お屋敷にいた公妾が似たようなのを着ていたけど、使用人たちからは自分たちが侮辱されているみたいだからって、嫌がられてたわね。
あれは売春婦の服というのが一番近いわ」
「あぁぁ、なんてものを買っちまったんだ。
まあいい。あれはこの国では、売春婦の服ではなくて、給仕するメイドの真似事をする女性が着る服なんだ。ただ、あの服を街で着て歩くと、奇異な目で見られるから、お前が言う『選んじゃいけない服』には違いないな。
でも、そうか。服のデザインに対する考え方も違うし、こっちの世界の風習を知らなきゃ、何を着ていいかも分からないか。
分かった。次に服が必要になったときも、またあの店に行って、用途を伝えて選んでもらうことにしよう」
確かにそれは無難な考えではあった。しかし、あの店員からは既に『危ない趣味のオッサン』ではないかという疑惑を持たれていることを、究理は知らなかった。
「ところで、あとのふたセットは普段着を買ったわけだが、もしドレスが欲しいんだったら買ってやるぞ」
「いらないわ。ドレスじゃ森に入れないじゃない」
「そういうこと?
だったら登山服とか、サファリジャケットがいいのか?
ん~、そうなると、あの店じゃだめだな。登山服は、そういうのを売っている用品店があるけど、サファリジャケットって、どこで売ってたっけ?
分かった。いずれそういった服も必要になるだろうし、考えておくよ」
「ふ~ん」
素っ気ないような返事だったが、なんとなく、あの店で服を買ったときよりも嬉しそうだった。
その後、折角なので二人で外食することにして、別宅近くのファミリーレストランに入った。もしかしたら、フレンチかイタリアンなら、メアリーでも困らないのかもしれないが、念のため、子供が手掴みで食べても怒られない店にしたのだ。
究理がそうしたのには、ちゃんとした理由がある。
古い文献には、江戸時代に日本に来た特使たちが、料理を手掴みで食べていたという記録が残されている。西洋でスプーンが食事に使われるようになったのが中世後期、フォークは中世中期にイタリア貴族が使いだしたが、フランス貴族は手掴みで食べることに拘ってルネサンス期までフォークを使っていなかった。メアリーのいた世界の文明レベルからして、文化レベルは中世前期に相当したと思われるので、洋食であってもメアリーが現代の日本人のように食事できる保証はなかった。
さらに、何が食べられるか、というのも問題だ。
昨夜いろいろとメアリーと話をしたときに、とくに食べ物の好き嫌いはないと言ってはいたが、それはあくまでも食べたことがあるものの中での話だ。地元で採れる食材しか知らない可能性は十分にある。調理方法や味付けにしたって、現在の日本のように和洋中なんでもありの世界ではないので、口に合わないものはあるだろう。彼女に無理に納豆を食わせるつもりはないが、米とか海の幸とか、食べたことのない食材も多いだろう。肉は生で食べても、魚の生は嫌だという外国人もいるし、日本人だって刺身は平気なのに生シラスや生の白魚は沢山の可愛らしい目で見つめられるのが嫌って人がいる。今では日本で当たり前のように食べられているバターだって、開国間もない頃の日本人は、一口食べた瞬間に、その腐敗臭に耐えられずに吐き出していたのだ。食べてみたら合わないものもあるだろう。メアリーは毒キノコですら平気と言っていたが、だからといって食物アレルギーがないとは限らない。これからいろいろな料理を、少しずつ食べてみてもらうしかない。
店に入って席に着き、料理の写真が満載のメニューを手に取って開いて見せると、メアリーは興味深く丹念に見始めた。それが本のようなものだとは分かっていても、これまで写真集のようなものはおろか、写真自体を見たことが無かったからだ。傍から見ていると、ときどき写真の匂いを嗅いだり、爪で引っ搔いたりしてるのが面白い。
「その中で、メアリーがとくに食べたいものはあるかい?
無ければ俺が選ぶけど」
「ん~~、わからない。師匠が選んで」
「そうか、とりあえず適当にいくつか選ぶけど、食べられないなら残しても構わないからな」
そう断っておいて、店員を呼び出すと、子供向けの定番料理、オムライスとハンバーグ、から揚げ、カレーライス、サラダと付け合わせのパンとスープを頼む。さらにお試しで刺身盛。そしてドリンクバー。
注文を済ませ、究理が紅茶とオレンジジュースを取ってきてメアリーに渡すと、紅茶のカップに口を付けたメアリーが言う。
「変わった形の器ね。それと、この紅茶は、あまり美味しくないわ」
取っ手付きのカップには馴染みがないのだろう。熱そうに持っていたので、|取っ手の部分を摘まむように持つのだと教える。
味の評価については、さすが異世界の貴族の屋敷にいただけはある。こっちの世界の中世の文化だったら、まだ紅茶はない時代なのだが、あの世界の貴族社会には出回っていたのだろう。
「こっちの黄色いのは冷たくて甘くて美味しい」
「こいうのは飲んでなかったのか?」
「ないわね」
メアリーは、オレンジジュースが気に入ったようだ。
こっちの世界だと、中世ヨーロッパにレモン水はあったが、オレンジジュースは存在していない。中東から伝わったシェルベットと呼ばれる、煮出した果汁にスパイスやハーブを加えていたものが飲まれ始めてはいたが、新鮮な果汁とは程遠いものだった。あの世界にはまだ冷蔵技術がないのだから当然だろう。
「そうか、気に入ってもらえたならなによりだ」
出会ったときも飴玉を美味しいと喜んでいたので、甘いものが好きなのだろう。だが、これで餌付けするつもりはない。むしろ、好きで喜んでくれるからといって、与えすぎて虫歯にしたり、太らせたりしないように注意しなくてはならないと考えてしまう。
やがて次々と料理が運ばれてくると、少しずつ口を付けてもらう。メアリーは、それぞれ珍しいそうに料理を見て、匂いを嗅いで、口に入れる。スプーンやフォークの使い方は、料理が来るたびに究理が実演して教えていた。
「なんだ。アンマラを焼いたものかと思ったら、薄皮の中に肉と穀物が入っているのか。なんというか、不思議な味がする」
メアリーがそう評したのはオムライスだ。
究理は『アンマラ』が何なのか知らなかったが、こっそりネット検索したら『菴摩羅:マンゴーの和名』とあった。メアリーの謎翻訳で、こっちの世界の『マンゴー』を誤訳したらしい。いや、日本語に訳すために和名を使ってしまったのかもしれない。
「こっちは潰し肉の油炒めね。
何て言うか、魂の痕跡の混ざり具合が不思議な感じね」
今度のはハンバーグに対する評価だが、なぜかフォークでなくて、スプーンをナイフ兼用にして使って食べている。
彼女が語った料理の感想については、ステーキなら一頭の牛や豚の一部なのに対し、挽肉だと何頭かの肉が混ざってたりするし、牛と豚を混ぜることもあるから、メアリーが下したその評価は間違いではない、と究理は考えた。
「メアリーは魂の痕跡が分かるのか?」
「なんとなく。
こっちに来てからはあんまり感じてないけど、向こうにいたときは、もう少しはっきり感じてた」
メアリーの答えに、究理の科学者としての好奇心が静かに騒ぎ出す。しかし、今は口に出さない。ゆっくり、時間をかけて研究するのだ。
「肉が嫌なら、無理して食べなくてもいいぞ」
「嫌じゃない。それに、肉以外の魚や植物にも魂はある。混ざり方が珍しいだけで、それを避けていたら、ここにあるものは全て食べられない」
どうやらメアリーが言う『魂の痕跡の混ざり具合』には、ソースの原材料や胡椒などの香辛料も含まれていたらしい。
「全部美味しいな」
唐揚げとカレーライスを平らげての感想だ。今日食べたのは野菜カレーだったが、カレーはレトルトでも山ほどの種類がある。宗教的な縛りも無いようなので、そのうち全種類制覇させてみようか。
「あっ、カレーの汁が服に着くと落ちにくいから、買ったばかりの服に付けないように気を付けてな。それと、カレーを食べると、暫くの間、この臭いが身体から染み出すけど大丈夫か? その、リスや小鳥たちに嫌われたりとかは」
「染みも臭いも、自分で消せるから大丈夫……だと思う。
ここだと精霊の力が弱いから、どこまで消せるか分からないけど」
最後に、メアリーが刺身を見て警戒している。
「この生肉はそのまま食べるの?」
生魚を食べるのは初めのようだった。
「寄生虫は取り除いてあるから心配しないでいいぞ。そこの塩を少しつけるか、そっちの黒いたれをつけて食べるんだ。邪道と言われるが、マヨネーズで食べる人もいるな」
そういって究理が実演して見せると、メアリーも真似をして食べる。箸ではなくフォークなのはご愛敬だ。フォークも初めて使うのだから、今はそれで十分だろう。
「悪くない」
どうやら気に入ってもらえたようだ。
料理を食べ終えると、デザートにプリンとティラミスを追加注文。
メアリーが無我夢中で食べたのは言うまでもない。




